牛込日乘

日々の雜記と備忘録

上野動物園とその思ひ出

2008-04-29 23:52:16 | Weblog
 娘を上野動物園へ連れていく。
 混んではいたが見物できないというほどでもなく、娘は初めて見る本物の動物たちに大興奮! ……というほどでもないが、かなり熱心に見入っていた。ツキノワグマの子供を見て「くまちゃん、かわいいね」、水の中にいるカバを見て「おふろにはいってるね」などとコメント。

 (じーっ……。)

 上野動物園に来たのは、まあ多分三十年ぶりくらいだろう。動物園というと薄暗いコンクリートの檻の中で動物たちが所在なさげにしているというイメージだったのが、旭山動物園の影響からか、動物の展示の仕方にはかなり工夫が見られた。例えばたくさんの人びとが木の上を見上げているその先には……。


(檻の外の二本の木の間を空中散歩するナマケモノ)

 ……とまあ、かなりの様変わり。私の記憶にある一九七〇年代後半の上野動物園を 思い出させるものといえば、モノレールくらいのものだった。

 で、七〇年代後半の上野界隈といえば、忘れられないのが傷痍軍人たちの姿だ。その頃、春休みなどに東京に遊びに行くのが楽しみだった(大きなデパートや秋葉原で買い物、上野の博物館や竹橋の科学技術館等々の見学……)。しかし、白装束にサングラス、手足の一部がない初老の人びとの一団がアコーディオンやハーモニカで物悲しいメロディーを奏でている光景に初めて出くわしたとき、幼心に大きなショックを受けたことを今でも覚えている。まあ、実際はかなりニセモノも多かったらしいが、そんなことを後から知っても仕方がない。私の気質にどこか怏々として楽しまず、といったところがあるとすれば、その幾分かは確実に少年時のこの経験が元になっている。

 帰りはこれまた久し振り(五年くらい?)に、とんかつ「井泉」へ。子供連れでも何とか入れてくれたので助かった。

Ctrl + Z, Ctrl + V

2008-04-09 00:48:19 | Weblog

 気がつけば四月も上旬が終わりつつあり、さらに気がつけば私の会社員生活も十五年を越えている。私が新卒で入社したときに配属になったのは「電算室」という部署で、今となってはその名前にある種の感慨とともに、決して小さくないジェネレーションの断絶を感じずにはおれない。そこにいた一年の間にCOBOLのプログラミングやら何やらをやっていたはずなのだが、もう、本当に何も覚えていない。

 一応、出版社という名前の付いた会社に入ったつもりでいたため、「どうしてSEのまねごとをしなけりゃいけないんだ?」と腐りつつも、一方で「よく分からんが、これからはコンピューターの時代になるだろうし、まあ考え方だけでも知っておくか」という妙な開き直りもあった。実際、中学生の頃はBASICでプログラムを作ってみたり、大学卒業時もコンピュータ関係の会社に就職しようと思っていたこともあったくらいで、基本的にこういうことは嫌いではないのである。

 当時(九〇年代前半)のPCのスペックというのは現在の基準で言えばお話にならないくらいのもので、だいたいWindows 3.1以前のMS-DOSの時代で、さらに言えば仕事で使っていたPCには、MS-DOSですらない某メーカーオリジナルのCASだかAPCSだかという変なOSが搭載されていた。いまのタワー型PCの大きさくらいの外付けハードディスクが確か30MB(注・GBではない)くらいで、それでも上司が「ちょっと前に比べてすごい容量になったもんだ」と感心していたのを覚えている。フロッピーディスクというのも個人使用レベルではほとんど見なくなったが、これもまだ五インチや八インチのものが健在で、というよりむしろ主流は五インチだったように思う。

<つづく>