牛込日乘

日々の雜記と備忘録

コミュニケーション・コストの本当の意味

2009-01-26 23:37:56 | Weblog
私の勤務先は元来ベタベタな日本企業であったのが、諸事情により私が入社する少し前から外資(英米)系になっている。社長も日本人だったのが数年前から外国人になり、社内にもさまざまな人種の社員がいる。だから、幹部が出席する会議などの際には通訳がつきっきりで、英語と日本語の間を行ったり来たりすることになる。もちろん社員の中にもバイリンガルは結構いるのだが、基本的には外部スタッフの通訳に必要な都度来てもらっているようだ。

こうした場面では、当たり前だが<曖昧な日本の私>というのが許されないので、腹芸とかなだめすかし脅し泣き落としの類の小技にはほとんど意味がない。「ま、ここは一つ。」とか「いやいや、そんなこと仰らずに。さ、さ。」とかいうニッポンのオトナ語にはそれなりに味わいと哀愁があって私は全面的に嫌いではないのだが、会議で発言しても通訳は何とも訳しようがないだろう。

言語間のコミュニケーション・ギャップというのはコストがかかる。もちろん、通訳を時間単位で雇うのにも対価が発生するわけで、どれだけ支払っているのか知らないが、純粋な日本企業からすればなんと無駄なコストかということになるだろう。私も「どうしてこんなことを一から説明しなけりゃならないんだ?」という憤りを瞬間的に感じることはしばしばある。

とはいえ、やはり<お互いに言語化して理解できたことだけを基準に意志決定する>というスタンスは組織にとっては悪くない。もちろん、違う言語を使用する者同士がお互いを尊重する態度と適度な緊張感を持っている限りにおいて、ではあるが。あるいは、これは言語を同じくする個人間についても言えることである。日本的な年功序列システムというのは上意下達には向いているので、正しい意志決定がされているという限りにおいては有効であるが、容易に馴れ合いに転化するという欠点がある。同時に、馴れ合いというのは横並びの関係だけでなく主人と奴隷の関係にも成立することにも注意しなければならない。


サラリーマンの愚痴をペダンチックに表現してみました。

2009-01-15 23:40:11 | Weblog

<彼が知らないことを君が知っている>ということは、君が彼よりすぐれていることの十分条件ではない。意味をなさない条件をいくらを重ねても証明は成立しないのだが、どうしてこんな簡単なことが分からないんだろう?

四〇過ぎた人間を変えようとすることは無駄かもしれない。いわんや五〇過ぎをや。


ところで、「上から目線」というのは痛風と同じく男にきわめて顕著に見られる病ではないだろうか。


こうして断続的にでも記録を付けていると…

2009-01-13 01:30:56 | Weblog
…どうやら私は年始に何らかの形で体調を崩すことが多いことに気付いた。今年もご多分に漏れずというべきか、八日の夜から発熱および倦怠感で起きていられない状態に。食欲はあったし、のどの痛みや咳、鼻水、くしゃみなどの症状もなかったのだが、ほぼ三日間にわたってひたすら薬を飲んで寝るばかり。

十二日になってようやく外出できるようになったので、溝の口の妻の実家に遅ればせながら新年の挨拶に伺う。五日ぶりにビールを飲み、これだけ長い間アルコールを口にしなかったのは何年ぶりだろうかという発展性のない感慨を催すのであった。

平成の二十年と「年越し派遣村」

2009-01-07 01:42:12 | Weblog

一九八九年の正月、昭和が終わった日は、大学二年生だった。正月休みで帰省し、東京に戻ろうとしていた日の朝、家族と「ああ、さっき亡くなったらしいよ」「あ、ホントに」などと会話をしたように思う(どちらかというと左翼的な家庭環境だったので、快復を願う<ご記帳>なんてのは何処の話? という感じで淡々としていた。まあ、もちろん喜びもしなかったが)。その日の午後に西武新宿線武蔵関のアパートに帰り、「新しい年号は“平成”だってさ」などとやや遅めの年賀状を書いていた記憶がある。

思えばこの頃はバブル経済の絶頂期で、<何でもあり>の躁状態と非日常的な<自粛>ムードが相俟って、日本社会全体に奇妙な(今から思えば、本当に奇妙な)興奮状態を発生させていた。就職も完全な売り手市場で、「内定拘束で旅行に連れていってもらった」「入社試験でもらえる交通費だけで二十万円稼いだ」などという話をそこかしこで聞いた。それから二十年が過ぎ、現在の若者の非正規雇用率は二十代前半で四三%、二十代後半で二八%、十代後半に至っては七二%にものぼるらしい。

今のところそんな話は聞かないが、いつ暴動が起きてもおかしくないだろう。

年末年始のニュースでは、しきりに「年越し派遣村」に関する報道が流れていた。しかし、いわゆる貧困問題に関する動きで私が気になったのは、むしろ天皇の一連の発言である。十日間くらいの間に、同じ問題をかなり執拗に取り上げている。

<天皇誕生日のコメント>
「厳しい経済情勢の中で厳しい年の瀬を迎えている人々も多いのではないかと案じています。来る年が少しでもよい年となるよう願っています」

<新年のコメント>
「厳しい経済情勢の中にあって、苦労多く新年を迎えている人々が多いのではないかと案じていますが、この年が国民にとり少しでもよい年になるよう願っています」


どうもこのあたりから政財界の人間たちの発言内容が少しずつ変わってきているような気がする(とってつけたように「セーフティーネットの整備が必要」などと言い出したりとか)。もちろん「派遣村」は実効的なインパクトを与えたが、実は、一連の天皇の発言も、かなり大きな影響を与えたのではないだろうか。天皇のコメントに(例えば宮内庁の役人などの)ライターがいるのかいないのか知らないが、この問題について発言することを選んだことだけでも、後世に残る仕事だったのかもしれない。



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ちなみに私は、時代区分として便宜的に使うことはあるが、必要とされない限り自ら元号を使うことはほとんどない。


謹賀新年

2009-01-05 16:29:22 | Weblog
見込みに反して、去年はイレギュラーの連続に追われる毎日に。まあ、四十男(まだなってないけど)の抱える仕事というのはそういうものなのでしょう。まずはアラームが多発している健康診断の結果を受けて人間ドックに行くことが当面の課題。

年末年始は今日までの十連休だったが、多少の休日出勤と掃除、元旦から三日までの佐久への帰省と年賀状書きに明け暮れしてみればこれはこれで忙しく、山積しているはずの仕事についてはあまり考える余裕もなし。

娘も久し振りの保育園に行くのに大泣きで抵抗し、「やだー! 保育園行かないー! ママも会社行っちゃダメー!」と大暴れするのをなだめすかして連れていったところ、玄関前のそこかしこで同じ場面に遭遇。保育士さんも心得たもので、「はいはい、いいですよー」と連係プレーでたんぽぽ組の部屋へ。何とか最後にはニコニコしてお友達と遊び始めてくれた。

私の仕事始めは明日から。ともあれ、今年もよろしくお願いします。