クリスマスの夜に大田区に住む妻の伯父が亡くなったため、蒲田の斎場まで通夜に出かける。八十八歳。二、三度お会いしたことがあるが、下町人種らしい気遣いと、戦後を自営で生き抜いてきたたくましさ、明るさなどが印象的な方だった。元々は三菱重工のエンジニアで、戦中は戦車兵として大陸におり、当時としては珍しく自動車の運転に精通していたので敗戦後も地元の人々に下へも置かぬ扱いを受けていた等々、興味深いお話を伺ったこともある。私はこういう類の世間話が大好きなので、いつかじっくり話を聞いて記録を残しておきたいと思っていたのだが、子育てに忙殺されている間にそれも叶わなくなってしまった。いつか、そのうち、というのが、段々できなくなってくる。
編集会議で休日出勤。昨年から始まった定例会議が二つあるのだが、今日はその一つの十三回目。このペースで行くと、この先数年は月二回の休日の会議を続けることになりそうだが、とりあえず今年はこれで終わり。
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夕方、新宿に寄って娘のクリスマスプレゼントなどを準備。女の子なのになぜか「トミカ」がご所望だったので、伊勢丹のおもちゃ売り場にて購う。その後、駆け足で三越、高島屋とはしごしたのだが、びっくりするほど閑散としている。ボーナス直後のクリスマス前、しかも新宿だというのにこの体たらく。いわゆる地方デパートはそれ以上に厳しいらしい。十数年来続くデパートの不調をいまさら大げさに言う気もないのだが、外からユニクロを覗くと、レジに行列ができているという対照的な光景だった。これは、明治末期から続いた
経済成長と人口増加
→サラリーマンの増加
→郊外通勤者の増加
→私鉄の発達と宅地の造成
→ターミナル駅前のデパートと私鉄沿線の娯楽施設(野球場や遊園地)の造営による大衆消費文化の発展
という成功モデルが完全に過去のものになったということで、私鉄経営のプロ野球球団が減少していった頃からすでにその兆候はあったのだろうが――この数年でプロ野球はなんとあっけなく娯楽の王様の地位から滑り落ちたことだろう――、私もその時代に生まれ育ったものの一人として、衰退しつつあるものへの哀惜めいたものを感じる。
学研の『科学』と『学習』が休刊になるそうな。小学館の『小学○年生』も同様らしいが、個人的には学研の方が比較にならないほどショックだ(ちなみに私は完全に『科学』派)。全盛期は全学年あわせて六七〇万部くらい出ていたのが現在ではその十分の一以下になっていたそうで、理由としては少子化とか子供の関心領域の多様化とか、まあ、それは別に間違ってはいないのだが、つまるところ日本社会全体が科学に夢を託せるほど若くなくなってしまったということだろう。かつての科学が夢見た未来は、確かにかなりの程度、あるいは想像を超える形で達成されてしまったのだとも言える。
書店売りはしていなかったので、様々な販売形態があったようだが、私の場合は近所の販売代行をしている家に買いに行くというシステムになっていた。発売日が近づくと覗きに行って、「まだ来てない」「もう来てる」などと一喜一憂していた。本誌も付録も大好きだったが、とりわけ、写真セットで現像液に浸した印画紙に画像が浮かび上がってきた時の興奮、電池を使わない鉱石ラジオから音が聞こえてきた時の驚きなどは忘れられない。娘が小学校に入ったら購読しようと密かに楽しみにしていたのだが……。大げさに言えば、日本の科学技術を担う人材を育成するシステムが一つ失われてしまったような気がする。
http://shop.gakken.co.jp/kg/kagaku/
書店売りはしていなかったので、様々な販売形態があったようだが、私の場合は近所の販売代行をしている家に買いに行くというシステムになっていた。発売日が近づくと覗きに行って、「まだ来てない」「もう来てる」などと一喜一憂していた。本誌も付録も大好きだったが、とりわけ、写真セットで現像液に浸した印画紙に画像が浮かび上がってきた時の興奮、電池を使わない鉱石ラジオから音が聞こえてきた時の驚きなどは忘れられない。娘が小学校に入ったら購読しようと密かに楽しみにしていたのだが……。大げさに言えば、日本の科学技術を担う人材を育成するシステムが一つ失われてしまったような気がする。
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八日から十日にかけて、今年三度目の博多出張。中洲で一時半までVIPと飲んだり営業支援のため北九州にまで車で足を伸ばしたりと、なかなかのハードスケジュール。私はペーパードライバーなので、運転は同行したT氏に任せきりだったのだが。最終日は大雨に祟られ、低気圧とともに北上して東京に戻る。
クリスタルキングの「大都会」という曲は福岡市が舞台らしく、初めてそれを知ったときは意外の感を覚えたものだが、何度も訪れていると博多という街は大きすぎず小さすぎず、それでいて人や街並みには華やかさもあって、暮らすにはいい場所かもしれないと思うようになった(あくまでも一般論として、だが)。
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Googleが日本語入力システム(IME)の無料提供を始めた。マイクロソフトのIMEがあまりにも頭が悪いので(しかもどんどん悪化している)、私は公私ともども十五年以上ジャストシステムのATOKを愛用してきたのだが、会社の若い者に教えられてちょっと試してみた。結論から言うと、これはATOK以上にすごい。特に固有名詞の変換効率は比較にならない。しかも無料。これは使い慣れてきた頃に有料化するとか、そういう戦略なのだろうか……と、どうしてもGoogleには警戒感を持ってしまうのである。
クリスタルキングの「大都会」という曲は福岡市が舞台らしく、初めてそれを知ったときは意外の感を覚えたものだが、何度も訪れていると博多という街は大きすぎず小さすぎず、それでいて人や街並みには華やかさもあって、暮らすにはいい場所かもしれないと思うようになった(あくまでも一般論として、だが)。
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Googleが日本語入力システム(IME)の無料提供を始めた。マイクロソフトのIMEがあまりにも頭が悪いので(しかもどんどん悪化している)、私は公私ともども十五年以上ジャストシステムのATOKを愛用してきたのだが、会社の若い者に教えられてちょっと試してみた。結論から言うと、これはATOK以上にすごい。特に固有名詞の変換効率は比較にならない。しかも無料。これは使い慣れてきた頃に有料化するとか、そういう戦略なのだろうか……と、どうしてもGoogleには警戒感を持ってしまうのである。
冷たい冬の驟雨の中、ようやく本日より一家三人とも社会復帰。期せずして残っていた夏休み(!)を使い切ることができた。私は結局インフルエンザには感染しなかったようだが、何となく頭が重い。家でメールと電話で断続的に仕事を続けてはいたが、久々に出社すると机の上は書類だらけ。捌いているだけで半日過ぎてしまった。
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昨日、平山郁夫氏が死去との報。代表作とされる「仏教伝来」というのが私の故郷の街の美術館にあって、何度か見た記憶がある。
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勝目梓『小説家』(講談社文庫)読了。やたらと多作なバイオレンス小説で有名な作家くらいの知識しかなかったのだが、この自伝的作品は玄人筋からの評判が良かったので読んでみた。高校をドロップアウトしてから炭坑夫や運転手などさまざまな職を転々としながら純文学を志し、妻子を捨て愛人を捨て、挫折の中から官能バイオレンスノベル作家という職業的小説家に方向転換し、成功後もさらにまた新しい妻子を離れるという業の深い人生……ではあるのだが、どこかカラッとしていて陰惨な読後感がない。橋本治が「作家というのは、肉体労働なんです」とどこかで書いていたが、つまり、観念と肉体性のバランスがよい文章なのである。
書くことはスポーツと同じであり、たゆまぬトレーニングの積み重ねが成果を生むのだ、と彼は考えることにしていた。あるとき天啓のようにインスピレーションが湧いてきて、一篇の作品が一気に書き上がるというのは、天才的な才能の持ち主にしか起きないことであり、自分がそれほどの天分に恵まれているなどとは、彼には到底思えないのだった。
スポーツ選手の日課のトレーニングのようにして、毎朝に時間余りを机に向かって過ごすことができないようでは話にならない、と彼は自分に言い聞かせつづけた。…… (p.289)
これは鹿児島から東京に出て運転手として働いていた頃の心象描写だが、こういう態度――人文学的痩我慢というか、健康的なストイシズムというか――は、私は率直に好きである。
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昨日、平山郁夫氏が死去との報。代表作とされる「仏教伝来」というのが私の故郷の街の美術館にあって、何度か見た記憶がある。
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勝目梓『小説家』(講談社文庫)読了。やたらと多作なバイオレンス小説で有名な作家くらいの知識しかなかったのだが、この自伝的作品は玄人筋からの評判が良かったので読んでみた。高校をドロップアウトしてから炭坑夫や運転手などさまざまな職を転々としながら純文学を志し、妻子を捨て愛人を捨て、挫折の中から官能バイオレンスノベル作家という職業的小説家に方向転換し、成功後もさらにまた新しい妻子を離れるという業の深い人生……ではあるのだが、どこかカラッとしていて陰惨な読後感がない。橋本治が「作家というのは、肉体労働なんです」とどこかで書いていたが、つまり、観念と肉体性のバランスがよい文章なのである。
書くことはスポーツと同じであり、たゆまぬトレーニングの積み重ねが成果を生むのだ、と彼は考えることにしていた。あるとき天啓のようにインスピレーションが湧いてきて、一篇の作品が一気に書き上がるというのは、天才的な才能の持ち主にしか起きないことであり、自分がそれほどの天分に恵まれているなどとは、彼には到底思えないのだった。
スポーツ選手の日課のトレーニングのようにして、毎朝に時間余りを机に向かって過ごすことができないようでは話にならない、と彼は自分に言い聞かせつづけた。…… (p.289)
これは鹿児島から東京に出て運転手として働いていた頃の心象描写だが、こういう態度――人文学的痩我慢というか、健康的なストイシズムというか――は、私は率直に好きである。