牛込日乘

日々の雜記と備忘録

電子書籍時代の××

2010-05-30 23:31:36 | Weblog
 いつの間にかこんなに月日が……。気がつけばリアルタイムでツイッターの時代になっているようであるが、どうも今ひとつ乗り切れていない。



 で、五月二九日は東大本郷キャンパスにて、ある電子書籍をめぐるワークショップが開催されたので行ってきた。前日にiPadが発売されたばかりで、百人くらいの参加者の中にもすでに十数人が手にしているという状況。現時点でiPad所有率がこれほど高い会合はあまりないだろう。特設コーナーでは実際にiPadとKindleを触ることができた。個人的には、むしろKindleのインパクトの方が強かったのだが、それは表現能力の違いによる。Kindleで使われているのは電子ペーパーというもので、見た感じが紙の印刷物により近い。それに対してiPadは「単なる大きいiPhone」というのが的確な液晶画面で、キレイといえばキレイだが長時間見ていると目が疲れそうである。それに、結構重いし、落とすとすぐに壊れてしまいそうな脆弱感がある。Kindleはモノクロ表示のみ、バックライトもなしというシンプルなインターフェイスなので(しかも軽い)、普通の書籍を読む分にはこれで十分な気がする。

 ワークショップは電子書籍や教材コンテンツ、教育の世界に詳しい人たちがビジネス志向にも学術志向にも振れすぎずにバランスよく現状やら展望やらを解説してくれていて、それなりに面白い内容ではあったが、非常に乱暴に言ってしまうと、これからのことは「よくわからない」。状況は思ったより早く変わると言えなくもないが、変わらない可能性も少なくない。まあ、つまり、これからどうするのかはここにいるあなた方にかかっているのですよ、ということである。さあ、どうしようかね?

 一つ言えるのは、教育という世界では建前として機会の平等が非常に重視される。いわゆる格差の拡大の中で情報環境の格差というのも大きく広がっているように思うが、つまり誰もが経済的理由も含めてブロードバンドだWi-Fiだ、ツイッターだユーストだなどという(浮かれた)話に入ってこられる(あるいは入ってきたいと思う)わけではないので、民間企業が主導的な立場で市場を広げるのには限界があるのではないかということ。斯界のビジネスリーダーたちがどれだけ「正論」を吐いても、水を飲みたいと思っていない馬に水を飲ませることはできないのである(You can lead a horse to water, but you can't make it drink)ということを、いくつもの実例を思い出しつつ再認識するのだった。

 それにしても、iPadはちょっと騒ぎすぎだろうし、日本では言われているほどすぐに世の中を変えるとも思わない(色々動きはあるものの、現時点では何しろ英語圏に比べて読めるソフトが少なすぎる)。アップル社はiPadで読めるコンテンツを規制する(している)らしいので、建前の世界で展開される教育業界や公的情報の提供に関しては大きなプラットフォームになりうるとは思うが、新しい情報ツールが社会の隅々にまで浸透するにはなんと言ってもエロの力が必要なので、いつまでも検閲者気取りでいると足下をすくわれるだろう。逆に、何でもありのゆるーいコンテンツ提供プラットフォームを持った端末が出てくると面白い。これも時間の問題だろうが、ヨーロッパではもっと自由なWePadというのが出たらしいので、訴訟沙汰になるかもしれないという点も含めて動向を注目したい。