「私は、どんなものであれ、何のためにあるのか分かりません」
全てのものを自我の観点からしか見ていない。
布団 → 心地よく寝るため
ランドセル → 娘のかばん
歯磨き粉 → 歯を磨いてすっきりするため
・・・・ endless
どう見たってそれらに、それ以外の目的は見出せない。
せいぜい、違う「使い道」とか、作る人から見れば「材料」「製品」、
売る人からすれば「商品」、もっと遡れば、植物、原料、、、
使えなくなれば、粗大「ゴミ」か、燃えるゴミ。燃やせば「灰」
そして空中に。。人間もまた同じ。
こうやって、破壊するものばかりを見ています(レッスン22)。
やはり。それが自我の観点から見ているということですね。
真実は、「霊として分かち合っている」
どんな人も、本来はそれ ↑ をやっているんだろうなぁ、と思います。
それを信じきる練習をしています。信じていればここに書かないはず
なのでね。
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