ピアノはまだ止められません。止めることが目標でもないですが。
理想は、指・体が勝手に奏でてくれる、です。
要するに、奇跡講座の実践です。神に頼るのが目標、ということになる。
今、ピアノを弾いているのは完全に自我の私です。
肉眼で譜面を読み、昨日と比較しながら弾ける方法、手の形、
自分メソッドを駆使して、過去の残念な私を思い出しながら、
いつも嫌なことばっかり言ういとこたち、完全無視な家族、
上手なクラスメイト、先生たち、を回想し、いいねと言ってくれるかな
いつか職業に出来ないか、リベンジ・・・。
練習が上手くいっても、かつてのクラスメイトたちは
「手癖」や「慣れ」で弾いてるね、って言うだろうな
という自分へのジャッジ。
それらを思い付く私に騙されっぱなし。それこそが私、と
信じていることが、もしかしたら聞いてくれる人たちを
拒絶している。
はぁ。続けられてるから続けます。
弾くな、と言う人もいないので続けます。まだ楽しいので続けます。
ピアノを再開した10年前、ベートーベンを弾くことが
目標でしたが、そう言えば今、弾いてるなと思います。
めちゃくちゃなレベルで練習しまくったバッハ、モーツァルト
スカルラッティ、の修正が大変ですが、最近譜読みを始めた
ものは楽しくて時間が足りません。
相変わらず、曲にならんのですが、曲になるよう練習したい。
バッハのフランス組曲の中の、アルマンド、ジーグ、サラバンド、
メヌエット、ガボット、ブーレ。ポロネーズ、ワルツ
一生弾いてもダンスミュージックにはならない。その決定的な条件。
それが神の域。
モーツァルトはオペラ、ベートーベンは交響曲(シンフォニー)が
目に見える最終目標になるのかな。
シューベルト、シューマン、ショパン、ドビュッシーになるともう
その人、そのものの世界観を垣間見ることが目標になりそう。
ラベル、サンサーンス、サティ、モシュコフスキー、カバレフスキー
触れる日が来るのだろうか?
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