誰かに対して怒りが沸いたとき、
それは「依存」なんだなと思った。
社会に私が活躍できる場所はない。
その怒りもおそらく依存なんでしょう。
社会がなんとかしてくれるだろう、
夫がなんとかしてくれるだろう、
親がよくしてくれるだろう、
いざとなったら。
その淡い期待こそが「依存」なんだ。
その期待が思ったようにならなかったとき
怒りとなる。
なんとかする。私変わらないと!
なんとしてでも。
在り方が、とか、エゴが、とか、
霊的成長が、とか、もんもんと
考えてるだけじゃだめなんでしょうね。
くぅぅぅぅ。
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