もっきぃの映画館でみよう(もっきぃの映画館で見よう)

年間100本の劇場鑑賞、音声ガイドもやってました。そんな話題をきままに書きます。ネタバレもありますのでご注意を。

かぞくのくに ヤン・ヨンヒ監督は、フィクションでもすごいんです。

2012-08-19 00:10:28 | その他(邦画)
【序】
個人的に興味のある北朝鮮、ヤン・ヨンヒ監督のドキュメンタリー
「ディアピョンヤン」を見ていたこと、井浦新、安藤サクラ主演
ということで、この夏一番の期待作。見事期待に応えてくれました。

【ストーリー、gooから要約】
1970年代に帰国事業により北朝鮮へと渡った兄・ソンホ(井浦新)が
病気治療のために、3ヶ月間の日本帰国が許された。25年ぶりに
帰ってきた兄と、日本で育った妹のリエ(安藤サクラ)と、両親との
家族だんらんは、微妙な空気に包まれていた。一方、医者からは
3ヶ月では治療できないと告げられる。なんとか手立てはないか?
奔走するリエたち。そんな中、兄に、明日帰還するよう電話が
かかってくる。 [2012年8月4日公開]

【背景(1):1997年-兄の帰ってきた年】
病気治療?そんなことで帰国できるの?との違和感があるものの、
総連幹部+多額の寄付+時代背景の3つセットの超特別なケースか?
1994年金日成死亡から3年、金正日が総書記になった年であり、
帰国事業で北へ渡った日本人配偶者の里帰り事業が行われたのも
この年でした。(2000年までで累計43名が1週間程度日本滞在)
1997年は、「横田めぐみ拉致事件」がそれまでになく大きく報道され、
被害者家族連絡会が結成、警察庁が北朝鮮による拉致疑惑を
「7件10名」と発表した年でもあります。小泉訪朝で、北朝鮮が
拉致を認めたのが2002年。今では、ミサイル発射や経済制裁中でもあり、
病気治療の帰国は夢の夢でしょう。

【背景(2):1972年-兄の出発した年】
帰国事業と聞くと、思い出すのが、吉永さゆりが女子高校生ヒロインを
演じた1961年「キューポラのある街」。確か、友人が、帰国事業で
北へ渡ることになり、駅で見送るシーンで「金日成将軍の歌」が
流れていたように思います。帰国事業は、1959年~1984年で、合計93340人。
最初の2年で75000人、と聞きますから映画の頃はまさにピーク。
1967年までに89000人、その後中断を経て1971年に再開。
兄が出発したのが、逆算で1997の25年前1972ということは、
既に「地上の楽園」説は崩壊、北からの指名などで“やむにやまれず”
行くパターンが多かった時代のはずなのだが・・・。

【家族の団欒に涙をさそわれる】
25年ぶりに帰国した兄を迎えての最初の食卓は、秀逸。父母兄妹
それぞれの演技が光るが、夕食となれば母親の出番。嬉々として、
ハンバーグをお皿に盛る、母・宮崎美子の表情は泣かせてくれる。
いつもより、やせて(やつれて)見えるのは気のせいか?役作りか?
(注:「いまの君はピカピカに光って~」とジーパンを脱ぎ脱ぎした
CMの時と比べているわけではありません。)息子の好物をつくって
やれる母としての喜びに溢れているとともに、多くの家族・両親が
このような機会を得ることなくなっていっただろうことを思うと、
何と残酷な運命だろうと思います。父親の方向をさけて横を向いて
ビールを飲む兄の「日本のビールうまい。」という言葉、
妹のしぐさ、父親のまなざし。全てが宝物のようなシーンだ。

★ここから、ネタバレがはじまります。★

ストーリーとしては、予告で既に、突然帰国の命令がでているように、
映画は実際に実家をはなれてゆくシーンで終わっているので、
予告そんまんま。でも、ストーリーが分かっていても、各シーンごとの
細かいところに見所があります。それについて説明しだすとどうしても、
ネタバレになってしまいますので、ここから先は、ネタバレ満載です。
ご理解の上、読み進めるかご判断ください。

1.こうしたかったを映画で実現
内容からして、ずっしりと重いのは当然ながら、見るほうとしては、
実際とは違うけれども、こうしたかったという演出の部分でかなり
助けられた気がします。ラストの見送りのシーンについては、
監督は『(実際の)私はなにも出来ずに立っていただけなのです。』
と言われ、映画撮影時に『何かアクションで反抗してほしい』と言い、
安藤サクラのアドリブで出来上がってしまったとのこと。実際には
何も出来ずという方がリアルなんだけど、そういうシーンばっかりだと
フラストレーション溜まりまくるので、劇映画としてよかったと
思いました。他にも、兄が父に対して感情をむき出しにする場面や、
兄の元彼女・スニとの会話『このまま二人できえちゃおっか?』
『スニには、笑っててほしい。ずっと笑っててほしい』とか、
劇映画としてよかったと思いました。
(最初の食事のシーンの最後の、妹の兄に対するセリフも、
気が利いているなあ、こんな言葉がこの場ででればいいなあと
いうようなセリフだったんですが、何と忘れてしまいました。
覚えてられる方、是非教えてください。)

2. 朝鮮総連帝国ってあったのかなあ?
今の朝鮮総連はともかく、昔の朝鮮総連には、生活に必要な組織は、
何でも揃っているというイメージを、私は持っていました。学校は
各都道府県にあるし、銀行も、旅行会社も、お買い物も、
娯楽(パチンコに限らず)も、何でも朝鮮総連系の組織「帝国」の
なかでできると。なので、この映画でお医者さんが
「韓国の方ですねぇ。」というセリフを聞いたときには、ちょっと
びっくりしました。南も北もわからない病院?「地上の楽園」では
ないけれども、私の想像していた「朝鮮総連帝国」って昔から
なかったのか、1997年なので崩壊後なのか?

3.スパイ調達が目的?
兄『今後、たとえば たとえばな 指定された誰かに会って、
話した内容を報告するとか、そういう仕事する気あるか』

う~ん、なんだか、うっかり、『は~い』と、言ってしまいそうな。
監督は、パンフで実際にあった話であること、又別のインタビューで、
自分をスパイにしようとするなんてミスキャストだと答えています。
でも、受け入れる可能性は別とすると監督は結構スパイの資質ありでは?
スラリとした美人で、女優でもあるし、色仕掛けやったら男性はコロリ。
その後の、ニューヨーク生活6年、映画監督としての活躍をみても、
サバイバル能力も、知性もOKで、北の目のつけどころ鋭かったような。
まあ、それはともかく、ここで浮かんでくるのは、治療目的の帰国が
実現した条件として前述の「総連幹部+多額の寄付+時代背景」の他に、
「スパイ調達」指令があったのかなということ。そう考えると、
次の謎も理解できます。

4. 突然帰還の理由
スパイにならないかとの話があって、憤慨した妹は、家の前の車にいる
北朝鮮からの監視員のところに行って
『あなたも あの国もだいっきらい』と叫び、
監視員は『あながたきらいなあの国で、お兄さんも、私も
生きているんです。死ぬまで生きるんです。』と返し、
車に乗ってスーッと夜のなかに消えてゆく。
その後、本国へ『工作員獲得に失敗しました。』と連絡するシーンは
なかったけれど、そういうことではないのかな?
監督は、パンフに載っていたインタビューで、
『現実に、なぜ兄は突然呼び戻されたのか?』との問いに
『突然電話がかかって来て、それだけです。理由は今も判りません』
と答えている。映画のなかでも、全員帰還ということ以外、朝鮮総連も、
監視員も、呼び戻された理由は把握できていないようであった。
でも、私が映画をみて、「スパイの拒否」と「突然帰還」を結びつける
ぐらいだから、監督もひとつの可能性として、それは考えている
ことでしょう。ラストシーンは、兄が実家から空港へと移動する車中。
果たして、空港では今回来日した全員が揃っているのだろうか?
もし、揃っていなかったらその人はスパイの獲得に成功したのだろうか?
兄は、スパイ獲得に失敗すれば即刻帰還になると知っていたのだろうか?
知っていたとすれば、妹の口封じをなぜしなかったのだろうか?
盗聴マイクをつけさせられていたのだろうか?
永遠と答えのない疑問が続き、人間不信へと陥ってゆく、
恐ろしい国だと改めて思った。


【追伸】
今回、映画をみてネットをいろいろみているうちに、見つけた興味深い記事2つ。

【「北朝鮮と私、私の家族」 ヤン・ヨンヒ監督インタビュー 1
~映画「かぞくのくに」を撮ったヤンさんに聞く(聞き手 石丸次郎/アジアプレス)】

  パンフに載っていた、ベルリンでのワールドプレミア後のインタビューを
読んで、若干の物足りなさを感じていたのだが、このインタビューまだ連載中
ながら、聞きたいところをズバリと聞いてくれています。流石は、
「朝鮮世界の現場取材をライフワークとする。」石丸次郎氏。

例えば、背景2のところで書いた疑問に関連して、石丸氏は、70年代帰国者
に対して60年代帰国者が「何で今頃帰国して来たの?朝鮮がどんな所か、
まだわかってなかったの?」と言われたという話を前振りして
72年の兄の帰国について聞いていますが、そこで、監督は、
なんと以下のように答えています。
『72年の3月に金日成の60回目の誕生日の「プレゼント」として行きました。
朝鮮大学校で200人を帰国させようとしたそうなんですが、そのうち100人が
断わったので、どうしても残りの100人を確保せなあかんということで、
総連組織が長男を指名したんです。』等々読み応えのある記事満載です。
http://www.asiapress.org/apn/archives/2012/08/06124951.php

【Wikipedia 小泉純也】
小泉元首相のお父さん。帰国事業を主導していたんですね。
社会党、共産党が主導で、自民党は関係してないのかと思いきや、
小泉元首相のお父さん、又鳩山由紀夫元首相のおじいさんも
主導していたとのこと、知りませんでした。小泉訪朝が実現したのも、
お父さんの流れの影響があったのかも。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E7%B4%94%E4%B9%9F

Dear Pyongyang - ディア・ピョンヤン [DVD]
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ディア・ピョンヤン―家族は離れたらアカンのや
アートン


北朝鮮で兄(オッパ)は死んだ
七つ森書館




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