日々思うこと

日々の暮らしの中で、心に留めた様々な思いを、書き込みます。

久しぶりの零式

2010-06-30 21:36:46 | Weblog
新曲が次々に出てくる零式

リーダーの麦ちゃんは 毎日のように曲が天から降ってくるそうだ

其の曲をまとめて バンドの仲間と選曲する



昨年からギター早引きの みっちゃんが入り

益々選択曲が増えている

盛んにツアーを組んでいた頃も

少し落ち着いた今も


毎週1回のスタジオ入りは変わらない

長い付き合いから

5人のメンバーはみんな自分の子供のようだ



久しぶりのライブは

夫と私の活力源になっている



ありがとう零式!次のライブは7月3日

「ギビング ユア ザ ライット」

ヘブンズロック宇都宮に集合だ


ワールドカップ戦に思う

2010-06-29 23:17:05 | Weblog
今夜もサッカーで世界中が盛り上がっている

パラグアイと日本

今の時点でどちらが勝利するか分からないが

選手たちは誰も駆け回り頑張っている

野球にしてもサッカーにしても

男の子なら一度はやってみたいスポーツだろう


しかし 我が家の二人の男子は余り興味がなかったように思う

と言うより スポーツ音痴の両親の下に生まれてしまったために

スポーツが楽しい物だと言うことに

気がつかなかったに違いない


長男はバーべキューなど アウトドア派

二男は音楽に進んだ


今夜もサッカーを見ながら

選手の親は心臓が止まる思いで見ているんだろうと

我がことのように汗をかく


正直言って

我が子がバーベキューや音楽で良かったと

内心思う

こんなにはらはらする動きを見ていると

体に悪い


とにかく


日本頑張れ!

カシワアジサイ

2010-06-28 22:27:24 | Weblog
3年前 保育園の園長先生から頂いた

カシワアジサイの1本の枝

花が終わってから 土に挿した

昨年見事に一輪咲いたが 今年は沢山花をつかせた

このところの雨で 枝が垂れさがり苦しそうになったので

見かねた夫は 切ってしまった

しかし あの小さな枝から こんな大きな房をつける

生命の力強さを感じている



一時間半の家出

2010-06-26 22:04:51 | Weblog
昨日は結婚44年目にしてはじめて家出を試みた

最近の夫は 朝早くから 夕方7時ころまで

植え木や草花の手入れなど これでもかーっと言わんばかりに

働いている


そんなに働かなくてもいいのに

急がなくてもいいのに とついつい言葉が出てしまう


聴力が40%のせいか 話が食い違い

気分の良い時と 疲れている時では

理解と判断がかなり違ってくる

自分の都合に合わせて理解しそうな時に

指摘されるのがとても嫌らしい


昨日もほんの些細なことから 怒らせてしまい

深みには居る前に 思い切って車に乗った


少しの怒りと 初めてのアクションにちょっとスリルを感じて

走った


しかしいざどこかに行こうとしても

大したテリトリーもなく 結局ムービックスの裏の駐車場で

頭を冷やすことにしたが

目の前で若い二人のラブシーンが始まり

そこにもいられず 結局1時間半で家では終了した



しかし それなりの効果はあり

火山噴火は沈静した


クリームシチューを温め おなかを満たしたあと


明日兄の17回忌の法事の準備を始めた

お布施の袋を用意したり食事会にもっていくものを揃えたり

のんびり喧嘩をしている時間がなかったことに気がついた



初めての家ではたった一時間半で終わったが

なかなか悪くもなかった?


くすぶらないでアクションを起こしてみるのも

案外いいかもしれません



癖にならないように気をつけよう!

贈る言葉

2010-06-25 21:40:18 | Weblog
何年振りかで瑞穂台小学校の裏門に行った

そこは毎日シバ犬のランと散歩した懐かしい場所

台小の裏門から校舎の3がいを見上げると

音楽室で毎日吹奏楽の練習をしている拓也の音が聞こえるところだった

顔は見られないが 先生の声や 子供たちの騒がしい声や

拓也が叩くパーカションの音が聞こえる

楽しいひと時を過ごした場所だった


あれからもう18年過ぎ

今は大好きなドラム講師となり 自分のライブや

スタジオミュージシャンをして

何とか生活が出来るようになっている


家族を持ち なんだかんだと苦労もあるだろうが

自分で選んだ道だから これからも

頑張れ!という言葉を 拓也には贈ろう



長男雅光は

何時も大きい心で 私の小さな心の動きもさりげなく受け止めてくれる

気は優しくて力持ちの 人間に育っている

マー君には 有難うと言う言葉を 贈りたい


長女純子には

初めて母になった私が

私の価値観を押し付け 

自分の道が分からなくなってしまうほど 可愛そうな青春を送ってしまった

純子には ごめんなさい を贈ります


そして自分には?

学もなく 財もなく 人脈もなかった私が

暗中模索しながら 生活のやりくりから 子育てまで

精一杯突っ走ってきた

頑張ったね お疲れさんと 褒めてあげたい・・・

こんなことを考えていたら

胸が熱くなった



年月が過ぎてまた同じ場所に立つとき

今度はどんな言葉を送れるのか

贈られる言葉にふさわしい自分になりたいな

と思った


光陰矢のごとし

毎日は確実に過ぎている











怪獣こなつパートⅡ

2010-06-24 19:54:48 | Weblog
つくばの麗羅ちゃんの家に遊びに行った

初めての訪問だった しかも はとこに当たり

女の子同士


麗ちゃんは2カ月 こなつは9カ月

こなつだけ見ていると分からないが

2か月の赤ちゃんと比べると ずいぶん大きくなっている


初めての家でさんざん遊びまくり

麗羅ちゃんと張り合っているらしき行動が

おかしくて可愛かった


大人になっても自分だけ見てほしいという気持ちは

だれでも持っていると思うが

こんな小さい こなつ でも

自己主張している人間の本能が可愛い


一日大人たちに気を使って

笑顔を振りまいてくれた こなたん

ありがとうね お疲れ様!

初めての里帰り

2010-06-23 10:41:39 | Weblog
3年ぶりに故郷に帰ったふみえさん・・・

迎えられる方も迎える方も 感無量だ

今日のゲゲゲの女房の里帰りの場面は 感動だった

こんな思いを私もしていたのかな?と振り返る


すっかり忘れてしまった


そういえば娘が結婚して初めての里帰りをした時も

どんなだったか覚えていない


ン?感動を忘れるなんて

やっぱりダメ母だー!

ドラマを見て 沢山の忘れていたことを思い出し


ありがとう ありがとう と

いきものがたりの主題歌を かみしめた

怪獣こなつのダウン

2010-06-20 20:56:34 | Weblog
ママから写メールが送られてくる

それは こなつ の成長している喜びを

共用させてくれる贈り物だ

しかし こなつの成長は目覚ましく9か月に入って

もう伝わり歩きが出来そうだ

発音ははっきりしていないが パパ ママ ばーばなど

その場に合わせて言葉を出している


おむつもパンツ型になり

顔立ちも女の子っぽくなってきた

はいはいでどこにも行ってしまい

危なくて目が離せない


上下の歯も出てきて 何でも味見をしている

先日は パパの煙草を食べてしまい

救急車騒ぎになったらしい

本人は少しも悪気なく?看護婦さんたちに騒がれて

嬉しそうだったらしい 大物だ!


今日は暫くぶりに訪問したが

散々動き回った後 ついに力尽きて?

布団にのめり込んだ

この後 右手に哺乳瓶 左手に お気に入りのタオルを握り

あっけなく昼寝した


あんなに動き回っては さぞかし疲れたろう

見ているだけでも十分疲れた


可愛いけれど子育ては大変だ

1歳を過ぎて よちよち歩きだすと更に大変になると思う

体力勝負の毎日だ



自分の時は夢中で子育て家業をしてきたが

すっかり忘れてしまった今

ただただ感心するばかりだ


人ごとのように言ってしまうけど お疲れ様です


そしてありがとう

あじさい便り

2010-06-18 19:57:27 | Weblog
今年も我が家の庭は 紫陽花の花でにぎわいます

白 ピンク 薄紫 スカイブルー などなど

花弁も様々でどの花を見ても 感動します

紫陽花は 古い枝から今年でた新芽に花が咲くので

花が咲いた後の枝の処理は間違わないように!


写真のアジサイ

白い花は 挿し木から根がつき花が咲きました

ピンクの花は 5年ほど前に娘が母の日に贈ってくれた物

あまりにも綺麗に咲いているので

思わず切ってしまいました


これから陽射しが強くなると

花が弱るので 庭中にテントを張ってあげたいくらいですが

そうもいきません

毎年同じ時期に 我が家に会いに来てくれると思うと

いじらしくてたまりません


今夜はアジサイを絵手紙に残します

改正貸金業法

2010-06-16 08:26:14 | Weblog
難しい漢字が並んでいる法律があるんだと思った

昔も今も生活が苦しい時は 藁にもすがる思いで

いろんな方法を考えお金を作る

大抵の場合 楽に手に入る方法を選ぶ



私が子供のころのこと

父は戦災で理髪業を廃業し縁があって電力会社に就職したものの

十二指腸潰瘍を患い退職した後

さまざまな職業を体験することになった

もともと散髪行で職人気質 まして江戸っ子なので

生活に計画性も薄く

宵越しのお金は持たないことを美徳にしていたのだから

暮らしを守る母の苦労は半端ではなかった


五人の子供を抱え

内職で生計を立て なりふり構う暇もなく働いていた

洗濯機も炊飯器もなく 水の確保は八軒共同の井戸だったし

週1回の銭湯の終い湯に入るのが唯一

母の楽しみだったに違いない


しかし何年か経ち

小学校の同窓会で 

あの頃の自分たちの思い出を語り合った時

大なり小なり みんな苦しかったと聞き

終戦後はみんなそうやって乗り越えてきたんだなーと

納得したものだった




そして自分の家族が出来て

子供にはおなかいっぱい白いご飯を食べさせたいと

不自由はさせたくないと

娘は自分の家から 嫁に出したいと

夫もがむしゃらに働いてくれた

家のことはほとんど私が一人で やってきた

母子家庭のような毎日だったが

何とか自宅を手に入れ 希望は一つずつかなえていった



昭和62年 夫の左耳に真珠性中耳炎が見つかり

もう少しで髄膜炎に入る寸前に発見され 

手術で命は助けられた



3か月の入院中 3人の子供の学費 住宅ローンなど支払いは迫り

かなり緊迫した時期があった

お金だけは借りたくないと頑張ってここまで来たが

今回だけは・・・と実家に電話をかけた



「もしもし こんにちは」と言葉を出した

「どうした?何かあったのか?」と父が言った

「なんで?」と聞き返すと

「お父ちゃんはな お前の寝息一つも忘れていない

普通ではないことくらい分かるよ 最近いくら電話しても

誰も出ないし どうしているかと心配していたんだよ。」と・・・



結局無心は出来ず 夫が3か月も入院していることや

子供たちが元気でいることなどを伝え

電話に出られなかったのは 病院へ毎日通っていたからだと

心配掛けるから 誰にも連絡しなかったし

している暇もなかったことを詫びた



子供のころから母がお金に苦労しているところを見ていたし

母の着物から 私の腕時計まで すべてお金に換えて

ばくちで貧乏を立て直すぞと 

間違った努力の結果

自宅も高利貸しの担保になり・・・・

と言う状況の中で お金を借りることの恐ろしさは

身にしみていたので

たとえ一円でも親や兄弟からも借りてはいけない

ことを魂の奥深く言い聞かせて ここまで頑張ってきた



が、最近ではカードで簡単に借りる方法があり

借りれば返すことの責任の重みが 分からなくなりつつある

楽あれば 苦ありだから

借りる前に もう一度生活の見直しをして見れば

まだまだ倹約や 節約ができることが沢山ある

更に その節約などの工夫が楽しくなってくると

貧乏神が居なくなる(笑って暮らすと貧乏神の居場所がなくなる)




お金を使わず 心を使って

乗り切る努力をしてほしい

苦あれば 楽あり なのだから・・・


今日の日記は長々と書きこんでしまいました

ローン地獄に落ちないように 

日々の暮らしを頑張りましょう!