日々思うこと

日々の暮らしの中で、心に留めた様々な思いを、書き込みます。

花も 実も 。。。。

2008-01-30 21:39:45 | Weblog
 今日は用事があって 知り合いのお宅を訪問した。
南向きで 道路沿いなので 太陽の光が十分いきわたる所に、いつも
四季折々の花や、果物が 迎えてくれる。

この季節は、金柑の枝についた実が 眩しく光っている。

そういえば・・・確か我が家にも一本 金柑の木があったはず。ロマンチック村の
植木市で たくさんの実がついていた木を かって来たはずだった。

陽のあたる場所を選んで植えたのに、まだ 二つ実がなった記憶しかない。

それから、山茶花も かれこれ25年も植え込んであるのに 数えるほどしか
咲いたことがない?

やっぱり・・・原因は一つ。お父さんが いつも選定をしてくれる?からだと思う。

働き者の夫は、庭の落ち葉も 一枚一枚丁寧に拾い、腐って草が生えないように
気をつけているらしい。

私といえば、そのうち 神様の大掃除があるからね。と言って、風が吹くのを待っている。

夫にしてみれば、たとえ表でもきれいの方が気持ちよいから、当てつけでなく
自分たちが住んでいる環境のために きれいにしているようだ。脱帽!

しかし!・・・綺麗好きもよいが、植木ばさみを持ち パチンパチンと始まると、
止まるところがなく?あそこもここも きれいに選定?してくれるから、
たまったもんじゃーない?

確かにいつも 風通しがよく 植木のためにはいいのかなー?でも。。。
山茶花も咲かないし 金柑も実がつきません。

たぶん我が家の植木たちは、夫がハサミを持って歩き出すと びくびく?しているのではないかと思います。

ソンナわけで 当分我が家は 花も実もない 私たちとおんなじ?人生いや植木生?を生きています。

おー!植木たちよ ごめんなさい。我が家に植えらてしまったのが運のつき。

すみませんねーーー。

 

Wさんのつぶやき

2008-01-30 00:39:11 | Weblog
先日 障害支援の勉強会がありました。昨年度から、身体・知的・精神・の三障害がまとまり、支援する側も かなり戸惑いもあるように思われます。

何といっても、その人の人生を丸ごと理解できないと、本当の意味で応援していくのは 難しいかもしれません。

しかし、分ろうと努力しても、やはり人が違えば 考え方も違い、
何が良い支援なのか?は、やっぱりわかりません。

ひとつひとつ ぶつかりながら、地道に分かり合うことしか 思い浮かびません。
以前 調査員だったころ 気になったWさんを書いた日記があったので
紹介させていただきます。



   Wさん

私・・・この子を産んでから


ずうっと頑張ってきたのです。


夫も 友達も 誰にも頼れず


頑張ってきたのです。


だから・・・私が悲しい時


傍にいて うんうん・・・と


聞いてくれれば それでいいのです。



異常に気がついた時 姑には 我が家にはこんな血筋はいなかったと。
夫からは お前が産んだんだ・・・と。

子供を連れてしぬことも考えました。でもそれもできませんでした。


あちらこちらに相談に行きました。其のたびに 「子供はお母さんが頼り、
貴方が頑張らなくてどうするのですか?」と・・・


そんなことはわかっています。分かっているけど、誰かに話さずにはいられなかったのです。


結局死ぬことも出来ず、誰にも頼れず、今日まで生きてしまいました。


この先この子はどうなっていくのでしょうか?私はこの子に何をしてあげられるのでしょうか?


何をしていても 頭からそのことがはなれません。


と、打ち明けてくれた。まだまだ障害に対する理解が少なく、母親の心の負担は大きい。


    (平成15年4月9日の日記より)

気ずき

2008-01-28 20:05:11 | Weblog
気ずいたことがある


私は本当に 幸せ者である


何が 幸せか?と言えば


こんなに素直に 正直に 生きていけることが、である。


このことは、神様のお陰以外の 何物でもない。


家族の心 環境 すべてを守り


私が生かされている。


気ずくのが 遅かったけれど


生きている間に 気がついてよかった。


私は 生かされている・・・


そのことに気がついて・・・よかった。


(平成17年5月10日の日記より)







クラス会と千秋楽

2008-01-27 22:57:33 | Weblog
今日は、中学校時の 年に一度の女性だけのクラス会だった。

今朝まで行くか休もうか と考えたいたが、夫が、「せっかくだから行ってきたら。」と言ってくれたので やっぱり 行くことにした。

千葉県柏市に 21歳まで住んでいた故郷だが、今は 実家もなくなり
特別な用がない限り 行かなくなった。

しばらくぶりの道中は、母が生きていたころ 月に一度は 顔を見せに通った
懐かしい街並みがある。

関宿に入ると、喜八堂 という昔からの煎餅屋があり、のれんをくぐると
すぐにお茶を入れてくれる。宇都宮から柏に向う 丁度半分くらいの処にあり  焼きたての煎餅と、団子をつまみ 一息入れられる。

母を宇都宮につれて来るときは、よく立ち寄り、もう少しだねーと言ったものだった。

そんな事を思い出しながら、待ち合わせの ファミレスに行った。

懐かしい顔が迎えてくれて、いよいよ食事が始まった。

皆、いろいろ病気を抱えたいたり、独身に戻ったり?中学を卒業して47年も過ぎると、状況はかなり変わってくる。

あの頃は気がつかなかった 友達の性格や、どんな暮らしぶりだったとか
改めて、驚くこともある。

そんな中で私は貧乏と闘っていたことを思い出したが、自分だけではなく
多かれ少なかれ あの頃は 皆が大変だったのだとも発見した。

卒業アルバムに 斉藤先生が私に書いて下さった、
「着実な 一歩 一歩 であれ」という言葉は 今でも 心が焦ったときには、
思い出す。宝物だと思う。

あの頃の先生は、宿題とか、試験勉強とか、なんだ かんだと理由をつけ
下宿先にみんなで押しかけて、勉強を教えて頂いたり お菓子を頂いたり
楽しい思い出が沢山ある。

そうそうグループ学習なんて 格好つけて ちょっと気になる女の子や、男の子の家で勉強会?をしたり・・・あったっけなー。

47年前の先生達は 皆 輝いていたな~。ピアノだってなかった学校もあり、
近所のお宅の庭で コーラスの練習をしたこともあったっけ。(小学校の頃は)

今は、何でもそろっている。ものはそろっているが 心はどうだろうか?

終戦後のひもじさから やっと抜け出し、教育に命を懸け 子供たちに
キラキラした 何かを教えてくれた・・・。

先生にあこがれ、影響を受け あんな人になりたいと、思える出会いが 今の子供にあるのかな?

今 還暦も過ぎ、人生の半分以上をすぎてきた私たちは、子供たちに どんな影響を与えてきたのかな?

世の中の渇きを感じる時、自分は、あの頃の先生のような 存在でいるのかな?と。

生活は苦しかったけれど 良い時代に生まれ 育ったものと、感謝している。

これからも、14歳の時に頂いた「着実な一歩一歩」を、意識して

少しは、良い影響を与えられる大人になれるよう 努力したいと思います。

いつも、声をかけて下さる 糸子さんありがとう!


その後、

柏から つくばの妹宅に寄り 急いで自宅に戻った。今日は初場所の千秋楽。

白鵬と朝青龍の優勝戦だ。どちらが勝ってもおかしくない位の実力だが、

優勝者は一人なので、どちらかは負けないことには決まらない。

結局、白鵬が勝ち優勝した。頑張ったなー。朝青龍は負けてしまったが、

これだけ相撲ファンを楽しませてくれたところに意味があり、私的には、

楽しませ大賞!!をプレゼントしたいと思います。オメデトウ!

免許証取り消し

2008-01-26 23:53:14 | Weblog
カッちゃんが 免許証取り消しになって 3,4か月過ぎた。

スタジオ入りの日は、終わった後 誰かが 送って行ったが、これからは、自転車で
行動する という。


昨日も、夜中の一時すぎに、下館まで 自転車で帰って行った。

送って行くよ。と言ったが、これからもまだまだ続くから、そんなに迷惑をかけられない。と言う。


それはそうだけど・・・この寒い中 自転車で?・・・と。


しばらく使っていない我が家の自転車を出して 空気を入れて 乗っていった。


大丈夫だったかなー? 心配している。


カッちゃんは 零式の 大事なvocalだから、風邪をひいたら大変なのだ。


私の使い古しの 手袋とマフラーを着てもらったが、どうしただろう?


風邪はひかなかったかなー?


小さな違反を繰り返しているうちに 点数が無くなり 無免許運転で 取り消しの
極めつけとなった。


今更ながらに 車を使えないことが こんなに不自由だったのかと、思いしったことだろう。


しかし、男の優しさというか、けじめというか、皆で話し合って決めたらしく、


可哀そうだとか、大変だとかは一切口にせず、涼やかに自転車に乗って行った。


もう少し 暖かくなるまで 助けてあげたいと私は思うが、余計な気を遣わせるから やらなくていい。と拓也に言われ、男の友情?とはすごいもんだと
思った。


バンドを組んで、かれこれ10年。晴れ舞台は もうすぐ!と信じている。
何があっても、仲間の絆は深く 繋がっている。

これからますます忙しくなるだろうから、みんなルールを守って 安全運転を
心がけましょう!

ルール違反は、社会の敵です!


       証明

   ムギちゃんのバンド・・・零式


   いいなー あの サウンド


   ムギちゃんの世界が 広がる。


   共鳴できる 皆に 広がる。


   頑張って もう 何年?


   続けることが 確実に 力になっている。

 
   零式の証明だ。

            (平成17年11月23日の日記より)






頑張れ零式

2008-01-26 02:18:58 | Weblog
東京でのライブが終わって 子供たちが帰ってきた。


もうかれこれ10年近く続いているバンド  零式


自分たちの気持ちを ハードロックの曲で 語る。


演歌とか、ポップスとか、誰にでも入りやすい音ではないので それらの音楽の
3倍は 努力しないと なかなか 受け入れられるのは難しい。


しかし、誰にも 媚びることなく、まっすぐな気持ちを持ち続けている。


二男は、高校生の時から、ずっと 零式でドラムを叩いている。
最近は、色々な人から 依頼を受けて バックで叩いているが、本筋は
零式。


12時頃帰ってきて 皆おなかがすいているので 何かあったら食べさせて!
と頼まれ、急いでそばを茹でる。白菜の漬け物、白いご飯と、シンプルな食事だが
いつも、美味しい美味しいと、食べてくれるので 嬉しい。


皆10代のころから、出入りしていて、我が家のように 来てくれる。
子供と言っても もう30に近くなっているが。。。


子供たちの顔を見ていると、自分も若返り バンドのメンバーになった気持ちになる。


こんなおばちゃんの話を、真剣に聞いてくれて、優しい気持ちが伝わってくる。


ああだ こうだと言いながら、綺麗にたいらげ 一時になったので帰って行った。


早く、有名になって 皆に恩返しができるように。

子どもたちの気持ちが伝わるように・・・と願いながら、汚れた食器をかたずけ


明日のお米を研いで、やっと 自分の時間になりました。


なんだか嬉しくて 目がさえて眠れそうもありませんが、明日は仕事なので


お風呂で体を温めて 休みます。

ホームベーカリー

2008-01-25 00:09:49 | Weblog
昨年のクリスマスに、長男がホームベーカリーを買ってくれた。


専用の生地と、適当の水を入れて、お好みのコースをセットして スイッチを入れれるだけで 美味しいパンが出来上がる。すぐれもの。


夫がパン好きなので 、朝食に間に合うように セットして床に就いた。


朝夫に、 お母さん 大変だよ!パンがおかしい。と声をかけられ
確認すると、スイッチが入っていないように 点滅していた。


寝ぼけ眼まこだったので スイッチだけ入れて 昼食には間に合うだろうと
出勤した。


夕方6時少し前に 家に帰ると、テーブルの上に 食パンが置いてあった。


確か、早焼きのソフトパン の生地だったと思ったが・・・?


夫の説明によると私がスイッチを入れた後 又止まってしまって 長男に
見てもらったら、生地に関係ないコースになっていて、機械が自動的に止まっていたらしい。


まあー!なんておりこうなこと。


改めてコースを選び スイッチを入れ 何とか形になったらしい。


何度も 繰り返していたので?周りの皮が やけに厚い?


それでも何とか 出来上がり 夫と二人で長男に感謝し、頂きました。


まったく、年はとりたくないもんですねー。


若い人に 笑われますね。しかし 我が家の長男は、私が、パソコンを打ったり、通信講座や諸々 始めると、必ず「お母さんは、偉いね。」と
ほめてくれるので、益々調子にのり・・・結局 迷惑をかけてしまいます。


最近では、いろいろ助けてもらうことが増え 頭があがりません。


しかし、そんな両親を疎いもせず、助けてくれる有難い息子です。


有難い ありがたいと 美味しく食べて。。。


今日も食べ過ぎて メタボリック症候群の予備軍?に入りつつある私なのです。









忙しかった一日・・・ふーっ

2008-01-23 00:06:35 | Weblog
 朝6時50分に長男のお弁当を作り 諸々の用事を済ませてから、7時40分職場に出発。


勤務時間8:30~5:00まで、大したことはしていないが、何とか終わり。


自宅に帰ると、一息入れる間もなく 夕食の支度が始まる。


しかし今日は、まず 親しい人から しばらくあっていないので、時間を作って
ください。と メールが入っていた。


返事をしようと、文章を考えていたら、別のメールが入った。手話通訳の依頼。


歯医者の予約を取りたいが、私の都合教えてほしい。○日○日○日のうち・・・


と。その返事を考えていたら、電話が入り、明日 横浜に行くことで連絡が入り、


ファクスを3枚送るので 付いたら返事を下さい。とのこと。そして 今日も


夫は風呂に入る時 着替えをもたず、風呂上りに「おかーさーん」と声をかけ


ストーブの上で温めておいた下着を 私がもっていく。なんで?


いつもは 頭にも来ず、はいはいと持って行っていたが、今日ばかりは


腹が立った。


そんなの自分で持っていけばいいのに・・・なんて 言葉に出してしまった。


おまけに、私のブログを見たいので、パソコンを立ち上げてといわれても、


メールの返事を、送らなくては。・・送った後また返事がかえって来たりして。


そのうちFAXが来ないので、心配になり、夜中まで待って要るわけにもいかず、どうしたのか?と こちらから、催促のFAXを送ったり・・・


そんなこんなであせっているうちに 知り合いから、相談事がはいってきて・・・。


今日は一日 何にも形になる仕事もしていないのに・・・ふーっ!疲れた。


食事の支度も 6時半には出来ていないと、夫はおなかがすいて 機嫌が悪くなることが長い付き合いの中で わかっているので 何があっても、6時半に。


明日は、5時20分に 出かけることになっているので、早く休もうと思っていたが、やっと食器の後かたずけが終わり、さっき開いたままのパソコンを見ていたら、


やっぱり今日の忙しさを書き込んで 大変だった一日を 大判ぶるまいで皆さんに
読んで頂いて、


心に溜まった疲れをおすそ分けさせて頂こう? 何てことで・・・ 早く寝ればいいのに


と、思いつつ、とりあえず書き込んで終わりにします。おやすみなさい。










人のために使う。

2008-01-21 22:54:44 | Weblog
 今日 珍しく 二男がアイスクリームやら、お菓子やらをかって来た。
スロットで一万円儲かったから・・・といって、にこにこして帰ってきた


少し前、スロットで たくさんお金を使い いろいろ話し合って、二度とやらない約束だったのに。


このところ、仕事が忙しく 譜面起こしと ライブ、ドラム講師などで ゆっくり
寝ている暇もなかった事を考えると、ストレス解消になったのかなー?


ただ、以前と少し違うところは、家族に 土産を買ってきたことだ。


そこで私は、彼に言った。



「アイスクリームを買ってきてもらって お父さんが あんなに喜んでいる。

 人を喜ばせる お金の使い方は、お金も喜び、また自分の所に帰ってくるんだよ。」 と。



「そうだよね。最近自分もそう思う。」と、やけに素直に返事が返った。



仕事上 色々の職種の方や場所で、 見たり 聞いたり 試されたり?している
のだろう。反面教師。


いくら上手に演奏しても、相手が認めてくれて・・・なんぼ?の世界。


自分の価値は、相手が決める世界。


依頼されて、演奏して 認められなければ二度と仕事は頼まれない。


厳しいプロの世界で 生き残っていくには、 緊張の中にも肩の力を少し抜く
ことも 大事なことかもしれない。


自分が嬉しかった事を、人にかえす。ギブアンドテイクの法則をしっかり身に着け


労力も、心も、少しは人の為に使える人間になってほしい。


もちろん、ドラムの音も 皆の心に 温かく心地よく響く・・・いい音を出して


聞いてくれた人たちから、また、頑張れるパワーを頂いてほしいものだと心から思う。


 

あなたの夢は何ですか?

2008-01-21 21:46:37 | Weblog
テレビを見ていたら、俳優の山本耕治さんは、10歳の時 野口五郎さんからギターをもらって、それからずっとギターが大好きになり、今も俳優と、ミュージシャンを続けているらしい。

野口五郎さんも10歳に時歌手になりたいと思っていたそうです。徳光アナも
10歳のころ、憧れのアナウンサーになれるといいね。とお母さんがいっていたそうです。


子育手してわかったことは、10歳ころ(小学3年生)は、自我が芽生え
自分と他人を 比較し始めるころか?と思う。


二男拓也は3歳で 上野の山で 太鼓をたたいてお金をもらいたいなんて 言っていたが、やはり小学校3年生からの吹奏楽で パーカッションや、ドラムを担当し、卒業アルバムには、ずっと プロドラマーになりたい!と書いてあった。


夢は誰もが持っているが、夢と現実のギャップは大きい。


私の夢は何だったのか?改めて考えてみると、小説を書きたい。とか、
やさしいお母さんになりたいとか、夫を出世させたいとか・・・?


なんだか分からなくなってしまった。が、


家族を守り 少しは人さまの役に立ち こうして夜遅くパソコンを打ち

自分の時間を楽しむ贅沢な 環境があり、たぶん私の夢は こんなことだったのかなー?と思う

このブログを読んでくださっている皆さんの夢は 何ですか?

夢は叶うまで ずっと持っていてよいのです。諦めた時 夢が終わりますね。



        二男拓也に贈る詩です。

       拓也へ  平成16年12月20日

夢と現実


そのギャップが大きいほど 燃えるものがある。


むくむくと 己の体内に湧き上がる


訳も分からない・・・力。


足元を見れば、夢を追うことが どんなに身勝手なことか


空しいことか・・・


でも、湧き上がる思いは それを超える。


現実があるから 夢を見る。


夢があるから 今を 頑張れる。


二つのことが 自分の エネルギーになっている。



9歳で吹奏楽をはじめ 体より大きいバスどらを抱え、交通安全の町内パレードから始まった。パーカッションの人数が少なくなって 一人で何人分?が間に合うから・・と 始めたドラム。
大変なものを好きになってしまった。音楽は、魔法の泥沼だ。。と誰かが言っていたが、本当に続けることは難しい。まして、それで ご飯を食べていくなんて
気が遠くなる話だ。

今、やっと形になって 何とか 生活ができるようになってきた。
家族の協力、周りの人の理解もあったが、何より、諦めなかった本人の心。
何よりもだいすきな ドラムに出会ったこと。

大好きなものに出会えた仕合わせに感謝して、いい演奏をしてほしい。