日々思うこと

日々の暮らしの中で、心に留めた様々な思いを、書き込みます。

改正貸金業法

2010-06-16 08:26:14 | Weblog
難しい漢字が並んでいる法律があるんだと思った

昔も今も生活が苦しい時は 藁にもすがる思いで

いろんな方法を考えお金を作る

大抵の場合 楽に手に入る方法を選ぶ



私が子供のころのこと

父は戦災で理髪業を廃業し縁があって電力会社に就職したものの

十二指腸潰瘍を患い退職した後

さまざまな職業を体験することになった

もともと散髪行で職人気質 まして江戸っ子なので

生活に計画性も薄く

宵越しのお金は持たないことを美徳にしていたのだから

暮らしを守る母の苦労は半端ではなかった


五人の子供を抱え

内職で生計を立て なりふり構う暇もなく働いていた

洗濯機も炊飯器もなく 水の確保は八軒共同の井戸だったし

週1回の銭湯の終い湯に入るのが唯一

母の楽しみだったに違いない


しかし何年か経ち

小学校の同窓会で 

あの頃の自分たちの思い出を語り合った時

大なり小なり みんな苦しかったと聞き

終戦後はみんなそうやって乗り越えてきたんだなーと

納得したものだった




そして自分の家族が出来て

子供にはおなかいっぱい白いご飯を食べさせたいと

不自由はさせたくないと

娘は自分の家から 嫁に出したいと

夫もがむしゃらに働いてくれた

家のことはほとんど私が一人で やってきた

母子家庭のような毎日だったが

何とか自宅を手に入れ 希望は一つずつかなえていった



昭和62年 夫の左耳に真珠性中耳炎が見つかり

もう少しで髄膜炎に入る寸前に発見され 

手術で命は助けられた



3か月の入院中 3人の子供の学費 住宅ローンなど支払いは迫り

かなり緊迫した時期があった

お金だけは借りたくないと頑張ってここまで来たが

今回だけは・・・と実家に電話をかけた



「もしもし こんにちは」と言葉を出した

「どうした?何かあったのか?」と父が言った

「なんで?」と聞き返すと

「お父ちゃんはな お前の寝息一つも忘れていない

普通ではないことくらい分かるよ 最近いくら電話しても

誰も出ないし どうしているかと心配していたんだよ。」と・・・



結局無心は出来ず 夫が3か月も入院していることや

子供たちが元気でいることなどを伝え

電話に出られなかったのは 病院へ毎日通っていたからだと

心配掛けるから 誰にも連絡しなかったし

している暇もなかったことを詫びた



子供のころから母がお金に苦労しているところを見ていたし

母の着物から 私の腕時計まで すべてお金に換えて

ばくちで貧乏を立て直すぞと 

間違った努力の結果

自宅も高利貸しの担保になり・・・・

と言う状況の中で お金を借りることの恐ろしさは

身にしみていたので

たとえ一円でも親や兄弟からも借りてはいけない

ことを魂の奥深く言い聞かせて ここまで頑張ってきた



が、最近ではカードで簡単に借りる方法があり

借りれば返すことの責任の重みが 分からなくなりつつある

楽あれば 苦ありだから

借りる前に もう一度生活の見直しをして見れば

まだまだ倹約や 節約ができることが沢山ある

更に その節約などの工夫が楽しくなってくると

貧乏神が居なくなる(笑って暮らすと貧乏神の居場所がなくなる)




お金を使わず 心を使って

乗り切る努力をしてほしい

苦あれば 楽あり なのだから・・・


今日の日記は長々と書きこんでしまいました

ローン地獄に落ちないように 

日々の暮らしを頑張りましょう!