水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
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国鉄 10系客車(碓氷鉄道文化村保存車)

2008-05-05 13:46:03 | 保存車・博物館
昭和30年に国鉄が開発した軽量車体を持つ客車である。

従来の車体工法から脱却し、航空技術からの転用であるセミモノコック構造を
採用し、車体の骨組みなどにもプレス一体形成品を使用するなど、
徹底的な軽量化を図っている。
これにより、車体の大型化が可能となり、輸送力の大幅な改善になったほか、
大窓を採用した軽快なスタイルで、日本の鉄道車両のデザインに新風を吹き込んだ。

内装などにも軽金属やプラスチック樹脂などの新素材を多用し、
台車も高速電車用台車の研究成果からこれまでの鋳鉄製から、
プレス鋼板部材を多用して軽量化を図っている。
しかし、台車のバネのセッティングを硬くしすぎたため(混雑対応のため)、
従来の客車にはなかった短周期の上下振動が起こることになってしまい、
乗り心地については不評を買うことになった。

種類は以下の通りである(等級は当時のもの)。

座席車
三等車=ナハ10・ナハ11・ナハフ11・ナハフ10
二等車=ナロ10→オロ10(冷房化)

寝台車

三等寝台=ナハネ10→ナハネフ10(車掌室設置)→オハネフ12(冷房化)
ナハネ11→オハネ12(冷房化。上写真)
オハネ17→スハネ16(冷房化)
ナハネフ11→オハネフ13(冷房化)
二等寝台=オロネ10・オロネフ10(オロネ10の一部に車掌室設置)
二等三等合造寝台=ナロハネ10→オロハネ10(二等側冷房化、後に三等側も冷房化)、

食堂車

オシ17(本格的な食堂車。上写真)
オシ16(ビュッフェスタイルの食堂車)
荷物車
カニ38(大型荷物用の試作車)
郵便車
オユ10
オユ11
オユ12/スユ13(オユ12の電気暖房装置車)→オユ13(電気暖房再撤去車)
オユ14/スユ16(オユ14の電気暖房装置車)
スユ15
職用車
オヤ10(ナロネ10からの改造。夜間工事用の宿泊車)
オヤ17(オシ17から改造。機関士養成用の教習車)
試験車
マヤ10(車両性能試験用)
救援車
スエ38(カニ38からの改造)

これらのうち、寝台車の一部や食堂車は進駐軍からの返還や特急の電車化、
気動車化で余剰となった旧型客車の台枠や台車を使用して同等の車体を
新製したものもある。

新造当初は特急列車などにも投入されたが、それらの電車化、気動車化が進行して
昭和35年には特急から撤退し、急行列車に投入されることになる。

しかし、極度な軽量化により、保温性が悪く、隙間風や乗り心地が不評であったことに加え、
薄い鋼板を使用した車体の波打ちや腐食などの劣化の進行が早かった。
特に国鉄の労使関係が著しく悪化した昭和40年代以降は、
ろくな整備も受けられず、それに追い討ちをかけた。

また、昭和47年に北陸本線北陸トンネルで発生した列車火災事故(※)では
火元になった食堂車のオシ17が全車使用停止になり、教習用のオヤ17に改造された
2両と事故に遭って保全命令の出た1両を除いて廃車になっている。

昭和50年代に入ると、新幹線の延伸による夜行急行列車の削減が相次ぎ、
徐々に活躍の場を狭めていった。
座席車の優等列車運用は70年代後半には重量級の旧型客車であるスハ43系などに
譲って全滅している。
寝台車については適当な代替車がなかったため、しばらくは残っていたが、
初代のブルートレインであった20系客車や、それよりも新しい14系客車の
格下げなどで、昭和57年までに優等列車からは引退し、普通列車からも
昭和60年に引退して、全車が営業運転を終了している。
その後は一部が事業用に転用され、平成7年まで車籍を有していた。

除籍後も3両が保存され、碓氷鉄道文化村にナハフ10、オハネ12、オシ17(内部は教習車のまま)が
展示されている。

(※)北陸トンネル列車火災事故
昭和47年11月6日に北陸本線敦賀~南今庄間にある北陸トンネルで発生した列車火災事故。
大阪発青森行きの急行「きたぐに」に連結されていた食堂車のオシ17の喫煙席付近から出火した。
当時の運行規則で「火災が起きたら、どんな場所でもすぐ止まって消火せよ」という
決まりがあったため、これを守ったがために、長大なトンネル内に
煙が充満することになった。
この事故で30名が死亡し、714名が負傷した。
当初、原因は同車のキッチンで使用されていた石炭レンジが疑われたが、
その後の調査で電気配線の老朽化によるショートであることが発覚した。
また、内装材に使用されていた合成樹脂などからの有毒ガスの発生、
停電による機関車の走行不能、消灯され真っ暗闇のトンネルと充満した煙などで
指導機関士(死亡)などの必死の救援・消火活動も虚しく、被害を拡大した。

この事故以降、トンネルや車両の安全基準や不燃化基準が厳しいものになった。
また、トンネル内での火災時には「どんな場所でもすぐ止まれ」から、
「全ての窓、ドア、通風器を閉鎖して全力でトンネルから脱出後、直ちに消火せよ」に
改められた。
また、この当時、既に夜行急行列車の食堂車は縮小傾向にあり、同型車で
営業していたのは常磐・東北線急行の「十和田」のみであったが、
この事故の翌日から連結を中止し、国鉄の急行用食堂車についても終止符を
打たれた。

JR北海道 キハ281系特急用気動車 「スーパー北斗」

2008-05-04 09:41:35 | 電車図鑑・JR新系列特急用車両
平成4年に札幌~函館間の高速化のために登場した特急用気動車である。
平成6年に量産車が登場し、「スーパー北斗」で営業を開始した。

カーブで車体を意図的に傾斜させ、遠心力を低下させて、カーブを高速で
通過させることが出来る振り子式台車を採用している。
振り子軸は、試作車ではコロ軸式を採用していたが、冬季の着雪時に不具合が
見つかったため、量産車では曲線ベアリングガイド式になった。
試作車も量産化の際に改造されている。
大出力のディーゼルエンジンを各車2台ずつ搭載している。
ブレーキは電気指令式空気ブレーキで機関ブレーキや排気ブレーキを使用して
制動距離を短くしている。
このエンジンのおかげで営業運転で最高130km/h、表定速度106.2km/h(スーパー北斗17号)と
JRの在来線特急最速を誇る。

車体はステンレス製で先頭車の前頭部は鋼鉄製である。
正面は貫通式で、運転室を迂回して正面に出られるようになっており、
立ちっぱなしにはなるが、最前部からの展望を楽しむことも出来る。
本来、このように運転台を高い位置に持ってくるのは重心を低くしなければならい、
振り子式の車両としては不向きであるが、踏切事故や動物との衝突に備えて、
敢えて、この構造を採用している。
この構造は後に登場する283系「スーパーおおぞら」、789系「スーパー白鳥」にも引き継がれている。

客用扉はプラグドアとなっており、高い気密性を保つことが出来る。
客室はグリーン車が1列-2列配置の回転リクライニングシートで、車体重心を
安定させるため、車内中央で配置が逆転する。
普通車は2列-2列配置の回転リクライニングシートである。車椅子スペースのみ
一人掛けが存在する。
デッキ客室側出入口の上部にはLEDスクロール式旅客案内が各車に設置されている。
車内放送には自動放送装置をJR北海道の車両として初めて採用した。これは列車遅れによる
接続駅の変更にも対応できる優れもので、後に登場するJR北海道の車両の
標準装備になった。

本形式は以下の車両によって構成されている。

キハ281形・・・運転台付の先頭車。試作車は900番台で正面貫通扉の窓が小さい。
         偶数車が札幌向き、奇数車が函館向きとなる。
         トイレ・洗面所付き。普通車。
キハ280形・・・中間車でトイレがない。普通車。試作車は900番台、量産車は100番台。
キハ281形・・・中間車で車椅子対応。トイレ(車椅子対応と男子小用)、洗面所、
         カード式電話を備える。試作車は無。普通車。
キロ280形・・・中間車でグリーン車。トイレ、洗面所、車掌室、車内販売準備室がある。

特急「スーパー北斗」ではこれらを7連を基本に編成を組むが、需要に合わせて
自在な組み換えが可能である。
また、後継のキハ283系との連結も可能であり、多客時や本形式の検査時には
しばしば見られる。
平成12年から、氷柱による側面窓の破損防止のため、ポリカーボネイト製のカバーを取り付けたほか、
平成15年より重要部品取替工事を開始しており、ヘッドマークや側面行き先表示機の
清掃、客室案内表示の更新、ヘッドライトのHID化、普通車のモケット張替えなどを行っている。
走行機関についても排気ガス対策を施したものに交換している。

運用は「スーパー北斗」5往復と、その入庫列車を利用した札幌発手稲行きの
「ホームライナー」片道1本である。


キハ281-901。試作車。正面の窓が小さい。

◇特急「スーパー北斗」DATE

・運転区間=札幌~函館間

・編成=函館側から1号車、2号車・・・7号車(所定)

・車内設備=1~5号車は座席指定。3号車はグリーン車。6・7号車は自由席。
       全車禁煙。3号車にカード式電話、5号車に車椅子スペース。

・停車駅=札幌・新札幌・南千歳・苫小牧・登別・東室蘭・伊達紋別・洞爺・長万部・八雲・
      森・大沼公園・五稜郭・函館

鉄道事業者紹介 西武鉄道

2008-05-03 23:01:01 | 鉄道事業者・路線紹介
西武鉄道は東京都北西部から埼玉県南西部を中心に路線を有する鉄道会社である。
西武グループの中心企業で、日本の大手私鉄の中でも東急や近鉄などと並ぶ
大手私鉄である。

◇概要
現在の形態になったのは昭和20年のことで、それ以前は池袋線系統を開通させた
武蔵野鉄道と新宿線系統を開業させた(旧)西武鉄道と別々の会社で、
武蔵野鉄道が(旧)西武鉄道を吸収合併する形で誕生した。
終戦後から高度成長期にかけての沿線の発展が著しく、旅客、貨物とも
輸送量が大きく伸びた。
そのため、車両の開発より輸送力の増強を中心に進め、日本の私鉄で初めての
10両編成の電車の運行を実施している。
しかし、車両の開発という部分では遅れており、他の大手私鉄がスマートな
高性能電車を次々と登場させる中、国鉄の電車を払い下げたり、
車体だけ新しくして足回りは、旧品のままであったりで、
本格的な高性能車が登場するのは昭和44年の101系電車登場まで
待たなければならなかった。

同年、吾野~西武秩父間の西武秩父線が開業し、特急「レッドアロー」の運行が
始まっている。

狭山湖周辺では戦前から観光開発が盛んで、ユネスコ村から多摩湖ホテルまでの
おとぎ列車を開業させたほか、戦時中に不要不急路線として廃線になった
狭山線の復活などを行っている。
おとぎ列車は、後に正式に西武の路線として組み込まれ、山口線になった。
山口線では廃線になった頚城鉄道や井笠鉄道などから、蒸気機関車を譲り受けて
運行していたこともあるが、昭和61年に新交通システム「レオライナー」に
生まれ変わっている。

平成6年からは西武有楽町線の練馬開業に伴い、営団有楽町線との直通運転を
開始している。
旅客輸送の整備が進む中、貨物列車が平成8年に廃止になった。

現在は老朽化した駅舎のバリアフリー化と車両の更新を進めている。
特に平成16年に発覚した有価証券報告書への虚偽記載発覚を発端にした
旧経営陣(堤一族)の退陣以降、大きく進んでいる。
平成20年3月から社章と制服のデザインを一新した。

◇保有路線

池袋線・・・池袋~飯能~吾野間
・日本一種別の多い路線としても知られる。以下に挙げると・・・
特急、快速急行、急行、通勤急行、快速、準急、通勤準急、各停
・・・である。
かつては、これの他に、通勤快速と区間準急があった。
・練馬から東京メトロ有楽町線新木場、新線池袋まで直通運転。
・平成20年6月14日からは同じく副都心線渋谷まで直通運転予定。
・免許上は吾野までであるが、旅客案内と車両運行に関しては、
基本的に飯能で分断される(特急と休日の快速急行を除く)。
・特急は西武秩父行きの「ちちぶ」、飯能行きの「むさし」、
西武球場前行きの「ドーム」の列車愛称がある。全車座席指定制で乗車券のほかに
特急券が必要。

西武秩父線・・・吾野~西武秩父間
・列車は飯能から運転される。基本的にワンマン運転。
・横瀬&西武秩父から秩父鉄道へ直通運転(御花畑駅経由長瀞駅までと西武秩父駅経由三峰口駅まで)

豊島園線・・・練馬~豊島園間
・池袋からの直通列車あり。

西武有楽町線・・・小竹向原~練馬間
・池袋線と東京メトロ有楽町線、副都心線を結ぶバイパス路線で、
列車は、双方と終日直通運転を実施。

狭山線・・・西所沢~西武球場前間
・西武ドームでの野球等開催時には池袋や西武新宿からの臨時列車が
多数運行されるが、定期列車は4両編成の電車が単純に往復するだけで、
ラッシュ時ですら、池袋方面との定期直通列車の運行はない。

新宿線・・・西武新宿~本川越間
・特急、快速急行、急行、通勤急行、準急、通勤準急、各停と池袋線に劣らず
種別が多い。
・他社線との乗り入れはないが、拝島線、多摩湖線、国分寺線など、系列路線との直通運転はある。
・特急は西武新宿~本川越間の運行で「小江戸」の愛称がある。
池袋線特急と同じく座席指定制。

拝島線・・・小平~萩山~拝島間
・西武新宿方面からの直通列車あり。

多摩湖線・・・国分寺~萩山~西武遊園地間
・平日ラッシュ時や行楽シーズンを中心に萩山・小平経由で西武新宿方面へ直通運転あり。
・国分寺~萩山間ではワンマン運転を実施している。
その関係で小平~萩山~西武遊園地間と同区間で運転系統が分かれる。

国分寺線・・・国分寺~小川~東村山
・基本的に線内折り返し。
・新宿線所沢方面、西武園線と直通する列車が一部運行されている。

西武園線・・・東村山~西武園間
・原則、線内折り返し運転だが、ラッシュ時に国分寺方面への直通列車あり。
・沿線での催し物開催時には西武新宿・国分寺方面への直通列車を随時運転。

多摩川線・・・武蔵境~是政間
・他の線と接続のない、完全に独立した飛び地路線。
・終日線内折り返し。ワンマン運転実施。

山口線・・・西武遊園地~西武球場前間
・「レオライナー」の愛称で親しまれる新交通システム。
・ワンマン運転。

安比奈線・・・南大塚~安比奈(貨物駅)間
・昭和42年以降休止中。一部線路が撤去されている一方で、不定期ながら線路の
整備も行われている模様。
・新宿線の車両基地を旧安比奈駅に建設予定であるが、旅客転用については不明。

◇保有車両
原則的に、終戦後から平成12年までは、所沢にあった西武所沢工場で車両の新造や
改造を行っていたが、昭和50年代以降、東急車輛や日立製作所などに
外注することが多くなった。
形式の多さの割りに、台車や機器などが共通化されているものが多い。

特急用電車
10000系・12000系・・・特急レッドアロー用電車で特急用としては2代目であるため、
「New Red Arrow」の車両愛称がある。
新宿線「小江戸」号、池袋線・西武秩父線「ちちぶ」、「むさし」、「ドーム」号で運行される。
新宿線所属の12000系だけVVVF制御で他は抵抗制御。

4ドア車
30000系・・・平成20年製造の最新鋭電車。女子社員がデザインや設計を行い、卵を
モチーフにしたやわらかいデザインが特徴。
今後、101系電車の置き換え用に増備予定。

20000系・・・本線系に残った旧101系電車置き換え用に登場。池袋線と新宿線に所属。
8連と10連があり、8連は50番台に分類される。

9000系・・・廃車になった旧101系電車の機器を流用して、新2000系並の車体と
6000系並の客室設備を持った車両。
近年、制御装置のVVVF化を行い、回生ブレーキ可能な車両である事をアピールする
ヘッドマークを付けている。
西武所沢工場が製造した最後の形式で、黄色の電車としても最後の新車。
全車が池袋線所属。

6000系・6050系・・・有楽町線直通用に登場した車両。西武初のステンレスカー。
50番台はアルミカーで、20000系、30000系でアルミボディを採用する発端となった。
現在、東京メトロ副都心線への直通対応工事を実施中で、改造済みのものは
正面を白く塗り、行き先表示をフルカラーLEDとしている。

2000系・新2000系・・・元々、新宿線の混雑緩和用に登場した車両であったが、新2000系は池袋線でも運行されている。
経済性も重視しており、界磁チョッパ制御・回生ブレーキを採用している。

3ドア車
3000系・・・2000系の足回りと新101系の車体を組み合わせた車両。西武湘南スタイル最後の形式。

101系・新101系・301系・・・西武秩父線開業時に投入された西武最初の本格的高性能車。新101系は車体設計変更車で301系は新101系の8連バージョン。
その高い汎用性で、山口線を除く全線で活躍したが、置き換えが進んでいる。
特に平成19年に西武秩父線の変電所が改修され、回生ブレーキ対応になったことから、
「平坦区間から山岳区間まで対応できる万能車」としての本形式の存在意義が
揺らぎつつあり、置き換え速度は更に進むものと思われる。

2ドア車
4000系・・・西武秩父線用。車内は扉間ボックスシートで車端部と戸袋部分はロングシート。
足回りは廃車になった101系のもので塗装はライオンズカラー。

電気機関車
E31形・・・老朽化した輸入機関車の置き換えのために登場。動輪4つのD型に相当。台車は80系湘南電車の流用品である。
貨物廃止後は保線列車中心で運行されたが、まもなく、新101系改造の事業用車両と置き換わる予定。