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水の丘交通公園

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静岡鉄道 クモハ20形電車

2007-03-25 10:57:35 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
静岡鉄道が戦後、払い下げた、買収国電の生き残りであった車両である。

買収国電とは昭和16年の陸運統制令により、昭和18年から19年にかけて
国に強制買収された私鉄線電車のことである。
主に湾岸の工業地帯を走る貨物輸送主体の路線(鶴見線、南武線、富山港線など)や、
鉱物などが採れる山岳部を走る路線(身延線、五日市線、青梅線など)、
国鉄線と国鉄線の間を結び、かつ他の私鉄が競合する路線(飯田線、阪和線など)などが該当する。
戦後、買い戻される予定であったが、戦後の急なインフレで買収された側にも
それらを買い取る力もなく、また、これらの私鉄は財閥系のものが少なくなく
GHQによる財閥解体で会社そのものがなくなってしまい、
結局、そのまま国鉄の路線として残ることになった。
電車は国鉄の電車と機器や性能が異なり、運転上の不都合が相次いだため、
ほんの一部を除いて、早々に車両不足にあえぐ、地方私鉄に譲られた。

このクモハ20形は現在のJR鶴見線の前身にあたる鶴見臨港鉄道が
電化開業に伴い昭和5年に製造したモハ100形電車を前身とする。
全部で10両が製造された。
車体は半鋼製で運転室は簡単なHポールで仕切っただけの、当時としては
オーソドックスな形状となっている。
正面は切妻で、窓が正面中央に3枚寄って配されているのが外観上の大きな
特徴となっている。
後に110形になり、国鉄への買収後は1500形になった。
鶴見線の1500V化に伴い、同じ買収区間である富山港線、福塩線、可部線に
配置され、最終的に可部線に集められ、昭和32年までに全車廃車(ただし、
事業用電車に改造されたものは昭和58年まで在籍)となった。

静岡鉄道へは昭和27年に3両が譲渡され、モハ18~20として活躍した。
このうち、モハ18と19は、昭和43年に自社工場製の新車体に変えて
350形となった。
モハ20形は昭和39年にクモハ20に形式が変更された後は、ヘッドライトを
2灯化した以外、大した変化もなく、昭和53年頃に実施された
ワンマン化前後には営業に就く機会は減り、昭和57年に車籍を抹消されている。
以降は営業線に出ることなく、長沼工場で入れ換え車として使用されたが、
老朽化が進行し、近年は中古の産業用ディーゼル機関車に取って代わられた。
しかし、ファンからの要望も多く、この役目を譲った後も引き続き、
保管され続けたが、天井の破損が著しく進行したため、平成19年3月で
解体処分された。

なお、同型の電車として銚子電気鉄道に最後の1両(デハ301号)が現存している。


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