昭和51年に都営浅草線5000形電車(※)の16次増備車として登場したものである。
6両編成2本12両が製造された。
車体は浅草線の電車として初めてのスキンステンレス製となった。
塗装はされていないが、正面ライト周りと側面窓下にファイヤーオレンジの帯が
入る。
また、天井が冷房搭載対応になり、空気バネ台車の採用、
運転台が高運転台になるなど、これまでの都営地下鉄の車両(三田線用6000形、
新宿線用10-000形試作車)の設計要素を盛り込み、見た目の上では新設計の
電車である。
車内はロングシートで、送風機はラインデリアである。
走行機器については従来の5000形と同じで、主制御装置は抵抗制御、
駆動方式はカルダン駆動でブレーキは発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキである。
運転台は2ハンドル式で、三田線の6000形が引退した後は都営地下鉄最後の
2ハンドル車であった(新宿線10-000形以降はワンハンドル式)。
昭和63年に冷房化を実施し、浅草線で初めての冷房車になった。
平成8年に6連2本を8連1本に組み替えて、余剰になった4両は廃車になった。
不足する所定編成(都営の受け持ちは28本)1本分は5300形を新造している。
平成11年のダイヤ改正で京急への乗り入れがなくなり、主に泉岳寺~西馬込間の
折り返し運転や西馬込~京成高砂間の各駅停車などに用いられるようになった。
特に晩期には車両性能上の制約から運用が限定されるようになっており、
ダイヤ混乱時に印旛日本医大駅や羽田空港駅に乗り入れたことはあるものの
ほぼ泉岳寺~西馬込間から出ることはなかった。
また、最末期の平成15年ごろに側面の種別表示機が故障したため、
これの使用を停止している。
老朽化が進行する一方、馬込にある検修施設と工場を一本化することにより、
車両運用数を1本減らせることになったことから、馬込車両検修場の完成した
平成18年11月にさよなら運転を行い引退。平成19年に廃車となった。
廃車後は全車が解体されて現存しない。
車内。
運転台。シンプルなツーハンドル式。
※東京都交通局5000形電車(地下鉄)
昭和35年に都営1号線(今の浅草線)開業用に登場した車両である。
(地下鉄)としたのは、都電にも5000形が存在するためであるが、
今回、こちらの紹介は割愛する。
車体は普通鋼鉄製で通風器が車体と一体化している。
塗装は登場時がファイヤーオレンジとクリームのツートンカラーにステンレス製の
飾り帯が入るものであったが、昭和56年~平成2年にかけてクリームに
ファイヤーオレンジの帯に変更されている。
これについては全車に実施されたものではなく、途中で廃車になっているものも
存在する。
車内はロングシートで天井には送風機としてファンデリアが設置されている。
主制御装置やブレーキ、駆動装置などは5200形と同じなので割愛するが、
台車はコイルバネ台車である。
性能上、高速運転が苦手で100km/h程度までしか加速できなかった。
他社線直通は、当初、京成側が押上~東中山間、京急側が泉岳寺~京急川崎間であったが、
昭和56年以降、順次拡大され、京成側が京成成田まで、京急側が逗子海岸(現在の
新逗子駅)までの乗り入れとなった。
平成3年からは北総・公団線(現在の北総鉄道線)への乗り入れを開始し、運用範囲の
拡大が進んだが、この頃になると老朽化により5300形への置き換えが開始され、
平成7年の7月で全車の運行が終了した。
本形式の引退によって浅草線で運行される全車両の冷房化が完成した。
引退後、1両が東京消防庁消防学校で訓練用の教材として活用されている。
また、馬込車両工場に2両を保管していたが、工場施設の統合のとき、
解体された。
6両編成2本12両が製造された。
車体は浅草線の電車として初めてのスキンステンレス製となった。
塗装はされていないが、正面ライト周りと側面窓下にファイヤーオレンジの帯が
入る。
また、天井が冷房搭載対応になり、空気バネ台車の採用、
運転台が高運転台になるなど、これまでの都営地下鉄の車両(三田線用6000形、
新宿線用10-000形試作車)の設計要素を盛り込み、見た目の上では新設計の
電車である。
車内はロングシートで、送風機はラインデリアである。
走行機器については従来の5000形と同じで、主制御装置は抵抗制御、
駆動方式はカルダン駆動でブレーキは発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキである。
運転台は2ハンドル式で、三田線の6000形が引退した後は都営地下鉄最後の
2ハンドル車であった(新宿線10-000形以降はワンハンドル式)。
昭和63年に冷房化を実施し、浅草線で初めての冷房車になった。
平成8年に6連2本を8連1本に組み替えて、余剰になった4両は廃車になった。
不足する所定編成(都営の受け持ちは28本)1本分は5300形を新造している。
平成11年のダイヤ改正で京急への乗り入れがなくなり、主に泉岳寺~西馬込間の
折り返し運転や西馬込~京成高砂間の各駅停車などに用いられるようになった。
特に晩期には車両性能上の制約から運用が限定されるようになっており、
ダイヤ混乱時に印旛日本医大駅や羽田空港駅に乗り入れたことはあるものの
ほぼ泉岳寺~西馬込間から出ることはなかった。
また、最末期の平成15年ごろに側面の種別表示機が故障したため、
これの使用を停止している。
老朽化が進行する一方、馬込にある検修施設と工場を一本化することにより、
車両運用数を1本減らせることになったことから、馬込車両検修場の完成した
平成18年11月にさよなら運転を行い引退。平成19年に廃車となった。
廃車後は全車が解体されて現存しない。
車内。
運転台。シンプルなツーハンドル式。
※東京都交通局5000形電車(地下鉄)
昭和35年に都営1号線(今の浅草線)開業用に登場した車両である。
(地下鉄)としたのは、都電にも5000形が存在するためであるが、
今回、こちらの紹介は割愛する。
車体は普通鋼鉄製で通風器が車体と一体化している。
塗装は登場時がファイヤーオレンジとクリームのツートンカラーにステンレス製の
飾り帯が入るものであったが、昭和56年~平成2年にかけてクリームに
ファイヤーオレンジの帯に変更されている。
これについては全車に実施されたものではなく、途中で廃車になっているものも
存在する。
車内はロングシートで天井には送風機としてファンデリアが設置されている。
主制御装置やブレーキ、駆動装置などは5200形と同じなので割愛するが、
台車はコイルバネ台車である。
性能上、高速運転が苦手で100km/h程度までしか加速できなかった。
他社線直通は、当初、京成側が押上~東中山間、京急側が泉岳寺~京急川崎間であったが、
昭和56年以降、順次拡大され、京成側が京成成田まで、京急側が逗子海岸(現在の
新逗子駅)までの乗り入れとなった。
平成3年からは北総・公団線(現在の北総鉄道線)への乗り入れを開始し、運用範囲の
拡大が進んだが、この頃になると老朽化により5300形への置き換えが開始され、
平成7年の7月で全車の運行が終了した。
本形式の引退によって浅草線で運行される全車両の冷房化が完成した。
引退後、1両が東京消防庁消防学校で訓練用の教材として活用されている。
また、馬込車両工場に2両を保管していたが、工場施設の統合のとき、
解体された。