水の丘交通公園

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京浜急行電鉄 デハ230形電車

2009-10-14 23:01:43 | 保存車・博物館
湘南電気鉄道(現在の京急本線黄金町以南の区間)の開業に伴い製造された
デ1形電車を始祖として、ほぼ同型のデ26形、京浜電気鉄道(現在の京急本線の
黄金町以北の区間)が導入したたデ71形、デ83形、デ101形を大東急合併で
デハ5230形グループとした後、大東急分離・京浜急行電鉄発足と共に
デハ230形としたものである。
昭和5年~昭和15年にかけて全部で55両が製造された。

車体は半鋼製で正面、側面とも大きな2段窓が特徴の軽快なスタイルと
なっている。
塗装は緋色で屋根はオレンジだった。
当時計画されていた東京地下鉄道(現在の東京メトロ銀座線)との直通にも
対応できるように車体の長さが16mでコレクターシューと打ち子式ATS対応改造を
施せば、そのまま乗り入れが出来るようになっていた。
ドアはデ101形以外が2ドア、デ101形が3ドアである。

車内はデ1形、デ71形がドア間をボックスシートとしたセミクロスシート、
それ以外がオールロングシートである。大きな窓もさることながら、
運転室も最低限の仕切りしかなく、そのすぐ横まで座席があったことから
かなり開放的で明るい車内であった。
側面窓は2段窓で当初は「レニテント・ポスト」と呼ばれる特殊な防水・防音機構を
有していたが、構造があまりに複雑であったため、戦後になって喪われた。

主制御装置は抵抗制御で弱め界磁付き自動加速制御器を採用し、加速性・高速性に
優れていた。特に起動加速度3.2km/h/sは当時の車両としてはかなり高かった。
ブレーキは空気自動ブレーキである。
ただし、戦時設計の影響を受けたデ101形は手動加速制御器にグレードダウンし、
モーターのパワーも他の形式より弱かった。
台車は釣り合い梁式で駆動方式は吊り掛け駆動である。

以下に統合前の各形式の概要を記す。

◇湘南電気鉄道◇
・デ1形電車
昭和5年の湘南電鉄黄金町~浦賀・金沢八景~湘南逗子(現在の新逗子)間開業に
伴い登場した車両である。1~25号の25両が製造された。車内は当初、
セミクロスだったが、昭和15年ごろにロングシートに改造された。
湘南電鉄は開業時より架線電圧を直流1500Vとしていたが、京浜電鉄は直流600Vで
あったため、双方の電圧で走れるよう複電圧仕様にして直通運転ができるように
なっていた。
本形式では台車の軸受けにローラーベアリングを採用したほか、強力なモーターや
高性能の制御器の効果も相俟って、当時の車両としては極めて高い走行性能を
誇った。なお、台車には東京地下鉄道直通に備え、コレクターシュー取り付け
準備もされていたという。
・デ26形電車
昭和14年に登場したデ1形の増備車。26~31号の6両が製造された。
車内は当初よりオールロングシートであった。
車体の組み立てに溶接を多く使うようになり、リベットが無くなった。

◇京浜電気鉄道◇
・デ71形電車
昭和7年に品川~浦賀間の直通運転開始に伴い登場した車両である。
71~82号の11両が製造された。湘南電鉄デ1形をベースに京浜電鉄で
初めて鉄道車両規格で作られた車両であった。
車内もデ1形とおそろいのセミクロスシートだったが、後にロングシート化
されている。台車構造の違いから車高が若干高い。
製造当初、京浜電鉄は東京市電(→都電)と直通していた関係で1372mm軌間を
採用しており、1435mmへの改軌まで車庫で待機させられた。
・デ83形電車
昭和11年にデ71形の増備車として登場。83~94の11両が製造された。
混雑緩和のため、当初よりロングシートであった。基本形態はデ71形に
準じているが、車内の照明と通風器を増設している。
・デ101形電車
昭和15年に登場。101~108の8両が製造された。京浜電鉄線内のみで
使用するため、複電圧機能は省略されて直流600V専用車となった。
本形式のみドア数は3ドアで車内はロングシートである。
本形式では在来車との混用を考慮した結果、制御器を手動加速制御器としたり、
モーターのパワーダウン、ブレーキも性能に劣るタイプにされ、戦争の影響を
受けてスペックダウンしている。昭和20年4月の空襲で全車焼失している。

昭和16年に京浜電気鉄道と湘南電気鉄道が合併した後もそのまま使用されたが、
翌年に東京横浜電鉄を核として小田急(旧帝都電鉄→京王井の頭線含む)、
京王と合併して東京急行電鉄(大東急)になった際、これら形態や性能の
近い電車をデハ5230形として統合した。ただし、デ101形は性能や車体に
差があったため、デハ5170形とされた。
前述のとおり昭和20年の空襲でデハ5170形は全て焼失し、昭和22年にモーター
無しのクハ5350形として復帰した。
他のデハ5230形も一部が台車を履き替えて神中線(→相鉄線)に一時的に
転属して、戦後の混乱期を乗り越えていった。
昭和23年の大東急解体後は千の位の5を取ってデハ230形とクハ350形になった。
クハ350形は戦災車ながら整備されたてということもあり、進駐軍専用車と
なっていた時期もある。
昭和27年にクハ350形の4両を電動車に復帰させ、デハ290形とした。
この頃、塗装の変更が行われ、窓周りをイエロー上下をくすんだ赤とした
ツートンカラーに塗り替えられた。
昭和38年より大幅な更新修繕を行い、運転室の全室化、片運転台化、
貫通路の設置、扇風機の設置、窓枠のアルミサッシ化、ヘッドライトのシールド
ビーム化、テールライトの角型化などを行い、奇数車と偶数車でコンビを組む
2両固定編成となった。
昭和40年~41年にデハ290形とコンビを組んでいたクハ141形が廃車となり、
相方を失ったデハ290形からモーターを外して、クハ280形に再改造された。
この改造で一部の230形が編成を解除してこれとコンビを組んでいる。
クハ280形は後に運転台が撤去され、サハ280形となった。ただし、運転室は
残したままだったので、片方のデハ230形は貫通路を締め切って3両で運転された。

サハ280形はその異端さ故に廃車が早く、昭和51年に全車廃車となった。
デハ230形も、昭和53年に大師線での運行を最後に全車が引退した。

廃車後、14両(2連×7本)が高松琴平電鉄に譲渡され30形電車として志度線と
長尾線の主力車両として運用された。平成10年以降名古屋市交通局より譲り受けた
冷房付きの600系電車との置き換えが開始され、平成13年までに全車引退予定で
あった。しかし、同社の会社更生法適用を受けて計画が一旦白紙化され、
平成14年に志度線入る予定だった新車が長尾線に回されたため、2両1編成が
奇跡的に残された。しばらくはラッシュ用の予備車として残されたが、
平成19年の夏に長尾線の大型化完成に伴う小型冷房車転属で引退した。

この他、デハ248号が湘南電鉄デ1形時代の姿に復元され、京急久里浜工場に
デハ236号が埼玉県川口市青木町公園内、デハ268号が東京都新宿区西落合の
ホビーセンターカトー東京(鉄道模型店)にそれぞれ展示されている。
また、京急油壺マリンパークにデハ249+デハ250が編成で展示されていたが、
平成5年ごろに解体処分されている。


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