一枚岩に磨崖仏~~
前回、神戸西区伊川谷の太山寺磨崖仏を紹介しましたが
其処から車で20分位ですかね・・・
神戸電鉄・三木線の「木津駅」近くに、この辺では規模の大きい「木津六地蔵磨崖仏」が
断層の一部の礫岩壁に「経て32㌢・横2,2㍍」に阿弥陀如来座像と
左右に三体づつ、地蔵菩薩を浮き彫りに出来ているんです・・・
此の道は「太陽と緑の道」とハイキング道として、六甲山系を中心に
広範囲に伸びているんですよね・・・
その昔、平清盛が神戸の福原に都を置いた頃(1168年)都から鵯越を経て
姫路方面への街道に成っていたんですね・・1184年には、源義経が此の道を
通って鵯越に出て、一ノ谷で、平家を討ったのは有名ですよね・・・
其の途中の木津の山道に懸崖に長さ100㍍に渡り露出して居るんです
一部に砂岩層を挟んだ所に、500年前に造られたのは珍しいそうです・・・
六地蔵磨崖仏は、中央に阿弥陀如来像(像高42㌢)左右に各3体ずつの六地蔵(像高
25.2㌢~二八.五㌢)の立像を半肉で陽刻して居るんです・・
文正2年(1467年~室町中期)に、「丁亥 石大工兵衛
(1467年~室町中期)」の刻銘が残っています・・・
阿弥陀如来座像の顔面から肩に掛けてと、右端の地蔵画面は少し
剥がれて見えるのですが、ほぼそのまま残って居ますね~~
左のフォトは全体の左から三番目の地蔵菩薩さまです・・・(本当は逆さまなんです=
修正して正規にしましたニャァ
恐れ多い事に、此の岩の上に登れるんです~横の小道から直ぐに登れ
右の岩に寝っころばり、上から逆さまに撮らせて貰いましたニャァ~
此の磨崖仏の前は、木津の川池に成って其の傍に「神戸電鉄」も
走って居て、もっと南側には造成されて居て新工場も沢山
建っているんです・・・
揺れと連写の加工を入れて見ました~ アニメはドット打ちで作りましたニャァ
でも此の長閑な神聖な場所に佇むと一瞬、其方の風景を忘れさせてくれますね~
木津真崖仏
木津真崖仏1
少し情景に合わして、BGMを入れてみました~~
二枚目の動画は岩の上から、逆さまでカメラだけを手を伸ばして
撮ったので、上手く被写体に入って無いですニャァ~~
まぁ~許可が有っても一応、仏様の頭の上に乗ったのだから
帰りには手を合わせてお礼と懺悔をしてきましたよ~~
前回、神戸西区伊川谷の太山寺磨崖仏を紹介しましたが
其処から車で20分位ですかね・・・
神戸電鉄・三木線の「木津駅」近くに、この辺では規模の大きい「木津六地蔵磨崖仏」が
断層の一部の礫岩壁に「経て32㌢・横2,2㍍」に阿弥陀如来座像と
左右に三体づつ、地蔵菩薩を浮き彫りに出来ているんです・・・
此の道は「太陽と緑の道」とハイキング道として、六甲山系を中心に
広範囲に伸びているんですよね・・・
その昔、平清盛が神戸の福原に都を置いた頃(1168年)都から鵯越を経て
姫路方面への街道に成っていたんですね・・1184年には、源義経が此の道を
通って鵯越に出て、一ノ谷で、平家を討ったのは有名ですよね・・・
其の途中の木津の山道に懸崖に長さ100㍍に渡り露出して居るんです
一部に砂岩層を挟んだ所に、500年前に造られたのは珍しいそうです・・・
六地蔵磨崖仏は、中央に阿弥陀如来像(像高42㌢)左右に各3体ずつの六地蔵(像高
25.2㌢~二八.五㌢)の立像を半肉で陽刻して居るんです・・
文正2年(1467年~室町中期)に、「丁亥 石大工兵衛
(1467年~室町中期)」の刻銘が残っています・・・
阿弥陀如来座像の顔面から肩に掛けてと、右端の地蔵画面は少し
剥がれて見えるのですが、ほぼそのまま残って居ますね~~
左のフォトは全体の左から三番目の地蔵菩薩さまです・・・(本当は逆さまなんです=
修正して正規にしましたニャァ
恐れ多い事に、此の岩の上に登れるんです~横の小道から直ぐに登れ
右の岩に寝っころばり、上から逆さまに撮らせて貰いましたニャァ~
此の磨崖仏の前は、木津の川池に成って其の傍に「神戸電鉄」も
走って居て、もっと南側には造成されて居て新工場も沢山
建っているんです・・・
揺れと連写の加工を入れて見ました~ アニメはドット打ちで作りましたニャァ
でも此の長閑な神聖な場所に佇むと一瞬、其方の風景を忘れさせてくれますね~
木津真崖仏
木津真崖仏1
少し情景に合わして、BGMを入れてみました~~
二枚目の動画は岩の上から、逆さまでカメラだけを手を伸ばして
撮ったので、上手く被写体に入って無いですニャァ~~
まぁ~許可が有っても一応、仏様の頭の上に乗ったのだから
帰りには手を合わせてお礼と懺悔をしてきましたよ~~