春うららに赤穂を訪ねて~~
綾部山梅林を訪ねた其の後、足を延ばし赤穂岬・温泉を経て
忠臣蔵の舞台でも有る「赤穂城跡」を今年も寄って見ました~~
慶安元年(1648)から13年の歳月をかけて築かれた赤穂城
近世城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城だそうです・・・
三方を山に囲まれ、東に千種川・南は瀬戸内海に面し
清水門の南には船が出入り出来る様に成って居るんですよね・・・
本丸はもう無いんだけど唯一、此の「たいこ橋」が面影を残して居るんですよね
花岳寺=赤穂藩歴代藩士の菩提寺であり、四十七義士の墓には「遺髪」が納められ居ると
伝えられているんですよね・・・
一般には赤穂義士のお墓では、東京高輪泉岳寺は義士伝では有名ですよね・・・
此の赤穂の花岳寺にも四十七士のお墓が有るんです・・・
今も泉岳寺と同様に花の絶える事が無い位に、参拝者の方が沢山
来ています・・・
「Sakuraさんの勉強室」のソースをお借りしました~
花岳寺の宝物館に、討ち入り時の色々な道具が展示されて居るんですが
鎧とかは、本当に小さくて現在人では到底着れない位の大きさでしたね
矢張り昔の人は小柄だったんでしょう・・・
其の小さな体で、主君の仇討ち本願を全う出来た事は
如何に精神力が強かったのかが、少し解る様な気もしますね・・・
大好きな天井絵を、もう一度UPしますね~~
右の人形は「元禄十四年三月十九日の早朝、江戸からの早打ちに何事かと
心配げな大石りく夫人と次男吉千代・長女くう・次女ルリ・侍女など内蔵助一家」
此の時期、観梅・牡蠣鍋を楽しみに来年も訪ねたいですね~~
綾部山梅林を訪ねた其の後、足を延ばし赤穂岬・温泉を経て
忠臣蔵の舞台でも有る「赤穂城跡」を今年も寄って見ました~~
慶安元年(1648)から13年の歳月をかけて築かれた赤穂城
近世城郭史上非常に珍しい変形輪郭式の海岸平城だそうです・・・
三方を山に囲まれ、東に千種川・南は瀬戸内海に面し
清水門の南には船が出入り出来る様に成って居るんですよね・・・
本丸はもう無いんだけど唯一、此の「たいこ橋」が面影を残して居るんですよね
花岳寺=赤穂藩歴代藩士の菩提寺であり、四十七義士の墓には「遺髪」が納められ居ると
伝えられているんですよね・・・
一般には赤穂義士のお墓では、東京高輪泉岳寺は義士伝では有名ですよね・・・
此の赤穂の花岳寺にも四十七士のお墓が有るんです・・・
今も泉岳寺と同様に花の絶える事が無い位に、参拝者の方が沢山
来ています・・・
<大石邸長屋門=此の門だけは昔のまま現存> | ||
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「Sakuraさんの勉強室」のソースをお借りしました~
花岳寺の宝物館に、討ち入り時の色々な道具が展示されて居るんですが
鎧とかは、本当に小さくて現在人では到底着れない位の大きさでしたね
矢張り昔の人は小柄だったんでしょう・・・
其の小さな体で、主君の仇討ち本願を全う出来た事は
如何に精神力が強かったのかが、少し解る様な気もしますね・・・
大好きな天井絵を、もう一度UPしますね~~
右の人形は「元禄十四年三月十九日の早朝、江戸からの早打ちに何事かと
心配げな大石りく夫人と次男吉千代・長女くう・次女ルリ・侍女など内蔵助一家」
此の時期、観梅・牡蠣鍋を楽しみに来年も訪ねたいですね~~