かーちゃんはつらいよ

施設入所した18歳そうちゃん(自閉症、最重度知的障害、強度行動障害、てんかん)のかーちゃんが書く雑記。

ノーマライゼーション

2011年03月09日 19時39分11秒 | みゆみゆとの生活
たまには少し、堅い話を 長いよ。ごめん。

ノーマライゼーション、という言葉をご存知でしょうか。
「障害者を排除するのではなく、障害を持っていても健常者と均等に当たり前に生活できるような社会こそがノーマルな社会である」という考え方です。
もっと簡単に言うと、「障害も個性のひとつとしてとらえ、一般の人と同じ社会で一緒に生きていきましょう」という概念。
最近は、障害者雇用が一定の条件を満たした会社に義務付けられるなど、その動きは進んできています。

ノーマライゼーションを実現するためには、相手を「障害者」として認識する前に、まず一人の「人」として出会える環境が必要ではないか?と最近思う。
自分の子ども時代を振り返ったり、みゆみゆの学校生活を見ていても、障害のある人との出会いは、割と少ない。
特に、重い障害のある同世代の人に会う機会は、成長の過程で、ほとんどない。

愛知県の瀬戸市が、H22年度から「瀬戸養護学校(さくらんぼ学園)」を市立小学校に隣接して建設しました。
「遠くの県立養護学校へ通うわが子を、地元の学校へ通わせたい」という親の思いが、行政を動かしたようです。

ごく普通の小学校。
廊下を歩いていくと、そこは重度心身障害の子達の「さくらんぼ学園」。
全国的にも、珍しいようです。
テレビのニュースで、特殊車いすで移動する子と小学生が、一緒に体育館で遊ぶシーンを見ました。
笑いながら追いかけっこをする子どもたち。
お友達に車いすを押してもらって、いい笑顔で笑っている子
自然に、毎日こんな時間が持てたら・・・。
いや、本当は、これが当たり前の姿なんじゃないだろうか、と思いました。

そうちゃんもあと1年で小学校へ入学です。
地域の学校の特別支援クラスなのか、県立の養護学校(特別支援学校)なのか。
学校選びは、親にとっての一大事です。

地元の支援クラスは、支援を受けながらお勉強をしていくところ。通常学級との交流がある。
養護学校は、生活面の基本的な習得から、個別性に合わせて教えてくれるところ。うちからだと、バスで40分以上かかる(!)

でも、なんで?

「ずっと一緒に育ってきた保育園のお友達と一緒に、お姉ちゃんと同じ学校へ通わせたい。」
という親の思いと、
「服の脱ぎ着やおはしの使い方、ごあいさつの仕方など、生活面の学習からはじめて欲しい。」
「動きが激しいので、対応できるよう補助の先生をつけてほしい。」
という希望の、両方はかなえられない。
今の制度では。なんでなんだろ。

保育園(幼児教育)は、全国的に「統合保育」という流れです。
つまり、障害児も通常クラスに入れて、一緒に生活をさせる保育。
そうちゃんは、一人補助の先生(加配保育士)についてもらって、保育園で過ごしています。
みんな、そうちゃんを「そうちゃん」として受け入れてくれています。
ありがたいことに、そうちゃんは保育園の人気者(?!)です。
朝送って行ったときに、「そうちゃんだよ」と自分のママに紹介してくれる子、「先生、そうちゃん来たよー」と呼びに行ってくれる子が、他のクラスの子にも、たくさんいます。
興奮気味でおもちゃを投げたりしていても、クラスのお友達が「そうちゃん、今日はどうしちゃったんだろうねぇ」と心配してくれるそうです^^

見ようによっては「特別扱い」となることを、「特別視」せず、「そうちゃんは、この方がいいから」と、自然に対応してくれている、保育園全体の雰囲気…。
園長先生や担任の先生をはじめ、保護者の方々も含めて、大人が温かく接してくれている姿が、そのまま子どもたち全員に伝わっているのではないかと、思う。
子どもって、大人が思うよりずっと順応性が高く、大人の態度を敏感に察知しているものです。

せっかく育った同学年の子の輪。
養護学校に行き、この環境を失うことを、もったいなく思う。
健常の子にとっても、障害児(中度~重度)が環境から消えることは、大切な「わかり合う機会」を失うことになるのではないだろうか。

でも、そうちゃん個人にとっては、やはり専門的な教育を、少人数・個別的に受けたほうがいいのかな?

ほんとに迷います。
そして今の教育制度に疑問いっぱいです。

本当の、ノーマライゼーションが、この町にもやって来て欲しい。
親としての、願いです。



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