解体間際の別苅小学校の続き。
人の出入りが無くなった校舎というのは寂しいものです。
掃除がされているワケでも無し。
その時々の想いがギュッと詰まっているところ。
時代とともに建物が変化していくのは仕方が無いとして、学校そのものが無くなってしまうというのは残念ですね。
ここの場合は何か残されるのか。
残された時間は2カ月…。
いや、もっと短いのかも知れません。
町内では信砂御料や新信砂、歩古丹、岩老などで小学校を運営していた時代があります。
記録にあるだけで跡地を探すことも難しいものもありますけど。
いつかそんな場所巡りをすることになるのかな。
目印がどう残されるのか。
とりあえずよく目に焼き付けておこう。
人の出入りが無くなった校舎というのは寂しいものです。
掃除がされているワケでも無し。
その時々の想いがギュッと詰まっているところ。
時代とともに建物が変化していくのは仕方が無いとして、学校そのものが無くなってしまうというのは残念ですね。
ここの場合は何か残されるのか。
残された時間は2カ月…。
いや、もっと短いのかも知れません。
町内では信砂御料や新信砂、歩古丹、岩老などで小学校を運営していた時代があります。
記録にあるだけで跡地を探すことも難しいものもありますけど。
いつかそんな場所巡りをすることになるのかな。
目印がどう残されるのか。
とりあえずよく目に焼き付けておこう。
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