元陣屋の町制施行120年記念展示会。
最後は記録もの。

マチが出来て間もない頃の記録は沿革誌。
もちろん毛筆。

当時のようすを記した文にはこう書かれていたのだとか。

天塩国の首都であったため、創立以来広く交際の機会が多く、知力を発達させ、また豊漁の恩恵によって衣食住に困らない人が多く、自然と温厚な雰囲気の町となっている。

大正3年の記録は町勢一般。

増毛は確かに天塩国における主たりしが、かねて築港に失敗して以来衰退的傾向を示し、今日にありては生産力、商業取引の範囲などにおいて到底留萌の発達に及ばざるに至った…。
そうですな、鉄道も港も…。
隣マチに水をあけられた歴史があることは十分に学びました。

昭和9年には尋常高等小学校の記述。
吾等が郷土。

増毛時間なるものありて、集会その他において規定せる時間に相集まりたる事無く、常に1時間以上の遅参を見るを例とす。
おもしろいですな。
そう言えば「増毛時間」って自分たちでも使ってましたわ。

これも同じく昭和9年の鉄道建設請願書。

増毛留萌間の鉄道開通は大正10年だが、これは昭和9年に札幌石狩増毛を繋ぐ鉄道建設を要求するもの。
あまり知られていないものですけどね。北海道国有鉄道建設誌によると札幌から石狩、浜益を経由して増毛に通じる路線というものが含まれていたのだとか。

そうそう、増毛水族館の資料も展示されていました。

記録では昭和30年7月1日オープン、そして39年までの10年間しか営業されなかった短命の施設。
だけど閉館したのは39年のいつなんだろう。
10年間なのか9年なのか。

ま、今となってはどうでもいいことなのですがね、気になってしまいます。

総工費250万円で水槽16基。
昭和29年に函館で開催された北洋博覧会で使われた水槽を譲り受けたと記録されています。

オットセイ、海水魚、淡水魚など70種の魚を見学することが出来たのだとか。

見てみたかったです。

ワタクシが生まれた頃の人たちが頑張って活躍していた話。
何だか羨ましい。

展示していた元陣屋を後にしたワタクシ。
見上げた空は鱗雲。

ニシンの千石場所を名乗ったマチ。
今でも似合います。