Dying Message

僕が最期に伝えたかったこと……

自分で自分を殺めるということ

2008-06-05 03:02:26 | Weblog
 またブログの炎上騒ぎがあったらしい。電撃ネットワークのメンバーのひとりが、自殺した川田亜子さんについて「誰でも悩みは抱えている。そんなことで死んだら世間知らずと言われても仕方ない」といった旨のことを書いたところ、批判のコメントが殺到したという。

 今までも書いてきたように、オレはブログに限らず、有名人の発言の重箱の隅を突いて喜んでいるような奴は最低だと思う。正義の仮面を被ってストレス解消をするようなバカは人間として下の下だ。
 だから今回も、コメント欄を荒らした連中に対する気持ちは、倖田來未騒動の時に抱いたそれと全く変わらないのだけど、一方で世間知らず云々という発言にも何とも言えぬ違和感が残っている。

 川田さんに限らず、若い人が自殺をすると決まって言われるのが「これからまだ幸せなことがあったろうに」ということだ。バカのひとつ覚えのように使われるが、オレにはそれは嘘だという気がしてならない。

 人は未知のものに希望を託す。いや、託そうとする。だから未来を光に満ちたものと信ずるわけだけども、それは今が不幸の底、闇の中であってほしいという願望に支えられた感情でしかない。自分が光の中にいるとき、人はそれを認めたがらない習性がある。

 だからギャップに苦しむことになる。現実は往々にして厳しいものだから、希望を持てば持つだけ深い傷を負うことになる。
 自殺者を批判する人は、要はその傷に鈍感ということなんじゃないか。「生きていればいつか幸せなことがある」という発言の裏には、自分の未来は必ず明るいものだという傲慢な前提がある。パスカルの賭けの話から、未だに抜け出せていないわけだ。

 昭和2年に自殺した芥川龍之介は、その理由として「ぼんやりとした不安」を挙げている。この頃というのは、金融恐慌の煽りで銀行の休業が相次ぎ、労働争議も頻発している。また、やがて来たる愚かな戦いの兆候が見えはじめた時期でもある。
 だから芥川は、自殺した。自分にも、国にも、その未来に光が射し込まぬことが分かったからこそ、自ら命を断った。彼のような敏感な嗅覚を持つ人間には、死より厳しい現実が未来に存在することが分かる。そんな人に「いつか良いことがある」と説いたところで、あると信じる奴がバカだと言われてお終いだろう。

 もちろん芥川龍之介と川田さんを同列に扱うのは間違いだとは思う。一部報道では男性関係のトラブルも指摘されているように、あるいは「世間知らず」が自殺の原因だったのかも分からない。ただし、一方で、生きていたら川田さんの未来が明るいものであったかというのは、また別の話なのだ。

 オレ自身、今は人生の大きな岐路に立っている。すると将来のことも色々と考えるのだけど、浮かんでくるのはいつも不安の絵ばかりだ。
 自らの未来を明るいものと想像しえないオレには、自殺を肯定することはしないにしても、否定する資格などあるはずがない。


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