快晴。25-11℃
いきなり気温が上がったのを味方につけて、
低血圧な私はとても早起きになったw(80/60とかはざら)
家事を手抜きはしない、
手早く済ませて、一日中楽器にはまっている。
そうそう、暖かくなって、
今日はハイネックでなくて、鎖骨を出した襟ぐりの大きなものにしたら、
肩当てが首に吸い付くようにフィット、楽器が落ちなくなったので、
暖かい季節の練習日は、鎖骨みせになるかもしれない。
普段は隠していても。
誰がババアの鎖骨なんぞ見たいというんだと思ふ。
猫達も慣れたもので、集まってくるように。
俺だ、俺!と足元で座布団を回しているきーじ。
いつもより、まわっていますw
上にあげてやる。
ついに紅玉は残り1、もうなかなか売っていない。
タイマーも使用して、キリの良いところでやめようとするのだが、もはや止まらない。
で、練習に疲れて40分くらい、飛び込んで群れてみた、
もふもふもふ、ああ幸せ。
か、かわいい。下の介護の苦労を忘れるわ。
という、実につまらない日常でスミマセンm(_ _"m)
そうそう、天窓から花見ができることに、今日気が付いた!
ラッキー!
庭には収穫しない檸檬が相変わらず、彩りとして放置され、
ゲーテの君よ知るや南の国気分なのだが、
りんごの国光のつぼみも上がってきた。
国光といえば⇒黒光の方に転換され、荻原碌山、
ああ長野の碌山美術館にも、みたび行きたいなぁ、待ってろ長野っ!!
庭仕事は、今週、電動のこぎりを購入してからにした。
もう手が痛いから、手動は無理と判断。
しかし、時間がとにかく足りないのだ(T_T)
なんか一日中頭に、ぐるぐるしてますので、これ。
歌のつばさを かりて行(ゆ)かな
幸(さち)にあふるる 夢の国へ
陽のさす園に 花は香り
見わたす池に 蓮(はちす)におう
見わたす池に 蓮におう
Nana - 歌の翼に 作品34-2(メンデルスゾーン)
今日の猫好きさんへの一冊。
(以前もここで何度か紹介したのですが。)
マンハッタンにある有名な「アニマル・メディカル・センター」に勤務し、
猫の腫瘍担当の無名のスタッフが書いたもの。
とても古い本1997年初版(絶版)なのですが、
解りやすい治療内容といい、全く古さを感じさせません。
そして、どのページを取り上げても、
静謐な詩情と(とにかく訳の力なのか、本人の力なのかが、わからないが文が素敵)
その上に、治療はエッセイの形式であれど、的確なエビデンスにあふれていると思うのです。
※そういうわけで、Amazonで一円本をもう一冊別のをポチる。
猫との別れ、父との別れ、患畜の飼い主さんとのやり取り、自然描写や日常の思考、
どのページの文章を取り上げていいのかわからない、
素敵で選べない。
私がアメリカは良いなと思う点は、
彼女は休暇があると、(猫と旅行にもいきますけれど、)
社会人であっても、大学で講義を受けるのです。
85頁
9月にハンターカレッジの微生物学のコースに聴講手続きをとった。
わたしはハンターの卒業生で、学部と大学院で英語学を専攻している、センターの腫瘍科で準研究員として働き始めるころになってから、
自分の関心が理科系に向かっている事に気づいたのだった。
略
学生時代、理系の選択科目を選んだことはなかった。
科学への目覚め、化学を学びたいという意欲を痛切に感じ始めたのは、
センターで働き始めて二、三年経ってからだ。
略
(独学で勉強するのですが)
しかし、もはや基本的な予備知識が無ければこれ以上進めないところまで、わたしは到達していた。
高度の概念をマスターするには、基礎を学ばねばいけないことが、はっきりしていた。
それで、夜大学で学ぶことを決心したのだ。
特定の目標があるわけでなく、
ただ新しい分野について出来るだけ貪欲に学びたいというのが私の気持ちだった。
学期ごとに、学校時代に敬遠していた理系のコースを一科目ずつ勉強することにし、
まず生物学を選んだというわけだ。
微生物学のコースは一週間一回、月曜日(わたしの休みの日)に開かれ、二時間の講義と三時間の実験があった。
楽しかった。特に実験が待ち遠しかった。
実験は、講義の中で教わり記憶したことを、理解するいい機会だった。
138頁
夏は足早にすぎていった。これは多分、わたしの夜と週末が微積分学によって占領されたからであろう。
私は数学は好きだった。生物学と同様、数学は理論的だという気がした。
基礎概念は、たとえ最初は難しくても、究極的には理解可能だった。
しかし、自分が微積分額を理解できたとは思わない。
全部の授業に出席し、宿題をきちんとやり、試験も受けた。
かなりいい成績だった。けれど、わたしは微積分額はどうしても理解できなかった。
八月半ば、授業は終わった。何かを達成したという気がした。
それがなにかは、よくわからなかったけれど。
この文章を久しぶりに読んでいて、私は4年制の大学が終わった後、
働きながら夜間の授業をとり、大学以外の2つの学校に行った20代をなつかしく思い出しました。
結局、私は何にもなりえなかったのですけど。
多分、振り返ると、学ぶって、何かの力、希望になるのだと思います。
こういう文章ばかりではありません。
冒頭など、
なだらかな坂道を私はのぼっていく。
しずかにしずかに雪が降り、ニューヨークの街のけたたましい騒音を消している。
私の心は焦点を失い、丘を越え、遠いメインの海辺へとさまよっていく。
孤独な並木道は沈黙に支配され、ただ固い雪を踏みつける足跡だけが淋しくひびく。
そして、わたしは彼を見る。いつものように、彼は私の全感覚を呼び起こし、私を目覚めさせる。
私は彼を見つめる。黒い猫。
略
猫を飼っているのが、どんな人たちなのかは、知らない。
しかし、窓辺の彼を見て自分の歩いた距離を知るようになったこの年月のうちに、
わたしは彼を愛する人びとに親しみを覚えている。
このさっそうとした猫に食餌をあたえ彼と遊ぶ人たち、
まだ見たことはないけれど、彼らの褐色砂岩の家は、わたしにとって特別の家だ。
ほかの褐色砂岩の家と番うのだ、これはあの黒猫の住む家なのだ。
全ての猫を愛する人に捧げたい本です。
特に、
1、愛猫家
1、独身(親からも自立)
1、親を癌で亡くした方、
1、現在、猫の治療をしている方、
1、ペットロスに陥りそうな方、
1、一生学びたい方、
デリカシーのない男どもなどには読ませられない、とっても素敵な本ですのよっ、おーっほっほw
いきなり気温が上がったのを味方につけて、
低血圧な私はとても早起きになったw(80/60とかはざら)
家事を手抜きはしない、
手早く済ませて、一日中楽器にはまっている。
そうそう、暖かくなって、
今日はハイネックでなくて、鎖骨を出した襟ぐりの大きなものにしたら、
肩当てが首に吸い付くようにフィット、楽器が落ちなくなったので、
暖かい季節の練習日は、鎖骨みせになるかもしれない。
普段は隠していても。
誰がババアの鎖骨なんぞ見たいというんだと思ふ。
猫達も慣れたもので、集まってくるように。
俺だ、俺!と足元で座布団を回しているきーじ。
いつもより、まわっていますw
上にあげてやる。
ついに紅玉は残り1、もうなかなか売っていない。
タイマーも使用して、キリの良いところでやめようとするのだが、もはや止まらない。
で、練習に疲れて40分くらい、飛び込んで群れてみた、
もふもふもふ、ああ幸せ。
か、かわいい。下の介護の苦労を忘れるわ。
という、実につまらない日常でスミマセンm(_ _"m)
そうそう、天窓から花見ができることに、今日気が付いた!
ラッキー!
庭には収穫しない檸檬が相変わらず、彩りとして放置され、
ゲーテの君よ知るや南の国気分なのだが、
りんごの国光のつぼみも上がってきた。
国光といえば⇒黒光の方に転換され、荻原碌山、
ああ長野の碌山美術館にも、みたび行きたいなぁ、待ってろ長野っ!!
庭仕事は、今週、電動のこぎりを購入してからにした。
もう手が痛いから、手動は無理と判断。
しかし、時間がとにかく足りないのだ(T_T)
なんか一日中頭に、ぐるぐるしてますので、これ。
歌のつばさを かりて行(ゆ)かな
幸(さち)にあふるる 夢の国へ
陽のさす園に 花は香り
見わたす池に 蓮(はちす)におう
見わたす池に 蓮におう
Nana - 歌の翼に 作品34-2(メンデルスゾーン)
今日の猫好きさんへの一冊。
(以前もここで何度か紹介したのですが。)
マンハッタンにある有名な「アニマル・メディカル・センター」に勤務し、
猫の腫瘍担当の無名のスタッフが書いたもの。
とても古い本1997年初版(絶版)なのですが、
解りやすい治療内容といい、全く古さを感じさせません。
そして、どのページを取り上げても、
静謐な詩情と(とにかく訳の力なのか、本人の力なのかが、わからないが文が素敵)
その上に、治療はエッセイの形式であれど、的確なエビデンスにあふれていると思うのです。
※そういうわけで、Amazonで一円本をもう一冊別のをポチる。
猫との別れ、父との別れ、患畜の飼い主さんとのやり取り、自然描写や日常の思考、
どのページの文章を取り上げていいのかわからない、
素敵で選べない。
私がアメリカは良いなと思う点は、
彼女は休暇があると、(猫と旅行にもいきますけれど、)
社会人であっても、大学で講義を受けるのです。
85頁
9月にハンターカレッジの微生物学のコースに聴講手続きをとった。
わたしはハンターの卒業生で、学部と大学院で英語学を専攻している、センターの腫瘍科で準研究員として働き始めるころになってから、
自分の関心が理科系に向かっている事に気づいたのだった。
略
学生時代、理系の選択科目を選んだことはなかった。
科学への目覚め、化学を学びたいという意欲を痛切に感じ始めたのは、
センターで働き始めて二、三年経ってからだ。
略
(独学で勉強するのですが)
しかし、もはや基本的な予備知識が無ければこれ以上進めないところまで、わたしは到達していた。
高度の概念をマスターするには、基礎を学ばねばいけないことが、はっきりしていた。
それで、夜大学で学ぶことを決心したのだ。
特定の目標があるわけでなく、
ただ新しい分野について出来るだけ貪欲に学びたいというのが私の気持ちだった。
学期ごとに、学校時代に敬遠していた理系のコースを一科目ずつ勉強することにし、
まず生物学を選んだというわけだ。
微生物学のコースは一週間一回、月曜日(わたしの休みの日)に開かれ、二時間の講義と三時間の実験があった。
楽しかった。特に実験が待ち遠しかった。
実験は、講義の中で教わり記憶したことを、理解するいい機会だった。
138頁
夏は足早にすぎていった。これは多分、わたしの夜と週末が微積分学によって占領されたからであろう。
私は数学は好きだった。生物学と同様、数学は理論的だという気がした。
基礎概念は、たとえ最初は難しくても、究極的には理解可能だった。
しかし、自分が微積分額を理解できたとは思わない。
全部の授業に出席し、宿題をきちんとやり、試験も受けた。
かなりいい成績だった。けれど、わたしは微積分額はどうしても理解できなかった。
八月半ば、授業は終わった。何かを達成したという気がした。
それがなにかは、よくわからなかったけれど。
この文章を久しぶりに読んでいて、私は4年制の大学が終わった後、
働きながら夜間の授業をとり、大学以外の2つの学校に行った20代をなつかしく思い出しました。
結局、私は何にもなりえなかったのですけど。
多分、振り返ると、学ぶって、何かの力、希望になるのだと思います。
こういう文章ばかりではありません。
冒頭など、
なだらかな坂道を私はのぼっていく。
しずかにしずかに雪が降り、ニューヨークの街のけたたましい騒音を消している。
私の心は焦点を失い、丘を越え、遠いメインの海辺へとさまよっていく。
孤独な並木道は沈黙に支配され、ただ固い雪を踏みつける足跡だけが淋しくひびく。
そして、わたしは彼を見る。いつものように、彼は私の全感覚を呼び起こし、私を目覚めさせる。
私は彼を見つめる。黒い猫。
略
猫を飼っているのが、どんな人たちなのかは、知らない。
しかし、窓辺の彼を見て自分の歩いた距離を知るようになったこの年月のうちに、
わたしは彼を愛する人びとに親しみを覚えている。
このさっそうとした猫に食餌をあたえ彼と遊ぶ人たち、
まだ見たことはないけれど、彼らの褐色砂岩の家は、わたしにとって特別の家だ。
ほかの褐色砂岩の家と番うのだ、これはあの黒猫の住む家なのだ。
全ての猫を愛する人に捧げたい本です。
特に、
1、愛猫家
1、独身(親からも自立)
1、親を癌で亡くした方、
1、現在、猫の治療をしている方、
1、ペットロスに陥りそうな方、
1、一生学びたい方、
デリカシーのない男どもなどには読ませられない、とっても素敵な本ですのよっ、おーっほっほw