ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

やり残したもの、これから、

2018-03-25 19:26:52 | 時は輝いている
さて、続きです。
酷いゴミ屋敷のような庭や、倉庫の有様だが、
彼らの名誉の為に、
実は家の中は、このくらいスッキリ。

ここは、私も見習わなくてはいけない。

農作業をしていたら、ロードランナーが目の前を走っていく。


ああ、私だって好きなんだぞ!





長い長い、利根川の土手のサイクリングロード、
上流に行くと長塚節の「土」の舞台で鬼怒川に続き、下流は太平洋に到達する。
私は、広々とした関東平野が大好きである。

16の時に、
この私を先頭に、後に従弟達が続き、あの橋まで走ったものだった。

きらめいていた 誰もがみんな
でも僕らは 何も わかっていなかった

その日々は ずっと 遠く どこまでも
続いて行くと そう思っていた

そこで私は受験に、また、お互いの思春期で、あの夏から私達従弟は遊ばなくなった、
7年前の母の葬儀の日から、長い沈黙を破り、
また子犬のように、じゃれだしたのであった。







さぁ、ミニクーパーだけで8台!(まともなのがないwwww)
そこで、修繕、ファーマーからオイルボーイに変身だ!



左角、叔母。

修理道具はミニクーパーだけにインチだね、この場合。






道具が無ければ針箱迄。

従弟曰く、「独身男性は、ズボンの裾上げ迄自力でできなければあかん」とな、
そして、絶対に結婚しないそうw

で、結局、車は動かなくて、大笑いする私(スポンサー)にあたる、あたるw

さて、叔母は私にお土産に野菜とモズクガニをくれる。
昼間、ゾエアだ、汽水だと、お話していたカニだ。






夕日に土筆の山が照らされていて、
車修理の騒ぎから離れた、叔母と私二人は、
自然に、ぽつぽつと、
母の事、父の現在、過ぎた日々の事を語りだした。


母が、意外にあっけなく死んでしまったこと、
あんなに頭がいい父がアルツハイマーになったこと、
何故、何もしない人が痴呆にならないのかとか、
全てが理不尽で、いきなり感情が堰を切ったように、止まらなくなった、
自分の抱えている寂しさや、悩みも、凄い勢いで喋ってしまっていた。

叔母は余所から来た他人であったが、
向こうも堰を切ったように、
様々な悩みや、人生で実現できなかったことなどを話し出したのだった…。

様々な劣等感やら、されて嫌な事、全て叔母に言ってしまった。
何故、姉は音楽の勉強が許されて、私は介護なのとか、それはもう。
叔母は多分解らないながらも、少しは見てはきていたので、
うんうんうなずいていた。
そして、やらないより後悔よりは、何だってもうやってみたら良いと。

結局のところ、二人の結論は、
車でじゃれている従弟達を見ながら、
ああいう風に、同じレベルの話し相手のお友達がいたらいいのにだった。
閉じこもっていたら、絶対に出来ないし。
ただ、人付き合いが苦手なのも確かだ。
少なくとも、音楽は賛成してくれた。





春が訪れた。
私は、このなんともない、田園風景が大好きだ。
いつまでも変わらないでいて欲しい。
コメント (2)
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