≪トナカイの旅日記+@≫

     旅を忘れた、トナカイ!!?

   

名古屋へ、 2。

2016-04-28 12:47:25 | 日記

 名古屋ボストン美術館での《ルノワールの時代》の鑑賞。
 同じビルに入る名古屋都市センターには何度も行く機会は
 ありましたが、初めて美術館。
 ルノワール、ミレー、ゴッホ、モネ、ドガ、ロートレック、、、。
 聞きなれた有名な作家たちの作品が展示してある。
 
 ワンフロァーでの展示かではなく3,4、5階に分かれていました。
 展示期間が(3,19~8,21)長いためか平日のためか鑑賞者は
 まばらで、時間をかけて一作品ごとゆっくりと見ることができた。
 海外に出かけたときには、数カ国で有名な美術館での鑑賞にも恵まれています。
 絵画や彫刻、美術に触れる機会があるという事は、私は心や気持ちが癒える。
 大事にしたい。

 その後は再度都市センターに行く。
 11階まちづくり広場(展示コーナー)は何度行っても興味深い。

 
 同じ階で《まちかどの近代建築 写真展in名古屋Ⅰ》があり、
 数百枚の建物写真が展示されていた。

久しぶりに。 1。

2016-04-26 15:34:11 | 日記

 たまには都会の匂いも体に取り込もうと出かけました。

 きょうの目的は、

 先日、瑞浪に同行した彼の作品が展示されているという
 《2016中部クルエーターズポスター展》を観賞。
 愛知美術館ギャラリーで、総数80点近い作品が一堂に。
 さすがにどれもこれも手の込んだ作品ばかり。

 次は、丸栄百貨店催事場で《東海伝統工芸展》を、
 こちらにも高校時代の友が出展。手の込んだ七宝製品が
 何とお値段は80万円近くでした。私は鑑賞するだけ。
 もぅ一点陶芸では、バイト中一緒に顔を合わせたことのある友の作品も。
 

 栄の地下街を歩き地下鉄で金山駅へ。

 筍取り。

2016-04-24 16:34:42 | 日記

 二年ほど前のこの季節には、昔の職場仲間所有する竹やぶで
 掘って手に入れることが出来たが、その友も亡くなり奥さんに
 聞いたら、他人が勝手に掘ってしまったから、とのことでした。残念。

 いつもの歴史同好会の方から、次の誘いがあり、会費を納めに行くと、
 筍は要らない?、自分で掘って持って行ってもいい、良かった。
 街の中だけど、ちょっとした孟宗竹の竹やぶがある。 
 旬の季節には食べたい。これで今年もバンザイ。
 いつものスーパーや道の駅に行けば買うことはできるが、、、、。
 やっぱり、自分で掘って食べたい。体を動かしたい。
 散歩がてらに出かけ、ワラビも一握りほど採ることができたから
 筍とワラビを煮つけして、春を味わいながら一杯呑む。健康に感謝して。小さな幸せ。

 
 近くの農協前に、精米機が設置してあり、アク取り用のヌカは手に入る。

 早速、ゆがいて水につけた。
 たくさんあるから、小分けして冷凍保存することにした。
 いつでも食べれる。

熊本地震から一週間。

2016-04-22 11:21:10 | 日記

 何時まで経っても余震が続く熊本、大分早く治まってほしいと思うのは誰でもでしょう。
 甚大な被害が出ていますが、遠く離れた私たちの出来る事は?。

 熊本城だけでも年千数百万人が訪れるという。

 お城の石垣再築だけでも十数年、十億近い金額がかかり、
 一方では、話しによると元通りになるまでには二十年近くかかるらしい。


 あの時が見納めなんて思いたくは無いが、何か淋しいです。


 阪神大震災での時、知り合いがアパートの二階に住んでいて助かったと聞きました。
 地震があって火災が起きたら本当に何もかも無くしてしまう。
 元通りの生活が出来る事は難しいが、それに近づく様周りの方々が頑張って頂きたいです。


 この地も何時大地震が起きるか分からない。
 それまではそれなりに有意義に過ごしたい。

 春は桜。4、ラスト。

2016-04-18 12:19:55 | 日記

 もぅ、近くの桜はすっかりと散りました。

 先日、在所に向かう途中の山々は、所々の山に山桜が
 山の周りの緑に囲まれて白が映えていました。


 帰ったら、長兄が突然にお千代保稲荷に行きたい、と。
 えぇー、春日井ICから羽島IC。一時間位。まぁいいやー。
 ちょっと私も行きたかったから。義姉も乗り気。

 平日にもかかわらず、結構な人出で賑わっていました。


 昼食は兄貴のおごり。
 なまずのかば焼き、初めて食べる。
 焼き過ぎなのか?、それともこれだ普通なのか?ちょっとバリバリとして
 身の味はさっぱりとしていたが、あまり口には残りませんでした。

 珍しいで食したが、さほど美味いとはね。


 今年の桜の季節も終わり。
 北上すれば見えるかもしれないが、、、、。

 来年も見ることが出来ることを祈る。