在日コリアン・ハンセン病問題・沖縄―平和・人権―

自分の足で訪ねた関連の地紹介
知ることは力、学んでこそ生きる。

韓国釜山の旅(2)慶州のナザレ園、羅井、良洞村(世界遺産)

2013年03月25日 13時30分44秒 | Weblog
3月23日、市街バスで慶州へ
先ず、朴家の先祖にあたる井戸「羅井」休みとかで建物の門は閉ざされ、井戸を見ることはできなかった。
私のお世話になっている朴さんは井上さんと日本名を使っているが羅井からつけたそうである。
ここから、6つの姓が生まれていくのである。
孫、崔、、李、鄭 ヘキ

タクシーで仏国寺に近い「社会福祉法人ナザレ園」の
「日系婦人保護施設慶州ナザレ園」(1972年開設)に向かう
気になりながら行くのが遅すぎた場所!
慶州市九政洞616-51(慶州温泉観光ホテルを左に見て右の細い道を入る)
突然、私たちは訪問したのに、日曜日だったので園長の宋美虎さんがおられて迎えてくださった。
吹田の足立龍枝さんに園長から届いたお礼状のコピーを持って訪ねたのである。
せっかくだからとビデオを見せていただき、歴史や現状(現在24人、平均年齢90歳)について話して下さった。
女性たちの生活するお部屋もまわり、お話もして「ふるさと」一緒に唄った。皆さんお声をかけると故郷を教えてくれる。
ふるさとがあっても、帰る家や、家族、親族、戸籍までない方の思いは深い。3月なのでお雛様が印象に残っている。
ナザレ園を設立した金龍成さんは、日系婦人の帰国者寮をつくり、後には帰れない女性のために尽くしました。
「内鮮一体」のスローガンのもと、韓国人男性と結婚した女性たちは敗戦後、日本人に対する怒り、恨みが渦巻くなかにおかれました。
朝鮮動乱では、夫を徴兵されたり、家族離散の運命にも遭遇しました。
2003年に金龍成さんが亡くなられ、宋美虎さんに引き継がれて現在にいたります。
金龍成さんは、ハンセン病者の保護施設を作ったり、1971年には沖縄の離島の無医村に医者を派遣もされました。
写真は、玄関でお別れするところです。

ナザレ園を後にしてから、世界遺産の良洞村を散策しました。
雪蒼山を主峰として「勿」の字形で走る3つの丘陵と谷川にある。両班村として朝鮮時代の伝統の家屋が150軒保存されている。
写真は月城孫氏の宗家

世界遺産として藁が葺き替えられているい家並み

良洞村の世界遺産の学校で学ぶ子どもたちもいるのである。

慶州から帰り、欲張って「福泉博物館」(写真向かいの建物)に向かった。
ホテルから遠くないから時間を気にせずゆっくり散策。古墳が展示場になっていてカッチも近くで鳴いていた。

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