在日コリアン・ハンセン病問題・沖縄―平和・人権―

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熊本の「本妙寺」を訪ねました

2008年03月02日 18時55分53秒 | Weblog
本妙寺を2月29日~2日まで、3回連続で訪ねました。三代の日遥上人(余大男)は12歳の時、河東(晋州に近い)で父母にはぐれたところ清正につかまり被慮人に。漢詩を二つ書いて差し出したので利発な子どもだと連れ帰りました。
刷還使を通じて情報を得た父から7年後「どんなに消息を心配していたか、母と共に泣き暮らした。死ぬまでに一度会いたい・・・」と手紙が送られ、余大男(ヨデナム)から父に送った書とともに本妙寺に残っているそうです。「すぐ走って行き、話がしたい・・。親不孝を許して下さい。主君にいくら頼んでも帰国は無理でつらい」と。そして79歳で亡くなったとか一人旅立って行ったとかも言われているようです。テレビで放映された内容です。
そして清正の一周忌の1612年に法華経の写経を奉納しました。7月に「頓写会」という大祭となって昨年397回目だそうです。2007年に余大男から11代にあたるヨ・ウンギュさんが本妙寺を訪れたそうです。2002年には熊本の市民グループ達が故郷の父のお墓を訪ね、碑を建て、本妙寺のお墓の土を持って行き父の傍に納めたとか。テレビでその話をしたのが先日話を聞いた池上正示さん(副住職)だったのでびっくりしました。
それに清正に殉死した朝鮮人金官(会計)墓が清正の墓の前にありますが良甫鑑のことで文禄の役に清正に捕らえられ、咸興道の道案内をしたとか帰国に同行して二百石を与えられたらしい。日本軍に投降したとの説もあるみたい。もっと詳しく知りたいです。何か分かれば教えて下さい。宝物館には松雲大師の書、余大男,李舜臣の書、清正の死後の写経などあって大変面白かったです。
熊本城は石垣以外に天主閣の瓦は朝鮮瓦。瓦を焼いた所も一時間位のところらしいです。次に行きたいです。なお、熊本には元蔚山町と言われた地があり、清正が1000人からの朝鮮人を連れ帰り住まわしたところとのことです。

1940年に本妙寺事件がありハンセン病患者の強制収容(157人)のあった集落(4つ)も歩いてきました。回春病院をつくったハンナリデル・ライト記念館、今も回復者5人の生活する待労院は赤ちゃんポストのある慈恵病院内にありました。菊池恵風園もお話しを聞き、資料館も見てフイールドワークしました中修一さん、志村喬さんありがとうございました。
今回空港から近いので阿蘇の火口まで行きました。雄大で雪の残る景色は旅の最後を飾るものでした。宮本武蔵の洞窟、五百羅漢(石仏)も良かった・・・。よく動いた3日間でした。
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