在日コリアン・ハンセン病問題・沖縄―平和・人権―

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今年の桜は美しく感じられます・・・大阪にあったハンセン病療養所「外島保養院」の移転予定地だった地から

2020年04月09日 21時48分23秒 | Weblog
大正末期に西淀川区にあった外島保養院は、国のハンセン病隔離政策を進めるために
300人定員から1000人収容の療養所にすることになりました。そして、旧泉北郡(今の堺市南区赤坂台)に移転計画が持ち上がりました。
旧泉北郡の移転反対運動は、1926年2月5日の郡民大会、その後国会に請願するまでになり、
結果は政友会と民政党の政争の具(票争い)とされ、頓挫しました。
更地にされた予定地には、1939年大阪府立結核療養所福泉園が建設されました。(それに対する反対運動も苛烈でした)
その当時の正門前に植えられた桜が今も古木となって花を咲かせます。80年もたつと老木となり伐採されたり、大きく剪定された木もあります。
咲きほこる元気が弱くなってきました。







古木








私は2011年5月、福泉園で亡くなった実母の最期を確かめたくて赤坂台を訪ねてこられた女性と偶然お会いしました。
市役所は場所だけ教えてくれたそうです。
昨年亡くなった私の義理の叔母は、福泉園で看護婦をしていたので「福泉園」の50年史を持っていて歴史に関心を持つ私にくれました。
その女性の母親は、一人福泉園で亡くなったのでした。私が50年史のコピーをお送りすると驚いて関東から電話をくださいました。
「母の死亡届が男性の名前で出されていたので再婚したのかと思っていたら、実は、事務長さんの名前だったのです」と。
結核になり離縁された母親でした。私も涙が止まらず手で拭いながら電話でしゃべりました。
私は、それから関東の女性に毎年桜が咲くと写真を撮って送っています。
今年は9年目、お互いに元気なうちは、毎年1度だけ、携帯(今はスマホ)メールを続けます。
そして、ひそかに桜を見て心の中で手を合わせます。この桜をお母さんも眺めておられたに違いないと思いを馳せながら・・・
私の住む赤坂台にこんな歴史があったのを知り、関東の女性と悲しいけど温かいお付き合いができるのも20年にわたって「大阪とハンセン病問題」に関心を持ち続けたおかげと思います。
ハンセン病問題にかかわって本当に良かったです。

今年は、新型コロナで桜まつりは中止です。
今、非常事態宣言下の大阪です。