在日コリアン・ハンセン病問題・沖縄―平和・人権―

自分の足で訪ねた関連の地紹介
知ることは力、学んでこそ生きる。

5月12日(宇佐市への旅)城井1号掩体壕

2016年05月20日 23時11分26秒 | Weblog
宇佐市には太平洋戦争中に航空隊の基地が作られ、戦争末期になると神風特別攻撃隊の基地として多くの若者が飛び立っていきました。
 現在でも、戦闘機を格納した掩体壕(えんたいごう)や、機銃掃射の後が残るレンガ建物など多くの戦争遺跡が残されていま

城井1号掩体壕

平和記念碑



 戦後60年を記念して、平成17年8月に城井1号掩体壕の北東に建てられました。東大寺別当揮毫の鎮魂碑や、短歌や俳句の碑などが建立されています。
 毎年8月15日には、「平和のともしび」が開催されます。


宇佐市指定史跡「城井1号掩体壕」

 第2次大戦中、空襲から飛行機を守る為に造られたのが掩体壕です。
 平成7年3月に、戦争遺跡としては全国で2番目に史跡指定されました。掩体壕の中には、杵築沖で引き揚げられたゼロ戦のエンジンとプロペラが展示されています。






宇佐海軍航空隊の滑走路と重なる市道

 宇佐海軍航空隊の滑走路は幅80メートル長さが1,800メートルありました。ここから多くの航空隊員が出撃し、154名がなくなりました。滑走路があった場所には、大幹線農道南北2号線が通っています。

滑走路跡




滑走路跡に立てられたモニュメント



 

牛滝山で「焼き物展示会」開催中の中日・・・30人近い方々と新緑のもとで会食・交流

2016年05月02日 22時08分34秒 | Weblog
連れ合いが陶芸をして
牛滝に窯を構えて40年近く、そこにいよやか温泉が出来て
現在地へ転居して19年です
春と秋に友人とコラボして展示会をします
今年の春が14回目でした。
いろいろ方々が遠路訪ねてくださいます。
私は助っ人ですが
私の関係の方々も訪ねてくれるので
幸せです
生きる元気をもらいます。
また、自然に癒され
山の保健室

今日は、京丹後市弥栄町味土野を6時に出発して展示会に来てくれた
梅木好彦・久代さんご夫妻、蝕手話で介助の方が10時に到着されました。
NHKスペシャルやハートネットで放映されたお二人です
徳島からJ先生も来られました。
W先生も左青石さんに送ってもらって
M先生、N先生(連れ合いがハーモニカバンドを一緒にやっている仲間)とろう学校関連の方々

その後つれあいの元同僚のSさんと友人の大学の先生




連れ合いの教えた卒業生、友人(泉大津高校で)

沖縄県人会の役員さんで子どもの出身校赤坂台中の教師だったTさん
今、手広くブドウ栽培


韓国旅行をご一緒したDさんは再度、毎回リピーターで来て下さるTさん
今日だけが平日でした

登山途中で立ち寄ってくれた方

ハンセン病回復者支援センターの職員さんや、ボランテイアの方
長くお付き合い頂いている「いちょうの会」の皆さん

沖縄の金城幸子さんの紹介で知り合い
沖縄旅行もご一緒したOさんと娘さん

「ハンセン病問題を考えるネットワーク泉北」元代表の牧師
その森田さんの蝕手話
梅木久代さんと自然体で話をされていました




平和・人権がキーワードの出会い、再会、交流の場でした

韓国の旅(鎮魂の旅)

2016年05月01日 08時39分10秒 | Weblog


4月15日から19日まで韓国に出かけていました。
出かける準備をしていた14日、夕方熊本の地震のニュース
知人の皆さんを心配しました。
その後の南阿蘇の被害、
熊本に行くといつも友人が案内してくださったことを思い出す
親戚筋では家が壊れて避難生活の人たちも出ました。
自分たちにできることは何かと思いを巡らす日々です。
韓国では、NHKニュースを見ながら旅しました、
1日目は、ソウルについて長くお世話になった友人のマンションへ
今月で引き払われます。
夕方汝矣島の輪中路をのんびり散策、桜はほとんど散っていましたが、若い人たちが木の下で集っていました。
そこは、日本の植民地時代に(1916年)京城飛行場が作られたところです。

2日目は、東ソウルから3時半、一番古いアリランのふるさと旌善へ、太白山脈の高原地帯
ちょうど、5日市の前日です。
山菜が市場に並んでいます。午後は、大阪の呉さんの妹さん夫妻、姪子さん、可愛い孫のチスちゃんが羅田、アウラジ(漢江の源流)を案内して下さいました。誠心誠意です。心から歓待にしてくださいました。
羅田は長くお付き合いしていた在日1世安承録さんの故郷です。元気な時にご一緒したかったです。

17日は、5日市、市場の中の舞台でアリランが歌い、踊られます。小さい子どもも、高齢者も唄い、踊る。
文化会館でのアリラン公演は、歴史的背景も盛り込んであり、素晴らしかったです。文化的な豊かさを感じました。
夕方、3時50分のバスのチケットは買っておいて下さって、ぎりぎりまで有効に過ごしました。ソウルに帰って友人のマンションでゆっくり夕食、おしゃべりに花が咲きました。
18日は、広州の分院里へ、白磁の官窯跡地訪問です。分院里小学校が植民地時代にできた学校とか。
陶器の破片を探しに裏山に登りました。夢中でした。後の3人が心配しているとも思わず・・・。
その後、夕方でしたが、ナヌムの家を突然訪問しました。過去に資料の面で少し協力したことがあるので職員さんや、日本からボランテイアに行かれている方々と話が弾みました。休館日に対応していただきありがたかったです。うす暗くなってから江辺までバスに乗り、地下鉄でヨンシンネに帰りました。最後の夜を近くのレストランで取りました。テジカルビおいしかった。網を何度も取り替えて焼いてくれることや、肉の大きさにびっくりです。マシイッソヨ!(おいしかった)
最終日はソウル美術館で李仲燮展、近くの尹東柱文化館を見て、ソウルの城壁も少し歩きました。その後は仏光駅近くでカムジャ湯、ソルロンタンのランチこれもおいしかった。
4泊5日の新しい場所を訪ねた旅!
不思議と疲れ知らずで
帰国しました。