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韓国釜山の旅(3)機帳市場、竹城里倭城、大辺湾

2013年03月26日 13時36分46秒 | Weblog
3月24日(日)海雲台まで地下鉄に乗り、バスで機帳市場に向かう。市場は海のものがあふれている。
さすがにカニの有名な市場であるが、私たちはタクシーで竹城里倭城に向かった。

機帳倭城(竹城里倭城)から竹城里の入り江を望む!
神谷丹路「韓国歴史散歩」の186頁の写真の場所である。風景の美しいこと!
倭城のある場所には、美しい漁港の湾が広がっているとか。

倭城近くの樹齢500年以上の松

ちょうど、わかめの収穫時期で倭城の麓は干しわかめ作り作業で忙しそうであった。
待って貰っていたタクシーで一番の目的地「大辺港」
つまり、植民地下での日本からの移住漁村跡である。
道沿いの小学校には「斥和碑」があった。昔は、機帳市場よりこちらが賑わったらしい。
植民地時代の足跡を探したが残っているものは見つからなかった。

足立さんの資料を引用させて貰うと
大辺港 대변항(慶南 機張)
朝鮮をめぐる日本漁業《朝鮮移住漁村分布図》より
1891~2年(明治24・5年)ごろから岡山県日生村サワラ流通漁者の根拠地、後、広島県の通漁者も来港、明治41年(1908年)ごろからこれ等通漁者が任意立地す。この年、福岡県筑豊水産組合が移住漁村を建設し、44年(1911年)に24戸移住、45年(1912年)には合計64戸、268人となった。
その後、成績上がらず大正3年(1914年)には個人経営になり、同10年(1921年)末、全移住者35戸中、漁業者16戸に減少す。
また、定着年次不明(多分日露戦争前後?)の三重県独立自由移民も居住す。その他サバ・サワラ・タイを目的とした通漁者が多く、これ等相手の各種商店が漁業移民より多かった。移住者の出身は山口・大分・三重・広島。
大辺港ミョルチ祭り(ミョルチはカタクチイワシ)が4月にあるそうです。

前述の「韓国歴史散歩」によると初めて進出したのは岡山県児島郡の漁師だと書いている。瀬戸内の漁村は漁場が狭隘で競争も激しく玄界灘を超えて朝鮮に通漁、移住という歴史になっていったのである。

大辺港は、「ミョルチフェ」が有名とか。
太刀魚チゲを食べて機帳市場に戻り、機帳駅から「釜田駅」に列車に初めて乗る。
困っていると日本の大学に留学していた女性が切符を買ってくれていろいろ説明してくれた。
今回もいたるところで人の親切さがしみじみありがたかった。

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