在日コリアン・ハンセン病問題・沖縄―平和・人権―

自分の足で訪ねた関連の地紹介
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光明池朝鮮人労働者慰霊碑説明板

2008年04月24日 10時55分32秒 | Weblog
光 明 池 朝 鮮 人 労 働 者 慰 霊 碑 
    
In Remembrance of the Korean Victims of the Komyoike Construction  

 光明池は、1931年から5年間かけて、干ばつに悩まされる旧泉北郡地域の灌漑用溜池としてつくられました。池の面積は、36万㎡、外周は約8km、主堤防の高さは26m、長さは350mにおよんでいます。光明の滝(国分町)付近の槙尾川から水を取り入れ、その貯水量は約370万㎥、大阪府内でも最大を誇ります。
 築造工事は、府営事業として行われ、大林組が請け負い、地元泉北の中野組、北喜組、東與組が工事を担当しました。工事には、当時日本の植民地であった朝鮮半島から仕事を求めてきた300人近い朝鮮人が従事していました。ツルハシで山を削り、削った土砂をトロッコで堤防へ運ぶという危険な作業の中で、10数人もの犠牲者が出たと伝えられています。
 この石碑は、工事完成後、工事で亡くなった朝鮮人労働者を慰めるために建立されたものです。石碑の右側面には「大林組武藤寅也」と刻まれており、石碑の左側にたつ灯籠には、北喜組の関係者の名前が見えます。年月を経る中で、石碑の存在は忘れられ、バラバラに倒れていましたが、1983年に再建され、2005年には、「光明池土地改良区」の手によって建物が修復されました。1995年から、市民の手で石碑の由来や朝鮮人労働者の実態をめぐる調査が進められています。
          和泉市人権啓発推進協議会多文化共生部会
                       2006年10月

2006年10月にハングルと日本語の説明板完成

2008年04月21日 23時03分48秒 | Weblog
1995年から「和泉市の在日朝鮮人の歴史を知る会」に集まった人々によって「光明池工事をした朝鮮人労働者」のこと、横山炭鉱で働いた朝鮮人坑夫の存在が明らかにされてきました。光明池西岸に立つ石碑が1931年から5ケ年計画で行われた築堤工事で犠牲になった朝鮮人を追悼するものだと分かり、1999年11月に設置した解説板を2006年10月にハングルと日本語にして新しくしました。光明池周辺を散策する方々が足をとめて読んでくれています。歴史が分かるように1年かけて文章を検討したものです。