在日コリアン・ハンセン病問題・沖縄―平和・人権―

自分の足で訪ねた関連の地紹介
知ることは力、学んでこそ生きる。

第25回退職教職員 いきいき作品展で堺退女教は「ハンセン病問題を学ぶ」を展示しました。

2018年11月13日 16時28分30秒 | Weblog
今日から、15日までの3日間、たかつガーデン8階で開催中です。
多くの方が見てくれていました。
いろいろ生徒になったつもりで発表にこぎつけています。
発表に取り組むことで学びなおしや新しい発見もあったということです。
私も、事前学習で話をさせていただきました。








展示説明をしているところです

『小鹿島の松籟』を大阪の川口祥子さんが出版しました。小鹿島に関心をお持ちの方お奨めの本です。

2018年11月12日 22時44分33秒 | Weblog

日韓問題に詳しい川口さんの文中の注や
巻末の解説、小鹿島については、わかりやすい。
日本の植民地時代から2018年の状況までが分かりやすく書かれた歴史は
小鹿島にこれから行かれる人のガイドブックとして最適である。
出版を心から喜んでいます。
詩の翻訳として力作!


姜善奉詩集 小鹿島の松籟
日本は植民地支配下の朝鮮で小鹿島にハンセン病者を隔離
収容する療養所を設置。幼くしてここに母と隔離された著
者が、過酷な生活や母との別離、発病の苦悩を詩で表現する。
目次
序詩 老姑壇
●第一部
 自序Ⅰ / 泡沫人生 / あのころ / 風浪の海路 / そこでの最初の日 / 母子離別 / 保育園 / 愁嘆場 / 還元
●第二部
 自序Ⅱ / 小鹿の松風 / ムカイの家 / 中央公園 / 小学校 / 付添人 / そこ / 騒擾事件 / DDS1 / DDS2
 / 人として / 脱出の冒険 / 苛性ソーダ / 朴さんの死 / 小舟
●第三部
 自序Ⅲ / 進学 / 私の詩 / 先生だと / 感謝の人生 / 夢の話 / 小鹿島の松林 / 月夜に / 亡き者との別れ
●第四部
 自序Ⅳ / 生の終わり / 歳月の痕跡、小鹿島 / 視線 / 乞食に青柿 / 永遠に お前と私はともに / 冬の大雪 /
 小鹿島連陸橋 / わたしは / 立ち止まらないよう / 希望の村 / わらび――済州島へわらびを採りに / ススキの花
 / 千年の飛揚島 / 小石 / 私の人生
●第五部
 自序Ⅴ / ヨーロッパヘ / パリにて / ルツェルンの時間 / ティトリス、雪山三二三八メートル / 白頭山 / 長白
 瀑布 / シドニーの祭り / ニュージーランド / 地の果て――ポルトガル / コルクの木の悲しみ / フェズの道 /
 ジプシーの舞 / 月桂冠 / ガウディの痕跡を訪ねて / 月出山 / 耽津江ダムに立って / 追憶 / 内蔵山の紅葉 /
 正東津駅 / 寂しいその島 / 待たねば
エピローグ 自分を見つめなおし 人生を振り返って
推薦のことば 悲しみと涙のなかから愛と幸福がこぼれ出てきます/蔡奎泰
解説 小鹿島について/川口祥子
訳者あとがき 著者 姜善奉について

〒552-0001 大阪市港区波除4-1-37 HRC ビル3F TEL06-6581-8542 FAX06-6581-8552
〒113-0033 東京都文京区本郷1-28-36 鳳明ビル102A TEL03-5213-4771 FAX03-5213-4777 ㈱解放出版社

ご担当 姜善奉 著 / 川口祥子 訳 / 上野都 監修

四六判 並製 126頁 定価1,200円+税 ISBN978-4-7592-6786-0 C0098
  / ㈱解放出版社 TEL06-6581-8542  FAX06-6581-8552

著者略歴
著者は1939年、韓国・慶尚南道晋州で生まれ。
2006年、ハンセン病者の人権回復と小鹿島の過去と現在を広く社会
に問うため、『小鹿島 賤国への旅』を出版した。70代になり、「自分の
人生を詠った恥ずかしい詩」を記しはじめ、現在は小鹿島に在住し、小
鹿島の歴史と信仰の遺産を整理することに力を尽くしている。2016
年には詩集『谷山の松風の音』、小説『谷山の忍冬草の愛』を出版した。
四六判 並製 126頁 定価1,200円+税 ISBN978-4-7592-6786-0 C0098
カンソンボン  ソロクト しょうらい
姜善奉 著 / 川口祥子 訳 / 上野都 監修

10月30日から1日まで邑久光明園に宿泊・・愛生の神谷書庫で資料調査

2018年11月04日 20時39分29秒 | Weblog

30日午後、31日午前中、1日午前・午後
外島保養院が室戸台風で壊滅流出し
生存者は6つの療養所に委託患者として送られました
その6療養所の機関誌に外島がどう書かれているかの調査です
神谷書庫には、各園の機関誌が創刊号から少しの例外を残して保存されています。
それは、96歳の和光梵字さん、故二見さんのお蔭です。
ごみとして捨てられそうな中に残っている資料を見つけ出し分類し保存してくれたのです。
和光さんに会ってお礼を申し上げると
「ありがとう」「嬉しい」と初めて見るような笑顔を見せてくれました。
大きく口を開けて笑ってくれました。
私は、「調べるのは面白いです」と。
幸せな雰囲気!

31日は、頭島へ。橋が架かりすぐでした。前に船で渡り、民宿に泊まったことを思い出しました。

正面に見えるは鴻島
外島保養院の室戸台風後の移転候補地でした
漁協の反対で白紙となりました。
島の向こう側も別荘がいっぱい。
空き家も多いらしいです。

左に長島が見え
「人間回復の橋」もくっきり
1999年に「よしの屋」さんに泊まり、あの島は何ですかと訪ねると「長島」と教えてくれたのが縁で
急きょ予定を変更して長島に車を走らせました。
連れ合いが半年だけ長島愛生園にあった岡山県立邑久高校の新良田教室に講師として通っていたのです。
今どうなっているか確認したくで出かけました。
それがハンセン病問題に深くかかわるきっかけとなり、現在にいたります。

反対側には鶴島があります。
キリスタン流刑の島で、近藤宏一さんの「鶴島哀歌」が供養で歌われるそうです。
1日は、光明園文化祭を見学し、

光明神社にも行きました。





資料的価値のある
「滋賀県癩根絶期成同盟」の文字。昭和17年元旦。
神社そのものは1977年にこの地に移転されたものです。



神社に行く道筋にある「地面の底が抜けたんです」の碑

浄土真宗西本願寺には
外島の悲劇を見守ってきた
阿弥陀さんが祭られています。
松の木にひかかって無事でした