1995年12月結成された和泉市における在日朝鮮人の歴史を知る会に誘われて参加した梶原敏子さんと私は、知る会が消滅後、和泉市における在日コリアンの歴史を考える会を続けている。
10月6日には、29年間の聞き取り調査の一端を報告した。
梶原さんと一緒に南面利にあった横山炭坑(亜炭)と朝鮮人坑夫、長年かけて継続調査している光明池工事と朝鮮人労働者、和泉市にあった泉北朝鮮小学校のこと(府内でに2校目に作られ、朝鮮学校閉鎖令がでてからも自主的に続けた2校の1つ)、和泉市で戦われた阪神教育闘争、 註 2校とは泉北、港
和泉の地場産業人造真珠は戦前から在日朝鮮人の生業となり、財をなした人もいる。
泉北朝鮮小学校の教師朴順慶(1928~2021)さん中心の朝鮮人と日本人の詩人サークルは、機関誌『信太山』(1955年4月・創刊号、1955年6月2号)を発行した。
『信太山』は、大阪大学の宇野田尚哉先生によって『朝鮮人資料叢書20〈在日朝鮮人運動史研究会監修〉続 在日朝鮮人文学資料集(一九四六~六〇)』(2020年11月3日・編集者宋恵媛/宮本正明・緑陰書房)に収録されている。
号表紙には、「信太山は日本の国にあるけれど 私達朝鮮人は日本人以上に 信太山に深い愛着を抱いている 信太山には私達朝鮮人の 数限りない多くの思い出がある 母の魂が 幼い妹の魂が 安らかに眠っている 私達朝鮮人の若き日の思い出が 信太山の空間に含まれている 信太山は日本人朝鮮人を差別せず固く強く一つに結びつけている。 信太山は私達の 第二の心の故郷だ」(朴順慶)とある。
2011年3月11日の東日本大震災の起った頃、私は吉岡準平さんと泉北朝鮮小学校の教員だった朴順慶さんを初めて訪ね、解放後の泉北朝鮮小学校建設の話を夢中で聴き入っていた。
1955年に朴順慶さんを中心に日本人、朝鮮人が一緒に詩の会を開き詩人サークルの雑誌『信太山』(1,2号)を発刊したこと、日本人とともに出した詩の雑誌は『信太山』の貴重なところである。1号は井上正徳となっているが朴順慶さんの日本名である。朴順慶さんは、東京の大学を出たと紹介されているが間違いである。
「吉田一郎さんが死んだ」(三宅美千子作)九州の山田市の炭坑に連れてこられ、高千穂の砂防ダム工事を一緒にした親方を訪ねて来て和泉在住となり、天涯孤独で亡くなっていった在日一世、その小さなお葬式、こんなに辛いことはなかった。曹順化さんは、一心寺に眠る。兄弟の代わりに強制連行された人である。強制連行はなかったとか誰が言うのか。自分の国に向き合って生涯を送りたい。
10月6日には、29年間の聞き取り調査の一端を報告した。
梶原さんと一緒に南面利にあった横山炭坑(亜炭)と朝鮮人坑夫、長年かけて継続調査している光明池工事と朝鮮人労働者、和泉市にあった泉北朝鮮小学校のこと(府内でに2校目に作られ、朝鮮学校閉鎖令がでてからも自主的に続けた2校の1つ)、和泉市で戦われた阪神教育闘争、 註 2校とは泉北、港
和泉の地場産業人造真珠は戦前から在日朝鮮人の生業となり、財をなした人もいる。
泉北朝鮮小学校の教師朴順慶(1928~2021)さん中心の朝鮮人と日本人の詩人サークルは、機関誌『信太山』(1955年4月・創刊号、1955年6月2号)を発行した。
『信太山』は、大阪大学の宇野田尚哉先生によって『朝鮮人資料叢書20〈在日朝鮮人運動史研究会監修〉続 在日朝鮮人文学資料集(一九四六~六〇)』(2020年11月3日・編集者宋恵媛/宮本正明・緑陰書房)に収録されている。
号表紙には、「信太山は日本の国にあるけれど 私達朝鮮人は日本人以上に 信太山に深い愛着を抱いている 信太山には私達朝鮮人の 数限りない多くの思い出がある 母の魂が 幼い妹の魂が 安らかに眠っている 私達朝鮮人の若き日の思い出が 信太山の空間に含まれている 信太山は日本人朝鮮人を差別せず固く強く一つに結びつけている。 信太山は私達の 第二の心の故郷だ」(朴順慶)とある。
2011年3月11日の東日本大震災の起った頃、私は吉岡準平さんと泉北朝鮮小学校の教員だった朴順慶さんを初めて訪ね、解放後の泉北朝鮮小学校建設の話を夢中で聴き入っていた。
1955年に朴順慶さんを中心に日本人、朝鮮人が一緒に詩の会を開き詩人サークルの雑誌『信太山』(1,2号)を発刊したこと、日本人とともに出した詩の雑誌は『信太山』の貴重なところである。1号は井上正徳となっているが朴順慶さんの日本名である。朴順慶さんは、東京の大学を出たと紹介されているが間違いである。
「吉田一郎さんが死んだ」(三宅美千子作)九州の山田市の炭坑に連れてこられ、高千穂の砂防ダム工事を一緒にした親方を訪ねて来て和泉在住となり、天涯孤独で亡くなっていった在日一世、その小さなお葬式、こんなに辛いことはなかった。曹順化さんは、一心寺に眠る。兄弟の代わりに強制連行された人である。強制連行はなかったとか誰が言うのか。自分の国に向き合って生涯を送りたい。