1996年から調査を始めた地元光明池工事と朝鮮人労働者の調査も27年間
先月亡くなった吹田の塚崎昌之さんの資料調査協力も報告しました。光明池工事の事故の記事などです。
今日は、1995年12月にできた「和泉市における在日朝鮮人の歴史を知る会」呼びかけ人の一人だった中河由紀夫さんの報告もありました。
私は、パワーポイントで光明池問題をトータルに話をさせてもらいました。一緒に最初からやってきた梶原さんは紙芝居「光明池とこい」をしました。
光明池共同墓地通路に残る朝鮮人青年の墓石が韓国との共同調査により、遺族探しが進んでいます。記念すべき開催の年でした。
しかし、残念なことに1998年から継続してきた和泉市の人権啓発推進協議会、人権協会からの助成金が今年はゼロでした。
新たに事業を起こす団体がエンパワメント助成を申請する制度を利用するようにとの市の説明を受けました。
学習会に関わるものは、それは、筋が違うと和泉市に話に行きました。議員に陳情もしました。
1つの墓石が日韓交流の懸け橋になろうとしています。
これからも和泉市の対面にかけても行政的なサポートを要請していくことになります。
署名が必要ならするよとの方々も少なくありません。
今年の参加者は、「泉北コミュニテイ」を見たという
泉北ニュータウンの参加者もありました。
奈良など遠路お越し下さった方を含め盛会でした。
有り難うございました。
先月亡くなった吹田の塚崎昌之さんの資料調査協力も報告しました。光明池工事の事故の記事などです。
今日は、1995年12月にできた「和泉市における在日朝鮮人の歴史を知る会」呼びかけ人の一人だった中河由紀夫さんの報告もありました。
私は、パワーポイントで光明池問題をトータルに話をさせてもらいました。一緒に最初からやってきた梶原さんは紙芝居「光明池とこい」をしました。
光明池共同墓地通路に残る朝鮮人青年の墓石が韓国との共同調査により、遺族探しが進んでいます。記念すべき開催の年でした。
しかし、残念なことに1998年から継続してきた和泉市の人権啓発推進協議会、人権協会からの助成金が今年はゼロでした。
新たに事業を起こす団体がエンパワメント助成を申請する制度を利用するようにとの市の説明を受けました。
学習会に関わるものは、それは、筋が違うと和泉市に話に行きました。議員に陳情もしました。
1つの墓石が日韓交流の懸け橋になろうとしています。
これからも和泉市の対面にかけても行政的なサポートを要請していくことになります。
署名が必要ならするよとの方々も少なくありません。
今年の参加者は、「泉北コミュニテイ」を見たという
泉北ニュータウンの参加者もありました。
奈良など遠路お越し下さった方を含め盛会でした。
有り難うございました。