京都府京丹後市の山あいの集落で、自給自足に近い暮らしを続けている夫妻が主人公でした。
小さな畑や田んぼを耕しながら暮らしを営んでいる、梅木好彦(67)さんと妻の久代さん(64)。
ふたりは、その穏やかな表情からは想像できないほどの半生を生きてきたと想像します。
理想の農業を求めて全国を放浪しながら、一人で生きてきた好彦さん。一方、視力と聴力を失った久代さんは暗闇に押し込められたような人生に絶望しながら生き抜いてきました。
そんなふたりが結ばれ、この土地での暮らしを始めて14年。農作業や古民家での暮らし。
手と手を握り合うことで互いの意思を伝える“触手話”を頼りに今を生きています。
そんなふたりのライフワークが、久代さんのように光と音の両方を失った盲ろう者の支援です。
真っ暗な世界で、ひとりぼっちで生きている人たちを外の世界とつなげてあげたいと「友の会」を設立。出会いの場を提供しています。
番組では、そんな二人の日常を通して、生きることの意味を考えさされるものでした。
実は、私は大学を卒業してから香川から大阪に出て22歳で大阪のろう学校の教師となりました。
すぐに高等部1年家政科の担任、授業は2級免許はありましたが数学を週26時間受け持つ生活でした。
それも、ろう教育の専門でもなかったのです。
HRは、先輩教師としばらく一緒に教室に入りました。
「先生、お掃除が出来たから見に来てください」と声をかけられているのに理解できない私です。
「しっかり、生徒の話を聞くように」と強い指導をうけ、トイレで泣くこともありました。
香川の父親から「そんなに 辛かったら帰って来いよ」と言われたのでした。
ところが1か月経った頃には話が分かるようになっていきました。
そんな私と付き合ってくれた最初の担任の子どもたちの中に梅木久代さんがいました。
目のことは、先生たちがとても心配しました。
彼女が2年生になった時には、私は中学部の数学を教えるように
学校側から言われました。
初めての教師としてのスタート
原点
忘れません。
昨年は
同級生が訪ねてきてくれました。
梅木夫妻のテレビを2回見ました。
おとぎ話のような本当の人生に感動し、
彼女を教えた教師の友人はずっと涙が止まらなかったそうです。
あっぱれ!!