在日コリアン・ハンセン病問題・沖縄―平和・人権―

自分の足で訪ねた関連の地紹介
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8月12日、香川県「八十八番大窪寺」に近い無縁墓地を4年目に再度訪ねました。

2012年08月18日 18時51分02秒 | Weblog

4年前の8月6日、大島青松園の夏祭りに行きました。庵治港からでる夕方便は満員で汗びっしょり、大島について松浦篤男さんを訪ねると徳島の郷里から来られた方がおられたので最近知り合ったYさん宅におじゃましました。話に花が咲いて花火(亡くなった方の寄付で上がる)を見ようと思った頃には雷雨になり廊下から見ることになりました。船着場付近の祭りの席にいらしゃった方はずぶ濡れになって気の毒。 祭りは夜なので昼間に実家(牟礼)から近い大窪寺に車で行きました。八十七番の長尾寺からのアプローチが長いです。女人高野と言われた大窪寺は結願の寺、さぬき市前山には「前山おへんろ交流サロン」と道の駅ができていました。「へんろ資料展示室」では四国遍路の歴史が展示されています。四国ではお遍路さんに「お接待」をする習慣が今も続いていますが、説明文中でお接待しか食料のあてのないお遍路さんもいたと書かれています。今では、若い人も多く歩いてまわっているとのことですが「過去にはハンセン病や結核などの患者達がまわっていた」ともあります。
 
2004年に交流サロンから7,8分のところに新しく「遍路道中物故者供養の碑」が建てられています。
 この地域には「接待碑」もありますが再度訪ねることにしました。
地元の方が150年前から行き倒れになった方々を供養している「高地蔵」があるのでお参りしました。毎年3月13日に供養されているのです。
長尾寺からの長い道中で結願の寺を目前にして倒れた方々の無念の思いは想像もできません。
四国出身の私が四国遍路を別の観点から見直しております。大島青松園の方が3度まわった話をして下さったことを思い出しながら・・・。

今年は、無縁墓地を訪ねるのが主な目的でした。
大阪住人と刻まれたお墓(江戸末期)
遍路道で倒れた方がどんな方なのか想像はつきません。ただ、手を合わせるだけでした。車の走る道からそれた旧遍路道には無縁のお墓が多いと聞きました。


4年前もそうでしたが、ちょうど昼食時間になって前山の道の駅で讃岐のもち豚トンカツを賞味しました。美味しい。