在日コリアン・ハンセン病問題・沖縄―平和・人権―

自分の足で訪ねた関連の地紹介
知ることは力、学んでこそ生きる。

赤坂台の桜が満開「外島保養院」の移転予定地、そして「福泉園」跡地

2016年04月03日 20時05分44秒 | Weblog
今日は、朝から曇りで朝日に映える桜を撮影できなかった
ここでは「福泉園」時代の桜が咲いている
老木の風格があり
太い幹にも新芽が花をつけている
生き続ける生命力
どんな人たちが眺めて来たのだろう
桜に癒された人たち
目をつむって思いをはせる

私がこの場所で知り合った関東の女性
お母さんは「福泉園」で
きっと桜を眺めて
別れた娘を思っただろう

自治会の方々が
ライトアップの準備中である


ここから遠くが見渡せる
望郷の丘(飛び地)はこの先だった


今年になってわかったこと
光明池工事をした中野組
福泉園建設にも関わったと
つい最近わかった

光明池の桜と歴史散歩(2)

2016年04月02日 16時02分37秒 | Weblog
神社を振り返って

本堤防から和泉市の球技場を望む
その地面は光明池の底面だ。
田んぼだった。
子どもたちの歓声が響く

本堤防上に碑が並ぶ





これは、かつての航空写真
実は、光明池水路図が
銅板ではめ込まれていたが
盗難にあってしまった。
神社の由緒書きもそうである
さびしい話

350Mの本堤防西岸
須恵器の窯跡が多かった
光明池築造で窯跡が発掘された新聞記事は多い
和泉市立光明台中学校正門前に
窯跡群の碑がある

水が濁っている
光明池の水は水道水(和泉、高石、泉大津)になっているから
池を汚さないで欲しい

フジ住宅が建設した住宅立ち並んでいるが
ここは、碑があったために自然が残された
巨木になったうまめ樫、寄り添うように2種類の桜が満開



そのうまめ樫の繁れる中に
光明池工事で犠牲になった朝鮮人労働者の慰霊碑



日陰をつくっている
幼い子ども連れの親子さんと
対話した「日陰はいいですね」と
慰霊碑に手を合わせてくれていた。
そのあとに散歩の男性も
石段をのぼり手を合わせてくれていた
2006年に説明版を作るのに関わった者として
良かったと実感した

朝鮮半島のシンボルムクゲ(ムグンフア)を有志で植樹したのは2006年
痩せている土地でも育ち、新芽を出している
今度肥料を持ってきます
慰霊碑は、毎月1日と15日に光明池土地改良区がお花を供えているので
今日は、まだ新しい
ご苦労様です



4月2日、光明池の桜と歴史散歩(1)

2016年04月02日 15時45分07秒 | Weblog
城山台2丁から光明池へ

堺市の公園

野鳥の森広場


光明池に向かわず左に歩く
桜の写真を撮りに来られる方がいる

また、引き返して光明池へ
光明池神社に着く

神社の池を見渡せる休憩場所が変わっていた
1936年に作られた神社の石柱がわずかだが残されている
猫がカメラを向けても逃げない
気持ちよさそう!

新聞記事にある「大林武藤寅也」の名前の石柱がちゃんと残されている。
うれしい。
光明池改良区の方々の気持ちが伝わる想い

対岸に目をやると

神社が歴史を語っている
稲荷も古い新聞記事にあるが
合祀されている


かわいい狛犬

鳥居に工事関係の名前が刻まれている

1936年工事

1984年改修工事