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「九龍浦に移住した日本人」旧小田村(香川県かがわ市)を訪ねて

2010年02月16日 11時26分17秒 | Weblog
2月14日(日)高松市牟礼町の実家から車で走って30分位で小田漁港に着きました。写真は現在の小田漁港です。香川県の東海岸でも規模として大きい漁港ではありません。写真右側の海では海老の養殖も行われています。さぬき市志度町の地名になっています。1900年代に小田漁港から船出して韓国慶尚南道の「九龍浦」に移住した漁民達は敗戦後引き上げてきましたが小田から離れて暮らす人が多いとのことでした。静かな風景です。漁港の前に道路が走ってますが道路から海側は埋め立てられています。前日に「さぬき市立図書館」を訪ね、志度町史、津田町史、庵治町史、香川県史等、朝鮮への移住漁村についての項目を探してコピーしました。係りの方に「鮮海出漁者功労碑」の場所をお聞きしたら14日朝には調べて待ってくれました。感謝。漁港に近い小田・坂の下の「長福寺小田別院」の右側に碑は建っていました。民家の空き地に車を置かせてもらって細い畦道のような坂道を5分位登りました。途中にある最近の住宅を見た時「九龍浦に移住した日本人」(韓国・浦頂市)の写真だとすぐ分かりました。碑の下側に並ぶ住宅は比較的大きい建物が並んでいるところで、日本風の立派な瓦屋根の家、昔の藁葺き屋根をトタンで覆った家なども坂道沿いにあります。自分なら小田の家屋と言うと、ここは撮らないなあという感じ。漁港をうろうろ歩いていると祖父が村長だった女性に出会いました。80歳で生まれてずっとここで暮らしていると話してくれました。朝鮮に移住した人が「弁財天」修復資金を寄贈したり小田尋常小学校にも寄付をされたと教えて頂きました。
「九龍浦」は香川県民が7割を占め「香川村」と言われたが、「小田村」の人が多く財をなした人もかなりあったようだ。いろいろ歴史を想像しながら小田湾を眺めました。それから「さぬきワイナリー」に向かいました。九龍浦から帰った松本僞三郎の息子が葡萄を植えてはじめたワイン工場だと知らずに何度も訪ねておりました。「九龍浦」三世にあたる方も90歳に近いそうです。香川県は半分海に面しているが、漁場が狭く岡山、広島とも対抗することもあり、朝鮮通漁、朝鮮移住に向かっていったのである。全国で5位の移住者を出している。「九龍浦」は水半分、魚半分という位魚が豊富だったようである。(続く)

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