在日コリアン・ハンセン病問題・沖縄―平和・人権―

自分の足で訪ねた関連の地紹介
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沖縄の焼物と「張献功」

2008年07月01日 17時48分51秒 | Weblog
4月30日に那覇市牧志1丁目にある張献功のお墓を探しあてた。墓の前の50cm程の石柱に「張氏元祖一六仲地麗進」と刻まれている。一六は、張献功である。秀吉の朝鮮侵略の時、南原市から18姓43人陶工が薩摩の島津義弘軍に連れて来られた。琉球王朝の依頼でそのうち3人の陶工が琉球へ派遣される。「一六、安一官、安三官」のうち2人は去ったが一六だけは残り湧田窯の創始者となる。中国、アジアの影響、朝鮮の上焼きという釉薬をかけた焼物、そうした中で琉球独特の焼物が出来上がっていく。後に湧田窯も壺屋に移転し発展していく。
現在も張献功の子孫の方々が韓国の方に向かって座って毎年4月には清明祭を行っている。張献功の関係者の1人は恩納村仲泊に住むが子孫は絶えている。300年前の話であるが今も仲泊の島袋家には拝所がありずっと祀られている。お墓も「恩納村博物館前」の崖のところに「神墓」として説明板も設置されている。恩納村には先日6月26日に訪ねることができた。もう一度お訪ねしてお話をゆっくりお聞きしたいと思って島袋家を辞した。