在日コリアン・ハンセン病問題・沖縄―平和・人権―

自分の足で訪ねた関連の地紹介
知ることは力、学んでこそ生きる。

岡村平兵衛21世襲名記念

2013年09月29日 20時55分59秒 | Weblog
明治の法律第11条「癩予防ニ関スル件」(1907年)前夜と言うべき時代に
ハンセン病者の救済とそのための治療薬「大風子油」製造を始めた堺の19世岡村平兵衛さん。
本来は丁子油製造が本業です。一子相伝で今も22世まで受け継がれています。
ハンセン病者に対する差別と無縁の家風を受け継いでいるのはうれしい限りです。

天満橋

2013年09月29日 20時55分27秒 | Weblog
エルライブラリーの資料を見学した後の時間である。
エルライブラリーは5年前、橋本知事によって助成をゼロにされたままだ。労働運動、社会運動の貴重な資料の宝庫なのに。
こういう予算を計上しない施策は間違っている。だけどあまり外部から見えない。心から怒りが込み上げてくる。
帰りに天満橋駅から大川の方に出ると「水都2009」のメイン会場が置かれた八軒屋浜だ。
ここは1932年天皇来阪時に撤去された将棊島朝鮮人集落跡であると過去のフイールドワークで知った。
1927年に寝屋川を手前の京橋付近で大川に合流させ、また、廃川になる部分の埋め立て工事が始まると、その工事に従事した朝鮮人が居住を始め、その後、住居に窮した朝鮮人たちがどんどん集まり1000人近くになったとのこと。この歴史を思うと夜景もいろいろ思いを巡らせてくれる風景である。そして10年間、関わっているハンセン病問題とも関係の深い橋だ。昭和初期に天満橋下等に住まざるを得なかったハンセン病者のことも思う。
いろいろ思いを巡らしながら帰路についた。

外島保養院79回忌法要に参列しました。

2013年09月29日 20時49分36秒 | Weblog
★外島保養院風水害79周忌追悼法要
(9月27日・外島保養院跡地)
大阪市西淀川区中島2丁目にある「外島保養院記念碑」前で行われました。
邑久光明園の畑野園長や自治会長から、1934年9月21日朝、室戸台風で犠牲になった方々は隔離政策の犠牲者だと歴史をふりかえり、亡くなった方々に思いを馳せる追悼の言葉がありました。
外島で病友の救助・遺体捜索にあたった芳山さんも97歳、職員に支えられて献花されました。外島保養院跡地にたって記念碑の碑文の意味を心に刻み、外島保養院の歴史を風化させてはいけないと思いました。
来年も芳山智雄さん待っています。


中島川に邑久光明園から持って来られたお水をささげました。