雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

安全の限界 ・ 小さな小さな物語 ( 669 )

2015-03-16 11:28:02 | 小さな小さな物語 第十二部
御嶽山の噴火は、大惨事となってしまいました。
なお、全容は明らかになっておりませんが、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。

噴火発生後、これまでに様々な情報や意見などが報道されてきています。
噴火当時入山していて、辛くも下山されて来た方などの話やさまざまな画像などを見ますと、一瞬の判断や、リーダーの指示、山荘の方々の尽力などが明暗を分けるのに少なからぬ働きがあったように思われます。
そして、やはり予想していた通り、危険予報を出せなかったのかという声が出てきています。
現在、わが国にある110の火山(北方領土・海底を含む)のうち47山について常時観測が行われていて、現に有珠山など予報に成功した例もありますが、それはマグマ噴火であって、今回のように水蒸気噴火の予知は極めて難しいそうです。
さらに、今回も火山性の地震(身体に感じない程度のものでしょうが)の数に若干の変化は見られていたようですが、その程度の変化はよくあることで、警報を発するには至らなかったようです。

さらに、噴火の7分ほど前に地殻の変化が観測されたようですが、それを何とか伝達するとはできなかったのかと主張しているコメンテーターの方もおられましたが、あれ、本気で言っているのでしょうか。
それはともかく、今回の噴火は、わが国の火山観測に対する軽視ともいえそうな問題が浮かび上がってくるのではないでしょうか。
御嶽山の昭和54年(1979)の噴火により、火山観測に対する見直しが行われたようですが、今回の大惨事を教訓として、他の防災予算、例えば地震や津波に対する物の一部を裂いてでも、今少し観測機器や人員を充実させるべきではないでしょうか。
一部の報道によれば、火山観測に対する予算は、むしろ減額された経緯もあるようです。いつ起こるか分からない災害の観測に金はかけられないというらしいのです。誰が言ったことなのかは知りませんが、いつ起こるか分かっているような災害に観測する費用などいらないのですよ。

今回の噴火に対しても、テレビ報道などでは、必ずいつ終息するのかということが話題になっています。専門家といわれる人は、「分からない」と答えられています。実に正しい答えだと思うのです。
これまでの経験則を語ることはできても、自然の営みである火山活動を、人間の知恵や経験で完全に把握することなど不可能というのが正しいのではないでしょうか。
いつ終息するのか、と尋ねる人は、1週間とか、1ヶ月程度の期間、あるいは長くても数年程度を期待しての質問なのでしょうが、相手(火山)は、千年単位、万年単位で活動しているのですから、無理な質問ではないでしょうか。
考えてみれば、私たちの周囲は危険だらけです。「危ない山など行かなければよい」と言っても、街中が安全なわけでもなく、歩道を歩いていても物が落ちてくることがあり、寝ている所に車に飛び込まれた人も居ります。
結局、どんなに安全だというものにも、それらすべてに限界があり、それを容認し受け入れながら生きていくしかないのかもしれません。

( 2014.10.02 )
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この列島の恵みを受けて ・ 小さな小さな物語 ( 670 )

2015-03-16 11:26:59 | 小さな小さな物語 第十二部
御嶽山噴火により亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
また、なお多くの行方不明の方があると報道されております。ご家族のご心痛はいかなるものかとお察しするにつけ、自然の営みとはいえやり切れないような悲しみと怒りを感じます。
そして、再噴火の危険や悪天候を縫って、厳しい環境下で捜索にあたっておられる方々に敬意を表します。

折から、再び台風が日本列島を襲っています。まるで、わが国を狙っているかのような台風の進路は、今回に限ったことではありませんが、自然風土のなせる技か、八百万の神々も承知の上のことなのかと、尋ねてみたいものです。
今回の噴火騒ぎで知ったことですが、世界中にある火山の7%がわが国にあるそうです。また、この100年ばかりの間に発生したマグニチュード7以上の地震のうち10%がわが国で起こっているそうです。
火山の爆発、地震、台風といった厳しい自然に加え、わが国の地盤そのものが極めて脆弱なものなのだそうです。

わが国は、領土のすべてが島である島国で、島の数は6852にも及ぶそうです。
それらをすべて含めた日本列島は、もともとはアジア大陸と一体であったものが、長い時間をかけて切り離されて行き、ほぼ現在のような形になったのは、1万2千~1万3千年ほど前のことだそうです。ジャワ原人が登場したのが170~180万年前といわれ、現代人と同じグループとされるクロマニョン人が姿を現したのでも20万年ほども昔のことになります。
いかに、日本列島が生まれたのが新しかということが分かります。
地球上を覆っているプレートは大きなものは14枚(15枚と数えられることもある)だそうですが、そのうちの4枚が衝突しあってわが列島を支えているともいえるのです。地球規模で見ても稀有な地域にあたるそうです。プレートが重なり合う所では常に巨大地震の発生が懸念され、日本列島は今もなお歪み続けているそうです。

わが国は、生成間もない列島の脆弱な地盤の上に存在しています。
常に、さまざまな自然災害に見舞われる危険性を包含された国土の上に私たちの日常があります。しかし、それ故に、類まれなる自然の恩恵も受けています。
変化に富んだ四季のもと、温泉に恵まれ、稲作文化に育まれ、広大な海の恵みも受けています。
毎年のように、自然災害に人命を失う悲しみを噛みしめなくてはならない私たちですが、自然の力を克服することなどできませんが、なんとかその怒りを鎮めつつ、この列島に生かされていることを感謝できるようにしたいものです。

( 2014.10.05 )
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水の恵み ・ 小さな小さな物語 ( 671 )

2015-03-16 11:25:46 | 小さな小さな物語 第十二部
台風18号は、強い勢力を保ったまま日本列島に沿って進み、ついに静岡県に上陸するという厳しい進路となってしまいました。
直接被害を受けられた方も少なくないでしょうし、交通の影響を受けられた方は相当の数になってしまったようです。
心よりお見舞い申し上げます。

わが国は、「豊芦原瑞穂国」といわれるように、水に恵まれた国家です。
実際に、世界中の年間平均降水量は1000mm程ですが、わが国のそれは1800mmと倍近い雨による水資源に恵まれているのです。
ただ、わが国の地形は、山地が多く、そのため河川は大陸のものに比べ急流が多く、また、降雨についても、台風や梅雨など季節変動が大きく水資源の利用が難しい環境にあるようです。
わが国には、年間6400億立方メートルの雨が降るそうですが、水資源として利用できているのは八分の一程度だといわれています。
その水資源がどのように利用されているかということになりますと、農産業に560億立方メートル、工業用に110億立方メートル、生活用水に160億立方メートル程度のようです。もっとも、これらのデーターは調査機関により若干の差があるでしょうし、工業用水は80%以上が再利用されているようですし、農産業に至っては、正確なデーターなど把握できるとも思われませんので、大体の傾向として受け取ってください。
また、よく聞くことですが、水道水をそのまま安心して飲める国は少ないのだとか、一部の地域で水不足が問題になることがあるとしても、わが国全体では、価格はともかく、生活用水の心配をすることなどまずないといえる恵まれた国だと思っていました。

しかし、現実はそれほど安穏としておれることではないようなのです。
「バーチャル・ウオーター」という言葉をご存知でしょうか。
イギリスの学者が提唱したものだそうですが、農畜産物を生産するにあたって必要とされる水のことで、例えば、1kgの小麦を生産するためには2000kgの水を必要とするそうです。同じように、大豆なら2500kg、豚なら5900kg、牛なら20600kgの水を生産にあたって使用しているそうです。
つまり、食料自給率39%程度(カロリーベース)のわが国の場合は、残りの食糧を輸入に頼っているわけですから、単にその食料を輸入するというとだけではなく、その生産に必要な水、つまり膨大な「バーチャル・ウオーター」を生産国で費消しているということになるわけです。
東京大学の沖教授らの研究によれば、わが国が生産国で費消している「バーチャル・ウオーター」の量は、640億立方メートルに及ぶそうで、わが国が国内で農産業用に使われている水資源の量を遥かに超えることになります。640億立方メートルというのは、琵琶湖の貯水量の二倍半にも及び、水に恵まれている国であるわが国は、実は、大変な水消費国であって、その中には、水資源不足に苦しむ人たちから輸入という名のもとに取り上げているのかもしれないのです。

水資源の不足は、世界的に深刻な問題になっています。
現在、飲料水にさえ不足している人々が数億人に上っているというデーターもあるようです。水道水のような水を指しているのではなく、辛うじて命をつなぐことの出来る程度の水さえ不足しているというのです。
水質の悪化は、先進国や急速な発展を遂げている国でも深刻な問題になりつつあります。海外に行かれた人が等しく話されることは、わが国の水道水などの飲料水の素晴らしさだそうです。
そのようなことから、世界中の多く地域で、水争いが表面化しつつあります。
わが国においても、一部の地域において、水資源の源流となる山林などが外国人に買い占められているという話も聞きます。わが国政府も、座視しているわけではなく、各省庁や地方自治体も対策に動いてくれているようです。「独立行政法人・水資源機構」といった専門機関もありますし、北海道などでは、知事や市町村長が一体となって、「北海道の水資源の保全に関する条例」を制定するなど連携して水資源の保護にあたろうとしてくれているようです。
海洋も含めた水資源に恵まれているわが国は、もっともっと水を大切にし、「バーチャル・ウオーター」という形であっても、他国の貴重な水資源を浪費するようなことは慎みたいものです。

( 2014.10.08 )
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青色LED ・ 小さな小さな物語 ( 672 )

2015-03-16 11:24:07 | 小さな小さな物語 第十二部
ノーベル物理学賞に、三人の日本人が選ばれました。心からお祝い申し上げますとともに、わが国に誇りをもたらしてくれたことに感謝申し上げたいと思います。
受賞のテーマとなったのは、青色LEDの基礎技術を発明した師弟コンビと量産化に道を開いた方ということで、技術の最初から完成まで導いた研究者の方々に賞が贈られたようです。
受賞決定とともに、LEDとは何ぞや、青色LEDの完成がいかに大きな意味を持っていたかなどがテレビなどで次々と紹介されていました。もちろん私などには、その技術の発明や開発がどう難しいのかは理解できませんが、LEDという聞きなれた物質であり、すでに多くの商品が商業ベースに乗っているだけに、物理学賞という割には身近に感じられました。
それだけに、技術開発の途上や、権利の所有などをめぐっては幾つかの訴訟騒ぎがあったことはよく知られています。

今回の三人の共同受賞に対しても、「ライバル共同受賞」という見出しを出している新聞もありました。
また、テレビのインタビューを見ていましても、実に三人三様で、とても興味が感じられました。
ノーベル賞というような大変なゴールまで至らないとしても、一つの研究が花開き、それなりの実を結ぶまでには、もちろん一人の孤高の天才が必要なのでしょうが、それを取り巻く多くの人々や、現在の物理や化学などの分野では気が遠くなるような資金を必要とするようです。
わが国が技術立国を目指すのであれば、そのあたりの環境を整備していくことが絶対に必要なようです。

今回の受賞の一人である中村氏と、もと勤務していた会社との訴訟争いは、私などでもよく記憶しています。
あの争いのお蔭で、多くの企業においては、社員の発明などに対する報奨のあり方がかなり変わったといわれていますが、実はどうなのでしょうか。今回の受賞インタビューを見た表面的な感想ですが、中村氏は、今もかつて勤務していた会社に対する怒りを感じますし、日本のこの種の司法判断に対してもそれ以上の怒りを抱いているようです。
中村氏に限りませんが、わが国の研究者に対する環境の劣悪さのため海外に流出している頭脳は少なくないそうです。世界中の人々に貢献するためには、研究の場所が日本であっても海外であっても良いようにも思われますが、「とても日本ではやっていられない」と見限られていることが多いのであれば、もっともっと真剣に考えなくてはならない問題です。

社員がある特許を取得した場合、当然研究を成功に導いた研究者はその権利を主張するでしょうし、企業側は、研究環境や資金を提供しているのは会社であり、その研究者一人だけで完成させたものではないと主張することでしょう。
その利益が、車一台買えるか買えないかという程度のことならいいのですが、中村氏の場合は、企業が得た利益は千数百億円なのに対して、報奨金は二万円だったという話も報道されていますので、まあ、少々極端すぎるような気もします。
一人の研究者を育てるのには大変な費用が掛かるそうです。しかも、経済的な利益を生み出してくれる成功は、かなり低い確率なのだそうです。一企業の場合には、そのリスクをどうカバーしていくかが常に大きな問題でしょうし、国家予算が絡むような場合も、その道の全く素人の国会議員や官僚が、安易に予算を打ち切ったりしてしまうこともあるようです。
ノーベル賞受賞を、まるでわがことのように国民の多くが喜ぶのは結構なことですが、研究者の環境ということを、もっともっと考えていく必要があるように思われます。

( 2014.10.11 )
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JR西日本の英断に拍手 ・ 小さな小さな物語 ( 673 )

2015-03-16 11:22:47 | 小さな小さな物語 第十二部
本稿は、13日の午後2時に書いています。
台風19号は、九州南部を横切って四国、さらには近畿に向かおうとしています。
当地も、雨風が少し強くなってきました。何分大型の台風なので、予想進路のどの辺りを通るとしても暴風雨圏内にかなりの時間さらされることは覚悟しなくてはならないようです。
すでに沖縄本島や各島、九州南部などでもかなりの被害が報じられていますが、先週に続いての台風とあって、相乗的な被害拡大が心配される地域がたくさんあるようです。

12日までの進路予想を見てみますと、近畿では大阪市辺りに中心線があるように見受けられました。
それを受けて、JR西日本では、前日のうちに13日午後4時以降の京阪神地区を中心とした広い範囲の全車両の運行を停止させると発表しました。大阪市内の環状線をはじめ、京都市、奈良市、和歌山市、神戸市なども含む広範囲な地域の特急列車から普通電車まで総て止めるというのですから、決定には勇気がいったことと思われます。
決定時には、台風の中心はまだ遥かな沖縄近辺にあったわけですし、いくら日本の台風予報が優れているとはいえ、この時点で決定することに異を唱える声もあったと思われます。
しかし、このJR西日本の早期の運転停止の決定は、大坂を中心とした地域で予定されていたイベントや企業の操業などにかなりの影響を与え、中止や早期修業を決定した所もあるようです。

わが国に限ったことではありませんが、多くの自然災害が私たちの生活を脅かします。
かつては、「地震・雷・火事・親父」が恐い物の代表とされたものです。この言葉が何時頃からいわれるようになったのか知りませんが、その後科学の進歩や知識の集積もあったと思うのですが、恐いとされた物のうち、克服できたものは「親父」ぐらいなものではないでしょうか。残念ながら・・。
常に私たちの生活を脅かす災害の中で、台風は、数少ない予知・予報が可能な災害といえます。もちろん雷も火事もそれなりの防止対策を講ずることはできますが、台風は災害の規模が大きく、それでいて相当前から準備可能なものといえます。

もちろん、いくら早くから襲われることが分かっていたとしても、台風の進路を変えることはできませんし、家を捨てて逃げ出すわけにはいきません。家を強化させるといっても大したことが出来るわけでもありませんし、裏山や河川を限られた集落などでどうこうできるものでもありません。
しかし、すでに一部の地域では徹底されつつあるような、早期の避難や、長期的な防災対策によって、被害を現在より小さくすることは可能だと思うのです。
JR西日本の今回の英断は、13日が祭日でなかった場合でも実行できたかどうか若干の疑問がありますが、今回の決断の影響や効果などを検証して、今後の台風に対する重要対策となるよう期待しています。
今回の台風は、14日の午後には日本列島を離れていきそうですが、広範囲な地域が暴風雨圏に入りそうなので、なんとか被害が小さくすむよう祈るばかりです。

( 2014.10.14 )
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テッペンカケタカ ・ 小さな小さな物語 ( 674 )

2015-03-16 11:20:22 | 小さな小さな物語 第十二部
「テッペンカケタカ」というのは、ホトトギスの鳴き声を表したものです。
これは、私が子供の頃に教わったもので、今でもホトトギスといえば、「テッペンカケタカ」と鳴いているように聞きとることが出来るのです。もっとも、鳴き声については、「ホンゾンカケタカ」など幾つかの鳴き方が言われているようで、中には、「トウキョウトッキョキョカキョク」というのもあるらしいのです。
ホトトギスといえば、夏の季語を代表するような鳥ですので季節外れの話題のような気もするのですが、紹介させていただきます。
広辞苑でホトトギスの漢字書きを調べてみますと、「時鳥・不如帰・杜鵑・沓手鳥・霍公鳥・子規・杜宇・蜀魂」の八種類が載っていました。枕草子などには、「郭公」の文字も当てられていますので、他にもまだあると思われます。
この「郭公」は、いわゆる「カッコウ」と間違えたことからともいわれますが、他の文字も漢詩などからきているものもあるようです。ホトトギスという呼び名の方は鳴き声からきていると説明されていますが、私には、やはり「テッペンカケタカ」と聞こえてきます。

ホトトギスは、カッコウ属の鳥ですが、ヒヨドリよりほんの少し大きい程度です。
アフリカ東部からインド、東南アジアなどに生息していて、インドや中国南部あたりで越冬する個体群が五月頃になると北に向かい、その一部が日本列島にやって来て子供を育てるのです。
ホトトギスは夏の渡り鳥としては渡来するのが五月中旬頃と他の鳥より遅いのは、一つは肉食の鳥で主たる餌がケムシ類なのであまり早い時期では餌が少ないためです。そして、もう一つの大きな理由は、ホトトギスは托卵という習性を持っていて、主としてウグイスの巣に卵を産み付けて子育てしてもらう必要性からこの時期になるようです。従って、ホトトギスは、ウグイスの生息地近くで日本の夏を過ごすことになります。

古来、ホトトギスは日本人に大変好まれてきた鳥といえます。
ホトトギスが詠まれた歌は、万葉集には153首、古今集には42首、新古今集には46首あるそうで、他の鳥を圧倒しています。
また、ホトトギスの声を聞くようになるのが田植えの頃にあたることから、「田植えの合図」とされる地域もあったそうです。
よく知られている逸話では、三人の武将の性格を表しているものとして、
織田信長は、『 鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす 』と詠み、
豊臣秀吉は、『 鳴かぬなら 鳴かして見しょう ほととぎす 』と詠み、
徳川家康は、『 鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす 』と詠んだと伝えられています。
真実がどうかは分かりませんが、実によくできた比較だと思われます。
また、これらの句を受けて、松下電器産業(現、パナソニック)の創業者であり経営の神様と尊敬された松下幸之助氏は、
『 鳴かぬなら それもまた良し ほととぎす 』と詠んだと伝えられています。

散歩コースで、私も週に二、三度はホトトギスの鳴き声を聞いています。
九月の末頃からは、「テッペンカケタカ」と満足に鳴けない声をよく聞くようになりました。姿は見えないのですが、まだ幼鳥なのかもしれません。しだいに秋も深まっていくこの季節、もう南に向かって旅立たなければならないのではないでしょうか。どこまで行くのか知りませんが、千キロにも及ぶ旅になるのではないでしょうか。まだ幼い鳴き声なのに、大丈夫なのでしょうか。それとも、成長を続けながら旅を続け、越冬の彼の地に着く頃には逞しい成鳥になっていて、来年五月、再びこの地に帰ってきて、元気な鳴き声を聞かせてくれるのでしょうか。
それにしても、散歩の途中、梢の先から甲高い声で「テッペンカケタカ」と声をかけられると、正直なところ、忸怩たる思いにさせられることも少なくありません。

( 2014.10.17 )
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ブラック企業 ・ 小さな小さな物語 ( 675 )

2015-03-16 11:18:55 | 小さな小さな物語 第十二部
前回の本稿「テッペンカケタカ」で、松下幸之助氏のことにふれたものですから、久しぶりにその著書をほんの少し読み返してみました。
若い人にとっては、松下幸之助氏も歴史上の人物になりかけているのかもしれません。
第二次世界大戦で壊滅的な状態になったわが国が、現在、曲がりなりにも先進国の一角を占めていると自負することが出来ている背景には、政界や官僚、あるいは教育界などの果たしてきた役割は大きいのでしょうが、やはり経済面での立ち直り、成長が最も大きな支えとなったのではないでしょうか。
そして、その経済成長をけん引したのは、個々の企業が逞しく成長し、それによって多くの国民の生活が支えられるようになっていったことが大きく働いたことは確かと思われます。

松下氏が戦後の経済界のリーダーであったというわけではないでしょうし、ソニーやホンダといった急成長を果たした会社も多く、経済団体を指導したとされる人物も少なくありません。
しかし、松下氏の経営理念や、特に晩年になってからの言動や出版物などは、多くの若い経済人ばかりでなく、政治を志す人にも少なからぬ影響を与えてきたと思われます。「PHP研究所」や「松下政経塾」などを中心に、その崇高な精神は今日にも伝えられていて、経営の神様と呼ばれる所以となっています。
長引く不況とともに、働く人の環境が劣化しがちであり、人格を疑われるような大手会社の経営者の噂も聞かれることの多い現在こそ、偉大な先人の残してくれた名言などに触れてみてはいかがでしょうか。

最近、「ブラック企業」という言葉を時々耳にします。
「ブラック企業」という物の発生の起源や正しい定義などは知らないのですが、私が認識している限りで言えば、もともとは、反社会的な団体とのつながりや影響が強く、違法行為を常態化させている企業を指していたと思うのです。その場合の、迷惑や被害を受けるのは、主として、取引先や顧客など、つまり社外の人に対する行為が主体だったと考えられます。
ところが、最近よく耳にする「ブラック企業」は、社員に対して違法行為を行うことが主体のようで、、若者などを大量採用し、過重労働などの違法労働を常態化させ、パワハラなどもまじえて、次々と退職に追い込み使い捨てにしていって、労働コストを引き下げるなどにより成長している大企業を指すようなのです。
インターネット上には、よく知られた大企業が、それも上場企業や優良企業と噂される企業なども含めてかなりの数の企業が報じられています。
テレビなどの報道を見る限りでは、そのやり口は悪質で、社員の最低限の尊厳さえ無視するような扱いは珍しくなく、多くの退職者を出すばかりでなく、精神的に病んだり、自殺に追い込まれた人も少なくないようなのです。
おそらく、長引く不況が生んだ「鬼子」のような存在などといえば鬼に叱られるかもしれませんが、働く場所がないという厳しい現実が影響していることも確かなのでしょうが、やはり、最大の原因は、経営者の資質によるところが少なくないように感じられます。

もちろん、名指しされた企業の中には、中傷と思われる部分や、誤解されている部分などもあると思われます。しかし、同時に、真っ白なのに真っ黒だといわれていることは少ないはずですから、それらの企業は、反論なり、改善などを図るべきであって、それさえ無視するような企業は存続できないような社会にしていく必要があると思うのです。
やはり、テレビ報道からですが、「過重労働だといっても、自分はそのようにやってきた」と、うそぶく経営者がおりました。パワハラやセクハラに対しても、自分たちの世代では普通のことだ、とぬけぬけと申される自称政治家や経営者や管理職も少なくありません。
社会が変化して行く中では、世の移り変わりについて行けない部分は多くの人にあるわけですが、他人を傷つけたり、他人の生活に平気で泥をぶっかけるような人物は、少なくとも、経済界や政治の世界の指導的な立場からはご遠慮願いたいものです。

( 2014.10.20 )

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三千年で世界一周 ・ 小さな小さな物語 ( 676 )

2015-03-16 11:17:41 | 小さな小さな物語 第十二部
地球温暖化が問題視され始めてから久しいですが、何か歯止めになるような施策はなされているのでしょうか。
その主因とされる二酸化炭素などの温室効果ガスと呼ばれるものの増加は、若干でも歯止めがかかる目途のようなものは見えてきているのでしょうか。
特にわが国の場合、東北の大地震による福島第一原発の事故以来、二酸化炭素の排出などどうでもよくなったかのように、火力発電が使われ放題になっている感があります。原発は怖い、だから、二酸化炭素の排出量の増加など、全量がわが国の中に留まっているわけではないので、お金が続く間は化石燃料を使い続けようということなのでしょうかねぇ。

温室効果ガスによって地球全体が温暖化していく、ということに対しては反論もあるようです。
ただ、一般的に言われている話を聞くと、安易に二酸化炭素などの排出を無制限に続けていいのかという疑問は感じられます。
例えば、大気中の二酸化炭素の増加により気温が上がると、当然海水温度も上がってきます。そうすると、海水に溶け込んでいる二酸化炭素は温度が上がるほど溶解度が下がりますから、海水からも二酸化炭素が放出されることになり、温室効果は高まり、さらに海水温が上がるという循環を繰り返すことになります。
また、大気温度の上昇により、ツンドラ地域の氷床が溶け始めます。この現象は、すでにシベリアのツンドラ地帯などでは見られるそうですが、それにより地下に閉じ込められていたメタンガスが大気中に放出され始めます。メタンガスは二酸化炭素の二十三倍の温暖効果があるガスだそうですから、ここでの循環も無視できません。

その一方で、こんな話もあります。
ヨーロッパの主要都市の緯度は、わが国の主要都市に比べずいぶん北に位置しています。確かに冬は寒いようですが、私たちが感じる緯度の高さに比べれば温暖な気候に恵まれています。その理由はアフリカ沖からやってくる暖かい海流のお蔭なのです。
実は、温暖効果ガスの無秩序な排出は、この地域の気候に大きな変化を与える可能性があるというのです。
北大西洋深層循環流と呼ばれる、海面下をゆっくりと流れている海流があるそうです。この深層海流は、北海付近で冷やされた冷たい海水は比重が重くなり下に潜って行き、大西洋を南下してアフリカ沖を回ってインド洋で浮上する流れと、太平洋まで潜って行き日本の沖合で浮上するものがあります。表層流となったこの海流は、引き返して行きアフリカ沖を逆に回って強い日光に暖められながら北大西洋に流れ込むので、ヨーロッパや北アメリカは緯度の割には温暖なのです。
この深層から表層へと移りながら地球をほぼ一周する海流は、およそ三千年もかけてひと巡りするそうです。
ところが、地球の温暖化が進むと、北海の海水温が高くなり、深層へ潜り込むことができなくなり、この大海流が途絶、あるいは大きく流れを変える恐れがあるというのです。そうなれば、温暖効果ガスの増加はこの地域を寒冷化させる懸念があるともいえます。

三千年かけて地球を一周するといっても、それなりに科学的な根拠があるのでしょうが、素人の私などには眉唾物にしか思われません。
二酸化炭素の排出を大幅減らすなどとわが国の首相が大見えを切ったのはそれほど前のことではありません。政権が交代したから、原発事故が起こったから、もうそれには触れないようにしようというのが私たちの本音であれば、温暖化温暖化などと大騒ぎするのは勘弁してもらいたいような気がします。
それに、もしかすると、地球が温暖化するより、寒冷化する方がはるかに怖いような気もしますし、その可能性も無視できないのではないでしょうか。

( 2014.10.23 )
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氷河期到来 ・ 小さな小さな物語 ( 677 )

2015-03-16 11:16:37 | 小さな小さな物語 第十二部
「氷河期到来」などという、見出しの記事を見ました。
最初は、就職難などのことを指しているのかと思っていたのですが、そうではなく、地球上の大陸の多くが結氷するほどの氷河期が到来するという記事だったのです。さすがに、少々大げさに過ぎますし、まあ、私が生きている間にはやってきそうもないことなのでどうでもよいことだと思いながらも、少々興味もあり、調べてみました。
但し、「氷河期」などに関しては諸説入り乱れているようで、定説といえるほどのものもないような気がしました。それに、「最後の氷期」と呼ばれる寒冷期が終わったのが一万年程前のようですから、実際に体験した人は多分いないはずですから、地質などのわずかな痕跡から積み上げられた推測を、全く予備知識のない私が紹介するのですから、その程度のこととしてお読みください。

まず、「氷河期」とはどういう状態の時を指すかといえば、「大陸上に氷床があらわれる時代」ということからすれば、現在は、氷河期の中にあるといえるのではないでしょうか。
また、「氷河期」といっても、私たちが漠然と想像するものは大規模なもので、もっと小規模なものもあり、氷河期の中であっても、大変寒さの厳しい「氷期」と比較的温暖な「間氷期」があります。また「氷河期」と「氷河期」の間には数百万年を越えるような温暖期もあるようです。
大規模な「氷河期」はこれまでに少なくとも四度あったとされています。
まず最初は、「24億年前~21億年前」その次は「7億5千万年前~6奥4千年前」その次は「4億6千万年~4億3千万年前」その次が「3億6千万年前~2億6千万年」だそうで、最後の大氷河期においては、生物の大量絶滅があったとされています。
ここ数百万年の間は、4万年~10万年の周期で多くの「氷期」が起こっているそうです。

現在の「氷期」は、4千万年前程から始まり3百万年前程から規模が拡大し、「氷期」と「間氷期」を繰り返しているそうです。
最後の「氷期」は1万年ほど前に終わったとされ、現在は「間氷期」にあたると考えられますが、数百万年続く温暖期に向かっている可能性も否定できないと思われます。
なぜ「氷河期」が出現するのかそのメカニズムについては解明できているわけではないでしょうが、主に三つの要因が考えられています。
一つは、大気の組成の変動です。初期の頃の大氷河期はこの影響が大きいともいわれています。
二つ目は、地球の軌道の変動からくるものとされ、三つ目は、大陸の配置からくるものとされています。
意外なのは、太陽活動によるものは挙げられていないということです。短期的には気候変動の影響はあるのでしょうが、大氷河期をもたらすような太陽活動の変化が起これば、地球という物体はともかく、生物などは消滅することになるのでしょう。

さて、現在の地球は、温暖化に向かっているのか、再び氷期に向かうのか、それとも、「間氷期」という人間の生存にやさしい時代が今しばらく続くのか、判断は難しいようです。
24億年前に始まったとされる大氷河期は、大気の組成が変化していくことで起こった可能性が推定されているようですが、現在私たちが叫んでいる温室効果ガスは、24億年前のような大氷河期(それがどの程度のものか知りませんが)を招くことなどありますまい。
使えるだけの化石燃料を好きなだけ使ったところで、大氷河期を迎えるほど地球は「やわ」ではありませんよ。ただ、地球が風邪をひく前に、人類は起き上がれなくなるでしょうねぇ・・。

( 2014.10.26 )
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「うちわ」と「うちわもどき」 ・ 小さな小さな物語 ( 678 )

2015-03-16 11:15:31 | 小さな小さな物語 第十二部
政権周辺が何かと慌ただしいようです。
世界的にみれば、新たなといえるようなテロの危機があり、エボラ出血熱という、何とも不気味な病気の拡大が、直接間接に全世界に影響を与えようとしています。ウイルスという、動物とも植物とも分別しがたく、それどころか生命体なのかどうかも完全に判別出来ないような存在体が、人間にとって、侮りがたい存在であることが明らかになりつつあるような状況が到来しているような危惧が感じられます。
そのような世界の状況の中で、比較的安定していると考えられていたわが国の政権が動揺しているようなのです。ただ、その根本ともいえる国会の論争などを見ていますと、世界の危機とはあまりにも次元が違うことにうんざりしてしまいます。

事の発端というわけではないのですが、口火を切ったのは、内閣改造後の新大臣に対する様々な疑惑のようなものの追求といえます。
その中でも、秀逸ともいえるのは、「うちわ」論争ともいいたいような笑ってしまいたいようなやり取りでした。渦中の新大臣は、自分が配布した政策アピールらしい物を書いた「うちわらしいもの」を追及されると、しどろもどろに、「うちわのように見えるが、うちわではない」といった趣旨の答弁を通しました。「南京玉すだれ」を連想するような迷答弁ですが、あれが「うちわ」に見えないのであれば、法の番人の大将であるべき法務大臣どころか、最低限の常識さえ持っているのかどうかと疑問を持ってしまいます。
さらに、国会でこの問題を厳しく追及した女性議員は、この情けない大臣の答弁に得意満面の様子に見えましたが、追及している議員も、同様ともいえそうな「うちわもどき」を配布しているのです。こちらのものには「柄」にあたるものがなく、選挙管理委員会とかの了解を取っていたらしいのですが、これを貰った人の相当高い割合の人が「うちわ」として使用したと考えられます。「うちわ」はだめで「うちわもどき」はOK、あるいは、無防備に配布した人は馬鹿で、悪知恵を働かせて防備した者は正義だとでも言っているようで、追及している者と追及されている者の双方に失望を感じてしまいました。
「いやいや、下手な演芸より楽しませてもらったよ」という声もあるらしいですが、あの国会答弁に要した時間を費用換算すればいくらになるのか、国会は公表すべきだと思うのですが。

また、二人の大臣が辞任した後の後任大臣の一人には、「SMバー」などという、衝撃的な見出しのスキャンダルが表面化してしまいました。
しかし、これも、週刊誌が書く分には、それなりの意味もあるのでしょうが、それを受けて国会の公式の場で騒ぎ立てるのも、「うちわ」と「うちわもどき」の泥仕合に似た感じを受けてしまいました。
秘書が情報活動の流れで利用したと説明されていましたが、国会活動における必要経費にその程度のレベルのものが含まれていることは、別に驚くほどのことでもないと思うのです。
それよりも、私たち一般国民が、「SMバー」という言葉に過剰反応してしまい、一回2万円弱であってもSMバーはけしからんが、一回20万円のクラブや料亭なら許されるというロジックに引っ張り込もうとする計略かもしれない気がするのです。
この際、国会活動費における交際費の上限を、一回当たりの費用をこの「SMバー」の費用以上は認めないと、各政党間で決めてほしいものです。
きっと、この支出を追及している者も含め、多くの議員は反対するのでしょうね。

今回の内閣改造後の大臣辞任劇などの騒動の中で、最も深刻なのは、改造の一番の目玉とも思われる大臣の辞任ではないでしょうか。
大臣を辞めることくらいは、まあ、どうということはありません。有能と伝えられる人物ですからまた再起されるでしょうし、国民にしても、二人や三人大臣が交代したところで、少々無駄な経費が掛かったという程度で済むはずです。
ただ、この議員の伝えられているトラブルは、少々重大な問題を含んでいるようです。大げさに言えば、わが国の選挙制度の大きな問題点を浮かび上がらせる可能性があると思われるのです。
長い伝統と選挙基盤に支えられた地域から誕生する議員は、長期的な成長と重厚な思想を育んでくれる可能性を秘めています。その代償としてというわけではないのでしょうが、国会議員を頂点として、知事や市長や地方議員、さらには町内会の役員までも含めたピラミッドが構築され、そこには利権や金銭が複雑に絡み合うことになりがちです。
一方で、清廉潔白をスローガンにしたり、時の政権の失政を追及して躍り出で来る議員は、ドロドロとした利権とは距離をとっていますが、支持者は移ろいやすく、重厚な人材が育ちにくい傾向を持っているように思われます。
政治には金がかかり、選挙民は常に何かを求めています。金や利権と無縁な政治など現実的には不可能なのかもしれません。
しかし、だからこそ、そこには一定のルールを決めて守っていくことが知恵ということなのでしょう。
この議員の真相報告に大いに期待しています。

( 2014.10.29 )
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