雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

小さな小さな物語  目次

2015-03-15 15:32:01 | 小さな小さな物語 第十二部
          小さな小さな物語  目次 ( No.701~720 )

     No.701  裏と表
        702  立ち止まる勇気
        703  二十年が過ぎて
        704  境界線
        705  言葉の力


        706  やりきれない思い
        707  思いを伝える
        708  貧困の緩和
        709  旧正月と立春
        710  お天道様は見ているけれど


        711  テストのない勉強
        712  138億年と1秒
        713  落し物
        714  少し違う 
        715  特別扱い 


        716  政治と金
        717  春の訪れ
        718  住処は何処?
        719  時間の尺度
        720  骨肉の争い 
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裏と表 ・ 小さな小さな物語 ( 701 )

2015-03-15 15:30:43 | 小さな小さな物語 第十二部
新年も十日余りが過ぎ、正月気分もぼつぼつ終わりにしなければと思っています。
今日は成人の日で、各地で華やかな催しが行われことでしょう。
新成人の方々が、希望に胸を膨らませてスタートする日のテーマが「裏と表」というのは、いささか気が引けるのですが、社会人になるということは、裏と表が渦巻く中に身を投じることでもありますから、あえて選ばせていただきました。

新年になって、個別の事件はともかく、社会的なというほどの問題としては、大雪による被害や交通障害が一番ではないでしょうか。つまり、まずまず落ち着いた新年をスタートしたということではないでしょうか。
しかし、世界的な規模で考えれば、フランスでは新聞社に対するテロという事件が発生してしまいました。これを単なる殺人事件と考えれば、不幸なことではありますが、ままある事件だともいえますが、今回の場合は、言論の自由、宗教、人種、不公平などの要因が色濃く浮かんでいて難しい事件といえます。
また、原油の暴落は依然止まらず、わが国などは恩恵を受けるのでしょうが、世界全体で見れば、財政的に追い込まれる国家も少なくない可能性があります。
各地の紛争や、傷病、極限状態の貧困などの問題も、ほとんど解決への道筋さえ見つけられないままに新年はスタートしたわけです。

これらの問題を考えてみるとき、その多くから「裏と表」ということが浮かび上がってきます。
「裏表(ウラオモテ・ウラウエともいう)」あるいは「表裏(ヒョウリ)」という言葉が生まれたもともとの意味は、「上下」「左右」などと同じように、物事の対象を成すものとして出来たのだと思うのですが、どうも「裏表」には人間の心情的な鬱屈のようなものが感じられてならないのです。
もちろん、「上下」や「左右」という言葉もそのように使われることがありますが、「裏表」であれ「表裏」であれ、その色合いが強いように思うのです。
原油が下がれば喜ぶ人々がおり、その裏で苦しむ人がいる。言論の自由を多くの血を流して得た人々がおり、絶対に容認できない誹謗というものを感じ取る人々がいる。豊かな生活を得ている人々の裏には、個人の努力では抜けきれないような極限状態の貧困がある。
「裏と表」があるのは物体に限ったことではなく、社会現象や人間の心情にも存在していて、それは、物体の裏表よりはるかに複雑で深刻なように思えるのです。

「裏を見せ表を見せて散るもみじ」
この句は、良寛のオリジナルではないようですが、良寛の辞世の句として紹介されることがよくあります。
良寛が辞世の句としてこの句を残したかどうかはともかく、晩年よく口すさんでいたらしいことは伝えられています。
江戸時代後期、厳しい飢饉の時代を禅僧として各地を行脚し、一家を成すほどの終業を積みながらも絶望を感じながら生きた良寛が、最後に辿り着いた心境が「裏を見せ表を見せて・・・」というものであったとすれば、「裏と表」を山ほど抱えた身としては、少なからず考えさせられています。

( 2015.01.12 )
 
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立ち止まる勇気 ・ 小さな小さな物語 ( 702 )

2015-03-15 15:29:14 | 小さな小さな物語 第十二部
少々大げさですが、考えてみれば、私たちが生きているということは常に何らかの選択のもとに時間を過ごしているということのように思うのです。
新年になって、今日でまだ十五日目に過ぎませんが、私たちがテレビなどを通じてみることが出来るニュースからだけでも、その大小はあるとしても、何ともやりきれないような事件なり悲惨な状況などが伝わってきています。
ある事件は、どうしてそうなってしまったのだろう、などと考えさせられ、どこかで行なったちょっとした判断が大きく道を変えてしまったように思われますし、海外から伝えられる難民キャンプなどの報告をみると、個人の判断など働く余地のない厳しい定めのようなものがあるような気もしてしまいます。

人が生きていく上において、考えようによっては、そのほとんどが運命というか、どうにもならない大きな枠組みのもとで生かされているように思ってしまうことがあります。
しかし、そうであっても、実際に生活していく中では、常に何らかの選択と決断に迫られていることも事実ではないでしょうか。例えば、五十歳まで生きてきた人であれば、意識的であれ、無意識のうちであれ、幾つかの、というより膨大な量の決断をしてきているはずです。
あとから考えてみても意味ないことかもしれませんが、「あの時別の選択をしていたらどうなっていただろう」と考える事の一つや二つは誰にでもあるのではないでしょうか。

「どうすることも出来なかったんだ」とか「それ以外に考えられなかった」などという言葉を聞くことがあります。
ギリギリの状態で決断を迫られ、あるいは、いつの間にか自分を追い込んでしまっていて、行くか戻るかのどちらかを選択せざる状態になることも、人生には、ままあることなのでしょう。それは、たとえ五十年生きた人であっても、まだ少年や少女と呼ばれるような年齢であっても、厳しい選択を迫られるのは全く同じではないでしょうか。
しかし、どんな厳しい選択であっても、決断を迫られているその問題には「AかB」しか選択肢はないのでしょうか。
多くの場合は、そのように思い詰めているだけではないのでしょうか。

私たちが生きていく中で迫られる選択は、答えが一つしかない設問など、ほとんどないのではないでしょうか。
「AでもなくBでもない」もっと違う方法もあるのではないでしょうか。それも、一つだけではなく、いくつかの選択肢が用意されているはずなのです。例えば、「C」や「D」の可能性を探す方法もあるでしょうし、若い人にはずるく見えるかもしれませんが、「AとBを足して2で割る」という方法がとれる場合もあります。
そして、何よりも若い人に心に留めておいてほしい選択肢は、「立ち止まってみる」ということです。
「チャンスは今しかない」「もう、どうすることも出来ない」といったことも、きっとあるのでしょうが、そのときにこそ、勇気をもって「立ち止まってみる」という選択肢があることを思いだしてほしいのです。

( 2015.01.15 )
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二十年が過ぎて ・ 小さな小さな物語 ( 703 )

2015-03-15 15:27:53 | 小さな小さな物語 第十二部
昨日、一月十七は阪神・淡路大地震から二十年目にあたる日でした。
各地で様々な追悼行事が行われ、大勢の人々が直接参加し、参加しないまでも、テレビの報道などを通じてあの日の思い出やその後の出来事などを思い起こされた人ははるかに多いことでしょう。
テレビの報道も、特に関西を中心とした放送局では相当の時間を割いて特別番組を組んでいました。

二十年前のあの時、私は被災地の真ん中にいたわけではないのですが、相当激しい揺れを感じ、住居などにも若干の被害を受けました。
勤務していた場所は神戸市にありましたが、そこも中心地から離れていたこともあり、比較的軽微な被害で済みましたが、取引先などでは壊滅状態になったところも多く有り、仕事の上では少なからぬ影響を受けました。
神戸市の中心地へは、早い段階で入りましたし、交通手段が厳しい中でも、多くの場所に出向いたことを今でも鮮明に覚えています。

今、神戸の街は、少なくとも表面的には震災の跡形を見つけ出すのが難しいほどの復興を遂げています。
街並みは復旧したばかりでなく、以前にも増した建物群が見られる地域もあります。
しかし、同時に、二十年を経たことで、様々な問題点や歪みが表面化してきている部分も報道されています。例えば、旧来の古い住宅地や商店街などが整備されて、大規模なビル群に変貌を遂げた地域では、それに見合うだけの人口の復帰や集客力が回復せず、新たな都市問題が表面化しつつあるようです。また、緊急的に実施された民間からの借り上げによる復興住宅では、契約期間の二十年という期限が到来しつつあり、その期間が明確に知らされていなかったり、住民が高齢化などで移転に負担を感じる人も多く、厳しい選択を迫られている人がいるのです。
追悼行事における挨拶などを聞いていましても、建造物の復旧に比べ、人々の心の傷の復旧は、二十年という年月はまだまだ短いように思われました。

私たちは、自分以外の出来事や変化に関しては、トータルで感じ取ることが出来ます。
例えば、神戸市の大震災からの復旧がどの程度で進んでいるかと質問されれば、神戸市民や近隣の市民の九割程度の人が復旧どころか復興していると答えるような気がします。しかし、人的な被害を受け、住む場所を失い新たな安住の地を得ていない人などにとっては、今もなお二十年前の延長線を歩いているのではないでしょうか。
人が傷つくのは、大地震だけではありません。規模の小さな災害であっても、当事者にとっての痛手は全く同じですし、むしろ、社会の共助には救われないことが多いものです。
東日本大地震からの復旧は、原発の問題もあって、その目途さえたっていない地域が多いと聞いています。その他にも、自然災害だけでみても、すでに忘れ去られようとしている地域もあります。
一月十七日という日を、一年で一度きりの日で終わらせることなく、災害や事故で生活の基盤を根こそぎ傷つけられた人に対する共助を、今少し考え直すきっかけとしたいものです。

( 2015.01.18 )
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境界線 ・ 小さな小さな物語 ( 704 )

2015-03-15 15:26:12 | 小さな小さな物語 第十二部
話題を集めていた少年の犯罪のニュースを見ていて、ふと思いました。
その人物の生い立ちや背景などは知りませんので、事件そのものや事の良し悪しを云々するのは避けたいと思います。
ただ、気になったことは、彼が生活保護を受けていて、その費用で逃亡劇を演じていたらしいことが伝えられていたことです。少年院を出た後の厳しい生活を一定期間支援するために生活保護費が提供されていたらしく、それはそれで必要な処置だったと思われます。そのどこが気になるのかといいますと、少し前に見た、高齢の一人暮らしの方を取材したテレビ番組を思い出したからです。その番組も断片的に見ただけなのですが、高齢なうえに病弱なその人は、病院に通う交通手段が無く、国民年金とほんの少しの蓄えを取り崩しながら、まことに厳しい生活を送っていることが伝えられていました。生活保護を受けるように動いてくれた人もいたようですが、今にも倒れそうでとても換金できないと思われるものでも持家があり、百万円にも満たない必死に蓄えてきた貯金があるため、生活保護を受けることはできなかったらしいのです。
その高齢の人についても、犯罪に走った少年の場合も、どちらも詳しい事実関係を知っているわけではないのですが、何処にどういった「境界線」があって、受給が決められているのかと思い、実に腹立たしい気持ちが治まらないのです。

ルールを定めるにあたっては、何事にも、線引きというものが必要になることは当然のことです。「境界線」の設定が必要だということです。
大きなことで言えば、国境がそれにあたります。
かつての国境は、自然発生的に生まれてきたものがほとんどでしょうが、時間の経過や相互の力関係により「境界線」は大きく揺れ動くものです。かといって、人工的に引かれた国境線は、例えば、中東やアフリカの一部にみられるように、地図上で一直線に線を引いたようにして生まれた国境は、風土や民族や部族の事情を無視していて、長年を経ても問題が残っています。
国境とまでいかなくとも、都市計画などで線引きされた場合は、それによる有利不利は常に発生しますし、大規模なものであれば、政治家やその道のプロたちが暗躍する場所を提供することになることは、よく知られているところです。

先に挙げた生活保護の受給条件などもそうですが、様々な制度でも「境界線」は微妙な影響を私たちに与えます。
最近の話題でいえば、税制における「配偶者控除」の問題があります。現行の配偶者控除などが主婦の勤労意欲を減殺しているとかで、改定がうわさされたりしていますが、その案とやらを見てみますと、何のことはない、増税を意図しているものとしか見えないような気がするものなのです。それはともかく、ここでも「境界線」が厳正かつ冷酷に区分けすることになるでしょう。
また、刑法において言えば、飲酒や薬物による交通事故に対する量刑の設定が話題になりました。何処でどのような「境界線」を引くかということは、法令や裁判においては特に難しい問題のようです。

「境界線」は、私たちの心の中にも数多く存在しています。
私たちは、対人関係において、一人一人と全く違う「境界線」を持っているようです。
一般敵には、配偶者や肉親との「境界線」は緩やかなものですが全く無いというのは、勘違いしているだけでしょう。
他人との間は、それよりは高く親友といえども鮮明な「境界線」を有しているものです。親しくない人や嫌な人との間の「境界線」は高く頑丈なことはもちろんですが、たとえ肉親や親友との間であっても、緩やかであった「境界線」を閉じることになると、想像を絶するほど頑強なものになるようです。しかし、「境界線」があるのを冷たいと考えるのも間違いです。どのような人間関係においても、お互いに「境界線」を持ち合っているからこそ関係を永続させることが出来るのですから。
さて、限りなくある心の「境界線」。出来る限り穏やかなものばかりにしたいものです。

( 2015.01.21 )
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言葉の力 ・ 小さな小さな物語 ( 705 )

2015-03-15 15:24:53 | 小さな小さな物語 第十二部
インターネットの時代といわれて久しいですが、パソコンや携帯電話などを中心とした技術の革新はいちじるしく、一般の私たちなどが容易に手にすることが出来る通信手段は、止まる所を知らないかのように発展を遂げています。
まあ、それが科学技術がもたらす文化の発展ということなのでしょうが、同時に、半世紀前であれば想像もつかないような事件やいたずらの手段としても使われるようになってしまいました。
国際的な不幸な出来事においても、国内のまことに馬鹿げた事件にも、素人同然の知識の持ち主であっても、全世界にアピールすることが可能な環境を手にすることになってしまっているのです。

「言霊(コトダマ)」という言葉がありますが、わが国に限ったことではないのでしょうが、かつて、言葉には特別な霊力があると考えられていたようです。
「古事記」の中にも、天つ神々一同が、イザナギノミコトとイザナミノミコトの二柱の神に、「このただよへる国をつくろひ固め成せ」と『言依賜也』。と記されています。この「言依賜也」の読み方には諸説あるようですが、要は、「言葉で命じられた」ということだと思われます。この命令によって、わが国の誕生が始まるということが「古事記」には記されています。
この頃、天上の神々が文字を持っていたのかどうかは分かりませんが、イザナギノミコトとイザナミノミコトに命じられたのは「言葉」であり、その言葉には絶対的な力があったのでしょう。
時代が下ってからも、神仏などへの願い事や呪詛の場合も、文字にしたためることはあっても、自分や代理人(僧侶や神官など)が言葉に出して訴えることが必要であり、それには、単なる伝達ということ以上に、言葉そのものに霊力があると考えられていたのでしょう。

現代の私たちの日常においても、「言葉の力」を強く感じることは少なくありません。
あの、「たった一言」が、ある人に勇気を与え、ヒントを与え、その人の人生を大きく左右させることさえあるようです。優れた書物や指導書がその役を果たすこともあるでしょうが、インパクトの大きさは「言葉の力」が優っているように思われます。
同時に、「たった一言」が、一人の人間を絶望に追い込んでしまうことも、残念ながらあるようです。
「言葉の力」つまり「言霊」というものは、どうやら諸刃の剣のようです。

書店や図書館などには、名言や故事などに関する書物が数多くあります。
テレビやビデオや映画などを通じて、感動を受ける言葉に出合うこともあります。
確かに、優れた言葉や人に力を与えたり決断を助ける言葉もあるのでしょう。しかし、同じ言葉であっても、ある人には大きな力になっても、ある人にはさしたる影響がなく、ある人には害を与えてしまうことさえあります。
つまり、書かれていたり語られたりする言葉や文字が持っている力など大したものではなく、その言葉に、「言霊」と表現するかどうかはともかく、生命力のようなものが加えられてこそ、その言葉は輝きを見せるのではないでしょうか。
私たちは、一日にどれだけの言葉を話すのか知りませんが、「言葉は諸刃の剣」であることも心に留めておくべきのように思うのです。

( 2015.01.24 )
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やりきれない思い ・ 小さな小さな物語 ( 706 )

2015-03-15 15:23:13 | 小さな小さな物語 第十二部
この数日、何ともやりきれない日が続いています。
世界は広いけれど、あらゆる出来事が緊密に繋がりあっているのだということを、思い知らされました。それも、実に悲惨な現実を突きつけられた形で。

私たちの日常においても、様々な事件が起こり、それらの中には、一般的な常識を越えるような理不尽なものや残酷なものも、残念ながら恒常的に発生しています。
大きな事件が発生するたびに、「二度とこのような事が起こらないように、再発防止に努めます」などと、当事者や管轄部署の人などが発言していますが、努力するということは本心だとしても、そのような事件が二度と起こらないなどと本気で思っているとは考えられません。聞かされている一般国民の多くも、そのような決意や思いだけで、類似した事件が根絶されるなどとは思っていないことでしょう。
しかし、そうであっても、一部の人たちに拭いきれない傷跡を残しながらも、私たちは、おおむね平穏な日常を取り戻していきます。
今回の、わが国の国民が海外で人質に取られるという事件は、これまでにも発生していますから、繰り返される事件の一つだともいえますが、それにしても、何ともやりきれない思いが募ります。

文化の相違や、地域性、人種、宗教、生い立ち等々、私たち個々の性格や考え方は千差万別であることは当然のことです。
国家や部族や、その他のどのような集合体についても、個人個人が千差万別であるように、その性格や価値観は違ってくるのでしょう。
互いの利害の対立は紛争を呼び、相手を殲滅させようとまで考える戦いに発展することは、ほんの少し前のわが国の歩みを考えれば、人間の集団同士においては、特異な出来事ではないのかもしれません。

しかし、それらのすべてが当然のことだとしても、あらゆる人間同士が容認しあうことの出来る「最小限の何か」はないものなのでしょうか。
そのようなものがないことは、人間の歴史を少し振り返ってみれば分かることだ、と言われればそれまでなのですが、人間には、その「最小限の何か」を見つけ出す程度の知恵さえ与えられていないのでしょうか。
そして、何の知恵も術もない私などは、ただ「やりきれない思い」を噛みしめることしかないのでしょうか。

( 2015.01.27 )
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思いを伝える ・ 小さな小さな物語 ( 707 )

2015-03-15 15:21:53 | 小さな小さな物語 第十二部
自分の思いを相手に伝えるために、人間にはさまざまな手段が備わっているようです。
五感という言葉がありますが、通常私たちは視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚を通じて様々な情報を入手します。何らかの理由でそれらの器官に障害を受けている人も少なくないのでしょうが、その場合でも、他の器官が代用したり、少し違う形で情報を受け取ることが出来るらしいことは知られているところです。
同時に、私たちは相手に意志を伝えるために、多くの場合はその五感を通して訴えようとします。

しかし、自分の思いを正確に相手に伝えることは、そうそう簡単なことではないようです。
「自分の希望をこれほど誠実に伝えているのに、分かってもらえない」「あれほど注意していたのに、聞き入れてくれない」「自分の好意を、相手は敵意として受け取っているらしい」等々、うまく伝わらないばかりでなく、歪んだ形で伝わってしまうことも少なくありません。
その理由の大きな一つは、こちらから伝達した情報は相手の五感を通して承知されていると考えていて、「心」に訴えなければならないことを忘れているからではないでしょうか。
あるいは、忘れていないまでも、無意識のうちに見えるものは「相手の目に対して」、聞こえるものは「相手の耳に対して」、美味しいものは「相手の味覚に対して」訴えることが主眼になってしまっていて、その奥にある、目的地であるべき「心」の存在への配慮が軽くなってしまっているかもしれないのです。
そうだとすれば、五感の存在が、正確な意思伝達の障害になっていることもあり得ることになります。

「第六感」とか「テレパシー」という言葉がありますが、実は、これらの言葉であらわされる能力が、人間の意思伝達に重要な働きをしている可能性があるようです。
「テレパシー」とは、言語や表情や身振りなどによらず、「心から心」、あるいは「脳から脳」と言ってもいいのでしょうが、五感を通さずして意志を伝えたり相手の考えを受け取ることの出来る能力を指すようです。
「テレパシー」という言葉は、1882年にアメリカの大学教授が提唱したことが始まりだそうですが、そういった現象があり得ることは、遥かに古い時代から知られていたはずです。

「超能力者」といわれない人でも、「誰かがじっと見ている」「遠くにいるはずの人の声が聞こえた」といった経験は何度もあるようです。
その多くは「気のせい」で済まされているようですが、そこには「テレパシー」のようなものが存在していたのではないでしょうか。
ただ、並の能力者の場合、いくら相手のことを思っていても、相手にも思ってもらえることとは別次元のことなので、勘違いしないことが大切です。
それにしても、敵対しあっている間でも、互いの誠意が正しく伝えられる能力が人間に与えられていれば、とつくづく思います。
あるいは、すべての人間にそのような能力が備わっていれば、ますます社会を複雑にしてしまうため、人間の能力から削除したのでしょうか。

( 2015.01.30 )
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貧困の緩和 ・ 小さな小さな物語 ( 708 )

2015-03-15 15:19:50 | 小さな小さな物語 第十二部
暗澹たる気持ちで本稿を書いています。
世界には、厳しい対立や紛争の真っただ中にある地域が数多くあります。
多くの人が傷つき、殺され、居住地を追われて難民となっていたり、逃げ出すことも出来ずさらに酷い環境の中で、希望を見い出せないなかで身を潜めている人の数も膨大なものだそうです。
また、傷つけたり殺したりする側にあり、一時的な勝者の側の人もまた、やはり過酷な環境の中にあるといえます。

何かで読んだ記憶なのですが、国家間の大規模な戦争も含めて、紛争の原因の多くは、経済的な問題が基にあるそうです。相手勢力や相手国への憎しみだけで、殺し合うような紛争に至ることは少なく、その根源となるものは圧倒的に経済的な問題、つまり「貧困」という問題が、絶望の塊となって存在しているようです。

「貧困」ということになれば、私などもその一員として一言申し上げたいような気もしますが、世界中の紛争の原因を作っている「貧困」は、わが国で見る「貧困」とは、質も次元も相当違うもののようです。
わが国における「貧困」の多くは、相対的な貧困感が大半を占めています。つまり、あの人より貧しい、この程度の物さえ買えない、などといった次元のことが、私たちが感じる貧しさのほとんどなのだそうです。
しかし、世界中には、生存していくのに必要な最低限の食糧さえ手に入れることが出来ず、現に想像を絶するような数の人が餓死していっているそうです。そのような環境の中で命を長らえようとすれば、当然紛争も多くなるはずです。

全人口の1%の人が、世界中の富の多くを占有していて、しかもその割合は年々高まっているとされています。ある報告によれば、全世界の資産の半分を七十人ほどの大富豪が握っているとされています。
これらの数字がどの程度正しいのか知りませんが、大きくは国家間や地域による経済格差、狭い範囲でいえば、国民間の経済格差の大きさが世界や社会の秩序を不安定にしつつあるそうです。
フランスの経済学者が提唱している資本主義社会における経済格差に対する警告は、今や、「ピケティ現象」とも呼ばれて注目を集めています。
強制的に富の配分の公平化を図れば世界中が平和になるというほど単純なことではないのでしょうが、世界中の各地にみられる「絶望的な貧困の緩和」を実現させない限り、紛争地域の縮小や、そこから生じる不幸を根絶させることは出来ないのでしょう。その実現がいくら困難だとしてもです。
まことに有り難いことに、私たちの国は飢餓からは遠い環境にあるといえます。
しかし、一人一人の生活ということになれば、生活保護制度からも見捨てられていたり、哀しいことに、親のもとにありながら餓死に近い状態で命を落としている子供もいます。
これらのことは、単なる貧困とは少し違う問題かもしれませんが、国内における経済格差、世界中に散在している「絶望的な貧困」状態にある地域の緩和を図ることに今少し関心を高めないことには、私たちの現在の社会も、いつまでも安泰ということではないと思われるのです。

( 2015.02.02 )
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旧正月と立春 ・ 小さな小さな物語 ( 709 )

2015-03-15 15:17:32 | 小さな小さな物語 第十二部
二月三日が節分で、昨日の二月四日が立春でした。つまり、いつの間にか「暦の上では春」という季節に入ってきたわけです。
ところで、今年の旧正月は二月十九日なので、立春に比べてずいぶん遅いような気がして、少し調べてみました。
私たちは、つい何気なく、立春と旧正月とは似通った日にあるものと考えがちですが、実は必ずしもそういうことではなく、今年の立春は旧暦でいえば十二月十六日ですから、大晦日にはまだ大分日がある間に立春を迎えたということになります。 

古今集には、このような状態に戸惑っているらしい和歌が載せられています。
『 年のうちに 春は来にけり 一年(ヒトトセ)を 去年(コゾ)とやいはむ 今年とはいはむ 』
という、在原元方が詠んだものですが、おそらく、「立春=新年」という感覚が当時の人の中には強くあったと思われ、旧暦のみの中で生活していた貴族たちでさえ不思議な感覚があったのでしょう。
しかし、この和歌のような状態を「年内立春」とよび、一月一日以降に立春を迎えることを「新年立春」と呼ぶそうですが、その比率はおよそ半々で、珍しい現象ではなかったのです。
もちろん立春と旧正月が一致することもありまして、それは「朔日立春」と呼ばれ、おめでたいとされました。ただおよそ三十年に一度程度だそうで、最近でいえば、1954年、1992年がそうで、この次は、2038年までないそうです。但し、1954年・1992年がおめでたい年であったかどうかは、検証していませんが。

私たちが旧暦と呼んでいるものは、太陰太陽暦といわれるものです。太陰暦や太陰太陽暦にはいくつもの種類があったようで、その内容は少しずつ違うようです。わが国のものでも年代により少しずつ変化していますが、いずれも「月の運行」をベースとしていることは共通しています。
現在わが国で用いられている暦は太陽暦に当たりますが、一年を三百六十五日として誤差を主に閏日で調整しています。以前用いられていた旧暦は、一年を三百五十四日として誤差を主に閏月で調整していました。
ただ、立春などの二十四節気と呼ばれるものは太陽の運行を基にして考え出されたもので、季節感や、農作業では重要な役割を果たしてきたわけです。
現在でも、「八十八夜」や「二百十日」などの言葉が使われていますが、これらは立春を起点に算出されているものです。
また、旧暦の一日は、常に新月に当たり、十五夜は十五日というように、月の満ち欠けが日付を教えていたわけです。
そして、一月一日、つまり元旦は、立春の次の二十四節気である雨水当日を含めて直前の新月の日と決められますので、月の運行である新月と、太陽の運行である春分は、年により微妙な関係を生み出しているのです。

かつての人々は、この微妙な関係を歌に詠み、新暦に移ってからも旧正月は東南アジアを中心に多くの国や人々によって大切にされ祝われています。
さらに、今もなお、私たちとは違う暦のもとで、何不自由なく生活を送っている人も少なくありません。
暦が違い、価値観が違い、肌の色が違うなど、私たち人間一人一人は、全く共通だということなど皆無に近いと思われます。しかし、その中でも、立春と新年の食い違いを和歌に詠んで良しとするような生き方は出来るのではないでしょうか。
価値観の違いを許しあえるような社会が実現して欲しいものです。

( 2015.02.05 )
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