旧恩に報いる ・ 今昔物語 ( 2 - 3 )
今は昔、
祇園精舎に一人の比丘(ビク・ここでは僧と同意)がいた。
重い病気を患って、五、六年もの間苦しんでいた。悪性の皮膚病で血膿(チウミ)が流れ、大小便の始末が出来ず、悪臭がし周囲が穢れた。そのため周りの人は、これを汚がって誰も近付こうとしなかった。住んでいる所もほとんど朽ちて壊れていた。
仏(釈迦)は、この人を見て同情されて、アナン(阿難・高弟の一人)・シャリホツ(舎利弗・高弟の一人)等の五百(大勢という表現)の御弟子たちを他所に移らせて、その比丘の所に行き、五つの指より光を放って遠くをお照らしになり、比丘に尋ねた。「誰か、あなたの世話をする人はいないのですか」と。比丘は、「長年患っているため、世話をしてくれる人はおりません」と答えた。
するとその時、帝釈天がその所に来て、宝瓶(ホウビョゥ・仏具の水瓶の尊称)に水を入れて仏に奉った。仏は、紫磨黄金(シマオウゴン・紫色を帯びた黄金。最も上質の黄金とされる)の御手で以ってこれを受け、右の手で以って注ぎ洗って、左の手で以って身体の瘡を撫でられると、御手の動きに従って病はみな癒えていった。
仏は、「そなたは、昔、私に恩を与えてくれた。今、私はやって来てその恩に報いたのです」と仰せられて、比丘のために法をお説きになった。比丘は、即座に阿羅漢果(原始仏教における最高の修業階位)に得た。
その時、帝釈天は仏に尋ねた。「どういうわけで、この病の比丘に恩を報じられたのでしょうか」と。
仏は帝釈天に答えて、「無量阿僧祇劫(ムリョウアソウギコウ・無量は量りしれない、阿僧祇は無数を意味する言葉、劫は時間の単位でとてつもなく長い時間。つまり、とてつもなく長い時間であることを強調している)の過去世に、ある国王がいた。財宝を手に入れるために、無道にも一人の男と密かに相談して、『お前は、もし誰かが官物を横領するようなことがあれば、その者を罰せよ。そしてその官物を私とお前とで手に入れよう』と約束した。その男の名は伍百という。その頃、一人の優婆塞(ウバソク・在家の男性の仏教信者)がいた。その優婆塞がほんの少し官物を横領した。王が伍百に命じて罰しようとしたが、この優婆塞が日頃善を行ずる人(仏教徒を指しているらしい?)だと聞いて、伍百は罰しなかった。優婆塞は罪を免れて、喜んで去っていった。その時の伍百というのはこの病の比丘なのである。そして、その時の優婆塞というのは、今の私なのである。それ故に、私はやって来て恩を報じたのである」と仰せになられた、
となむ語り伝へたるとや。
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今は昔、
祇園精舎に一人の比丘(ビク・ここでは僧と同意)がいた。
重い病気を患って、五、六年もの間苦しんでいた。悪性の皮膚病で血膿(チウミ)が流れ、大小便の始末が出来ず、悪臭がし周囲が穢れた。そのため周りの人は、これを汚がって誰も近付こうとしなかった。住んでいる所もほとんど朽ちて壊れていた。
仏(釈迦)は、この人を見て同情されて、アナン(阿難・高弟の一人)・シャリホツ(舎利弗・高弟の一人)等の五百(大勢という表現)の御弟子たちを他所に移らせて、その比丘の所に行き、五つの指より光を放って遠くをお照らしになり、比丘に尋ねた。「誰か、あなたの世話をする人はいないのですか」と。比丘は、「長年患っているため、世話をしてくれる人はおりません」と答えた。
するとその時、帝釈天がその所に来て、宝瓶(ホウビョゥ・仏具の水瓶の尊称)に水を入れて仏に奉った。仏は、紫磨黄金(シマオウゴン・紫色を帯びた黄金。最も上質の黄金とされる)の御手で以ってこれを受け、右の手で以って注ぎ洗って、左の手で以って身体の瘡を撫でられると、御手の動きに従って病はみな癒えていった。
仏は、「そなたは、昔、私に恩を与えてくれた。今、私はやって来てその恩に報いたのです」と仰せられて、比丘のために法をお説きになった。比丘は、即座に阿羅漢果(原始仏教における最高の修業階位)に得た。
その時、帝釈天は仏に尋ねた。「どういうわけで、この病の比丘に恩を報じられたのでしょうか」と。
仏は帝釈天に答えて、「無量阿僧祇劫(ムリョウアソウギコウ・無量は量りしれない、阿僧祇は無数を意味する言葉、劫は時間の単位でとてつもなく長い時間。つまり、とてつもなく長い時間であることを強調している)の過去世に、ある国王がいた。財宝を手に入れるために、無道にも一人の男と密かに相談して、『お前は、もし誰かが官物を横領するようなことがあれば、その者を罰せよ。そしてその官物を私とお前とで手に入れよう』と約束した。その男の名は伍百という。その頃、一人の優婆塞(ウバソク・在家の男性の仏教信者)がいた。その優婆塞がほんの少し官物を横領した。王が伍百に命じて罰しようとしたが、この優婆塞が日頃善を行ずる人(仏教徒を指しているらしい?)だと聞いて、伍百は罰しなかった。優婆塞は罪を免れて、喜んで去っていった。その時の伍百というのはこの病の比丘なのである。そして、その時の優婆塞というのは、今の私なのである。それ故に、私はやって来て恩を報じたのである」と仰せになられた、
となむ語り伝へたるとや。
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