雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

二条の姫君  第九十九回

2015-07-24 09:12:40 | 二条の姫君  第三章
          第三章  ( 二十五 )

年が改まり、姫さまも二十六歳の新年をお迎えになりました。
姫さまは、正月の三日に最初の伺候をなさいましたが、今年は悲しいことばかりが数知れないほどございます。

特に御所さまとの関係は以前のようには戻らず、「何々が悪い」などと仰ることはないのですが、何とはなく御所さまの御心に隔たりを姫さまは感じておりました。
当然のこととして、御所のお勤めは味気なく、世の中の様々なことさえ面白くなくなり、姫さまの心細いお気持ちを励ましてくれるのは、今となっては昔のことと言ってよい人である雪の曙殿だけでございました。

二月には、後嵯峨院の彼岸の法要がございました。後深草院・亀山院の両院の御主催で嵯峨殿の御所で行われましたが、去年の同じ頃に幻に見た法親王の面影が思い浮かんできているご様子に感じられました。
こちらの嵯峨清涼寺の釈尊は生身(ショウジン)と伝えられていて、天竺(印度)・震旦(シンタン・中国)を経て伝えられてきた釈迦如来ということですから、唯我一人の誓願は必ず果たされるという御仏でございますが、おそらく姫さまは、故後嵯峨院の追善ではなく、きっと今も闇路を迷っておいでと思われる故法親王に浄土への道しるべをお示しくださるよう祈っていたのでございましょう。
『 恋ひしのぶ袖の涙や大井川 逢ふ瀬ありせば身をば捨てまし 』
これは、この時の御心境を詠まれた姫さまの御歌でございます。

この頃の姫さまは、何もかもがうとましく感じられるご様子で、本当に大井川の底の水屑になってしまおうかと思われることもあったようなのです。
そのようなことを紛らすためなのでしょうか、古いお手紙などを整理されておられましたが、それらからくる思い出から、まだ幼い双葉ともいえる御子を自分が見捨ててしまえば、誰が愛情を懸けるかと強く思い詰められるようになられました。
そして、自分が世を捨て切ることが出来ない妨げは、これなのだと思い当たられ、御子の面影が恋しく迫ってくるようになっていったのでございます。
『 尋ぬべき人もなぎさに生ひ初めし 松はいかなる契りなるらむ 』

姫さまの思いはしだいに強まり、両院が還御なされた後、僅かな時間を見つけて退出なさいました。そしてしばらくぶりにお会いになられた御子は、たいそう成長していて、おしゃべりをしたり、微笑んだり笑ったりするのを見るにつけ、嬉しさとともにむしろ哀れに思うことの方が多く、苦しげなご様子で逃げるようにして御所にお戻りになられたのです。

     * * *


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