雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

悪貨は良貨を駆逐する ・ 小さな小さな物語 ( 1087 )

2018-11-19 15:18:12 | 小さな小さな物語 第十九部
アメリカンフットボールの事件、張本人ともいえる周辺ではあまり動きはないようですが、所属団体からは相当厳しい判断が示されました。しかも、加害チームの監督やコーチに対しては、その悪質性に対して断定的にその非を認めたもので、迅速な調査を称賛するとともに、加害チーム内や周辺では、悪質な指示などは秘密でも何でもない日常茶飯事のことではなかったのではないかと思ってしまいました。
この後にも、第三者委員会とやらが調査するようですが、まだ設置さえできていないようなので、こちらはあまり期待できない気もしますので、あとは、犯罪性の有無を司法に任せることになるのでしょうか。

ところで、この裁定に関して、他チームの指導者の方が、「これほどひどい指導が行われていたチームに負けた自分たちにも責任がある」といった発言をされていました。実に、含蓄のある言葉だと感じました。
教育だとか、選手の人権だとか、健康や精神面、いわんや選手の将来など全く無視したような練習によって、所属リーグで優勝したり、全国制覇することが出来るとすれば、そして、そのことが評価され称賛されるとすれば、スポーツなどというものは、子供にとって、飲酒や喫煙以上に害悪をもたらすのではないかと悲しくなってしまいます。

残念ながら、「悪貨は良貨を駆逐する」という現象は、今もなお堂々と社会を闊歩しているようです。
この格言は、1560年、イギリスの国王財政顧問を務めていた貿易商であるトーマス・グレシャムがエリザベス一世に提出した意見書の中にある言葉だそうです。この言葉は、1858年にイギリスの経済学者が「グレシャムの法則」と命名したことから広く知られるようになったようです。
言葉の意味は、「名目上の価値が同じで、実質上の価値が異なる貨幣が存在した場合、価値の高い方の貨幣(良貨)は人々の手元にしまい込まれ、価値の低い方の貨幣(悪貨)だけが流通するようになる」というもので、金本位制の経済学の法則の一つとされました。
ただ、言葉としてはともかく、同様の現象は、古くから各地で発生していたようで、わが国の江戸中期の思想家三浦梅園も、1773年の自著の中で、「悪弊盛んに世に行わるれば精金皆隠る」と述べているようです。

貨幣制度におけるグレシャムの法則そのものは、現在においては、すでに過去のものになっているのでしょうが、一般社会のあちらこちらでは、しぶとく生き残っているというよりは、むしろ勢いを増している場面も少なくないようです。
一つ一つ例を挙げるのは慎みますが、大きくは国家間や政治の世界、近くは町内会レベルでもその現象を見つけるのは難しい事ではありません。
けれども、むしろそうであるからこそ、本来ルールに従って行われるはずのスポーツの世界ぐらいは、単に試合そのものだけでなく、その組織や指導などにおいて、悪貨が大手を振って歩き回るような現象を払拭して欲しいと思うのです。
これとても、無いものねだりなのかもしれませんが、「これほどひどいチームに負けた自分たちにも責任がある」と発言されたような指導者がいる限り、期待し続けたいと思うのです。

( 2018.06.01 )

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