『 郡司の美しい妻 ( 2 ) ・ 今昔物語 ( 16 - 18 ) 』
( ( 1 ) より続く )
さて、家中の者が身を清めて三日目に、郡司の男は石山寺に詣でた。
一夜お籠もりをしたが、夢さえ見なかった。
男は嘆き悲しんで、「私は、観音様の大悲のご利益の中に入る身ではないのでしょう。そういう因縁なのだ」と思って、後夜(ゴヤ・一夜を初、中、後の三分した最後の時間帯。明け方近く。)に御堂を出て、悲しげな様子で家に帰ろうとしたが、途中、これから参ろうとする者も多く、帰ろうとしている者も多くいた。
その中の心ある人は、「何をそれほど悲しんでいるのですか」と尋ねてくれるが、「何も悲しんではいませんよ」と答えながら帰っていくと、それほど若くない気品のある女性が、市女笠(イチメガサ・女性の外出用)を被り、一人二人の供の女を連れて静かに歩いてくる。
その女がこの男を見て立ち止まり、「そこの帰ろうとなさっているお方、何かお嘆きのご様子ですが」と言った。
男は、「いえ、何も嘆いてなどいませんよ。私は伊香郡より参った者です」と言った。
女は、「でも、とてもお悩みのご様子です。お話し下さい」と熱心に言うので、男は不思議な気がして、「もしかすると、観音様が私を憐れんで、姿を変えておっしゃっているのかも知れない」と思って、「実は、然々の事がありまして、観音様のお助けを蒙ろうと思い、石山寺に詣でて三日三夜(前述では、一夜だけのお籠もりとあるので、つじつまが合わない。嘘をついていると言うより、前述が間違っているようだ。)お籠もりしましたが、まったく夢さえも見させて下さいません。これも、そうした因縁があってのことだろうと思い、嘆きながら帰るところでした」と言った。
すると、女は、「ほんとうにお安いことですのに、早くおっしゃっりもなさらないで・・・。こうお答えなさい」と言うと、「みるめもなきに人のこひしき」と付け加えるのを聞いて、嬉しいことこの上なかった。
「これは観音様がお示し下さったのだ」と思って、「あなたは、どちらにお住まいのお方ですか。この喜びは、とても口では表すことが出来ません」と言うと、女は、「さあ、この私を誰だと言えば良いのでしょうね。でも、いつか、私が誰だが気付いて下されば嬉しいです」と言うと、寺の方に歩いて行ってしまった。
男が家に帰ると、待ちかねていた妻は、「どうでした、どうでした」と尋ねると、男は「然々の事があったのだ」と話すと、妻は、「やはり、ご利益があったのですね」と言って、この歌の下の句を書いて、預かっている文箱と共に、七日目の夕方に国司の役所に参上すると、国司は、「郡司がやって来た」と聞くと、「ともかく、期日通りにやって来たことは奇異なことだ。しかし、下の句は付けることは出来まい」と思って、「こちらに参れ」と呼び寄せると、文箱と歌の下の句を奉った。
国司が書かれている歌の下の句を見て、「不思議なことだ」と思って、文箱を開いて見ると、上の句とぴったり合っているので、感心し恐れを感じて、多くの褒美を与えた。また、「わしの完全な負けだ」と認めて、約束したように国を分けて治めさせた。
この文箱の中の歌の上の句は、『 あうみなる いかごのうみの いかなれば 』とあったが、それに対して、『 みるめもなきに 人のこひしき 』と付けたのは、まことにすばらしい。
観音様がお付けになられたのだから、どうして下手なはずがあろうか。
その後、この郡司は国を分けて治め、観音の恩に報い奉るために、かの石山寺に一日の法会を行い、長く恒例の行事として今も続いている。その郡司の子孫が相次いで、今もその法会を営んでいるという。
観音の霊験の不思議なること、かくのごときである、
となむ語り伝へたるとや。
☆ ☆ ☆
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます