雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

残された日々 ・ 小さな小さな物語 ( 1144 )

2019-05-30 14:49:36 | 小さな小さな物語 第二十部
早いもので、はや十二月に入りました。
毎年のように感じ、当ブログにも何回か書いたような記憶がありますが、十二月への月替わりは、他の月とは少し違うような気がします。もちろん、十二月から一月へと移るのは、気持ちの変化としてはさらに大きいように思いますが、新年を迎えるのは、何だかんだと言いながらも明るさのようなものが伴っているものですが、十二月を迎えるのは、少々切なさを引きずっているような気がするのです。

年齢を重ねるにつけて、一年が経つのが早く感じると言いますが、ある人に言わせれば、それには理由があって、一年は同じ時間を刻んでいるとしても、二十歳の人の一年は、生きてきた分の1/20にあたりますが、六十歳の人にとっての一年は1/60の長さに過ぎないので、年齢とともに一年が短く感じるのは当然なのだそうです。
この計算式が正しいのかどうかは、数学者なら証明できるのか脳学者なら証明できるのか知らないのですが、経験者の多くは感じている現象のようです。
いずれにしても、古来十二月は忙しい月とされているようです。十二月の異称として「師走」という呼び方は今も使われますが、ふだん天地が裂けても微動だにしないほどの坊さんでさえ走り出すので「師走」という名がつけられたとされています。

しかし、この説は、平安時代にまでも遡る古いものだそうですが、すでに当時でさえ、師走の正しい語源だと思われていなかったようなのです。
年が果てる「トシハツル」四季が果てる「シハツ」などといった言葉から転移したという説もあるようですが、やはり、「坊さまが走り出す」というのは、光景を描くだけでも微笑ましいですし、エピソードとしては秀逸のような気がします。
もっとも、十二月の異称は、「師走」だけでなく、「限月」「極月」「窮月」など何となく分かるものから、「弟月」「乙子月」など、ぜひ語源を尋ねて見たくなるようなものまで、二十や三十では終わらないほどの数あるようです。
しかも、月名の異称がたくさんあるのは十二月に限ったことではないようですから、私たちのご先祖たちは、感性の塊のような人に溢れていたのかもしれません。

いずれにしましても、今年も残すところひと月となりました。
これも、毎年のように思うことですが、残されたひと月を、「あとひと月しかない」と考えるのか、「まだひと月ある」と考えるかによって、気分はずいぶん変わったものになるように思うのです。
そう考えながら、私自身の今年を振り返ってみますと、「意味があったな」と思う日なんて一割もありません。残りの三百余日はいつの間にか過ぎ去ってしまったような日ばかりのように感じます。そう考えれば、残された日が三十日もあれば、相当意味ある時間を生み出すことが出来る可能性が残っているということになります。
まあ、こう大見えを切りながら、年末の頃になると、「まだ三日も残っているのだから、云々・・・」ということになるのでしょうね。そうとは分かっているのですが、あとひと月、気合を入れて行くとしますか。

( 2018.12.01 )


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