雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

二条の姫君  第七十六回

2015-07-24 10:50:11 | 二条の姫君  第三章
          第三章 ( 二 )

御所さまが御部屋に入られましたので、法親王はさりげない様子に取り繕われましたが、絞り切れないほどの涙は、包み隠すべきお袖に残っていて、御所さまのお目に止まらぬはずがありません。
姫さまのお心の内を思えば、それはそれは心配でございましたが、御所さまは特に咎められるような御言葉もなく、灯をともす頃に法親王はお帰りになられました。

その夜は、他に女房が伺候しておりませんので、姫さまが御供することとなり、御所さまの御足などお揉み申し上げておりますと、
「それにしても、まったく意外なことを聞いたものだ。法親王とはまだ幼い頃より互いに疎遠な間柄ではないと思っていたが、あの方がこのような色恋の道に入っていようとは、まったく思いもかけぬことなのだが・・・」
と、くどくどと仰られました。

姫さまは、その時すでにお覚悟を固められていましたようで、また、「そのようなことはありません」と申し上げたとて申し開きが出来る状況でもありませんでしたから、二人が最初に出逢った時のことから、月の光の下で別れたことまでのことを、少しの偽りもなく申し上げられてしまったのです。

「まことに不思議なそなたとの御契りかな・・・。
しかし、それほどに思うあまり、隆顕(善勝寺)に手引をさせたのに、そなたはすげなく拒んだということだが、そのお恨みの結果は、どう考えてもよくあるまい。昔の例にも、このような色恋の迷いは人の区別なく生ずることだ。
柿本の僧正は、染殿の后に物の怪となって取り憑いて、多くの仏菩薩の力を尽くしてお救いしようとしたが、ついに后はこのため身を滅ぼしてしまったそうだ。それら対して、志賀寺の聖は、京極の御息所が『ゆらぐ玉の緒』と優しいお心で接しられたので、聖はたちまち一念の妄執を改めたという。
法親王の様子は、尋常のものではない。そのことを心得てお相手申し上げよ。私が仲立ちを試みるならば、他の人に知られることはあるまい。
この度の修法の間は、あの方が参上するであろうから、そのような機会があれば、日頃のそなたへの恨みをお忘れになるように計ろう。そのような勤行の折に、そういう話はよくないかもしれないが、私には深く思うわけがある。差し支えのないことだ」
と、御所さまは懇切に姫さまに申されました。

「何事も私はそなたに対して隠し隔てをする気がないので、このように計らうのだよ。それにしても、どうすれば法親王の深い心の恨みは晴れるのだろうか」
などと言葉を続けられました。
御所さまの姫さまへの深い思い遣りは十分伝わったことでしょうが、むしろ姫さまにはつれないお言葉のように感じられたようでございます。

「私は、誰よりも先にそなたを見染めて、多くの年月を送ってきたので、何事に付けても格別に愛しく思うのだけれど、どういうわけか、私の思い通りにならないことばかりで、この思いを形に表せられないことが本当に悔しい。
私の新枕は、そなたの亡き母、典侍大(スケダイ)に習ったので、何かにつけて人知れず彼女を慕っていたのだが、まだ言いがいのない年頃のことで、周囲に遠慮をしているうちに、冬忠や雅忠が典侍大の夫だという顔をするようになり、みっともないことに私は隙を窺っているようだった。
そなたが典侍大のお腹の中にある折も、生まれてくるのが待ち遠しくて、早く早くと待ちわび、人々の手に抱かれていた時から、世話をしていたのだよ」
などと、御母上との関わりまで持ち出してお話しになられるので、さすがに姫さまも、涙ながらにその夜を過ごされました。

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