雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

うつせみ   第二回

2010-08-04 08:02:31 | うつせみ
          ( 二 )

飯島が「あわじ」を再訪する機会は意外に早くきた。

歓迎会の日から十日ばかり経った頃、取引先の接待の後の流れで「あわじ」で飲み直すことになった。青山と営業部次長の大井と飯島の三人だった。
最初の時と同じように、青山とホステスたちとのにぎやかな挨拶の後、前と同じ席に着いた。そして、その席に加わったホステスたちの中に、先日見たあの人もいた。彼女は「美沙子」と名乗った。

美沙子は、この店ではまだ新しいらしく、周囲の雰囲気に溶け込めていない様子がうかがわれた。性格からくるものなのかもしれないが、むしろホステスの経験そのものが殆どないのではないかと、飯島には感じられた。
今も、先輩ホステスの応援のような形でこの席についているようだが、いかにも存在感に乏しかった。何だか、まるでそれだけが仕事のように、ひっそりとした感じで水割りを作っていた。
相変わらず座の中心は青山で、ホステスたちとにぎやかにやりあっていたが、美沙子もその話題に入ろうとしているらしく時々笑顔を見せるのだが、その笑顔は、場に馴染まない寂しげなものだった。

(あの人と同じ笑顔だ・・・)と、飯島は思った。

「あわじ」に三回目に来た時、飯島は思い切って、美沙子も指名に加えることが出来ないか青山に相談した。
「大丈夫ですよ。ママに話してみましょう。さすがは常務、抜かりがありませんねぇ、フフフ…。しかし、ミサコって、どんな娘でしたっけ?」

青山は首をかしげながらママの方に行き、何かしきりに説明している様子だった。そのあと、ママの智子は飯島の席に来て、美沙子を指名してくれたことに大げさなほどに礼を言った。

「常務さん、ありがとうございます。美沙子は、取ってもいい娘なんですよ。ただね、あまりにもおとなし過ぎるんですよ。いえ、あたしなんかと話す時は、明るいし、しっかりしているんですよ。ですから、本当にいい娘なんですけれど、この商売には向いていないのかなと心配していたんですよ。看板ホステスになってもいいくらいの娘ですので、常務さん、今後も、お宅様の指名の中に加えてやって下さいな」

智子は、まるでわが子を心配する母親のような口ぶりで話し、美沙子を呼んだ。
美沙子が来ると、智子はママの顔に戻り、飯島が指名してくれたことを伝え、これからもずっと指名してもらえるように頑張るよう励ました。

「ありがとうございます」
と、美沙子は深々と頭を下げて、小さな声で礼を言った。
精一杯の挨拶なのだろうし、その動作に嫌みはなく好感が持てるものではあったが、この店の華やかな雰囲気には、いかにも似合わない静かなものだった。

飯島は、美沙子のことを知りたいと思った。その生い立ちをぜひ知りたいと思った。
顔立ちはもちろん、体つきといい、仕草といい、さらに、美沙子という名前までが似ているのは、とても偶然とは思えなかった。もっとも、ホステスは本名を使っていることはあまりないと考えられるが、美沙子という名前が、あの人とのつながりを暗示しているうに思えてならなかった。

飯島は青山に勧められたことに乗るかたちで、美沙子をダンスに誘った。
若い頃に少しばかりダンスを習ったことがあるが、タンゴをマスターする前に降参してしまった程度の腕前なので、最近では飯島が自分からダンスに誘うようなことはなかった。しかし、美沙子をもっと知るためには二人だけの時間が必要だと思ったのだ。

美沙子は、言葉数も少ないが、香りもまた少ない女性だった。フロアーで体を寄せ合っても、他のホステスのような香水の香りはもちろんのこと、女性の持っている香りというか雰囲気のようなものを感じさせないように思われた。

「ホステスには、最近なったの?」
飯島は美沙子の耳元に囁いた。

「そうでもないんです。このお店は最近ですが、ホステスのお仕事は大分前からです。でも、わたしには合わないみたい。いつまでたっても一人前になれないんです」
「そう・・・。で、美沙子さんというのは、本名かな?」

「えっ? ええ、まあ・・・」
と、あいまいな返事だった。

飯島は、よく似た名前を持った女性と踊った、あの日のことを想い浮かべていた。
将来のことも、目の前の打算もなく、あの人といることが楽しく、ただひたすらに踊った。
ダンスを習いに行ったのも、ダンスが仲間のなかでちょっとした流行になっていたこともあるが、あの人と踊りたいことが一番の理由だった。
しかし、それも遠い昔のことであるが、今踊っている美沙子は、あの時のあの人そのままであるのが、飯島の理性に混乱を与えていた。

飯島は美沙子の素性を知りたいと思った。その生い立ちがどのようなものなのかを、何としても知りたかった。
仕事柄、飯島は調査会社などとの付き合いもあったが、身元調査をすることはさすがに憚られた。青山にはかなり詳しい事情を話し、ママから情報を仕入れてもらうように依頼もした。

美沙子が東京方面から移ってきたことは間違いなかった。男女関係のもつれから、それも相当にすさまじいことがあって大阪に逃げてきたようである。
これらのママからの情報を伝えながらも、「美沙子が持っている雰囲気からは信じられないような話ですねえ」と青山は首をひねった。さらに、金銭面でもかなり苦しい状態にあることも間違いなく、かなりの借金をここのママに肩代わりしてもらって窮地を逃れた経緯があり、この店に勤めることになったらしい、と青山は話を続けた。

単身赴任というより、家族がいない飯島は「あわじ」へ行く回数が増えた。
美沙子と店の外で会うことも多くなっていったが、それはママの智子の公認のような形になっていた。「あわじ」にとって南東商事が大切な客であったこともあるが、飯島の美沙子に対する接し方がただならぬものであることを、すでに智子は感じ取っていたのだろう。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« うつせみ   第三回 | トップ | うつせみ   第一回 »

コメントを投稿

うつせみ」カテゴリの最新記事