『 暖かな年の瀬 』
暖かな年の瀬が 続いている
今年最後の 庭作業も 汗ばむほど
すぐ近くのスーパーは 歳末らしく 駐車場が大混雑
今 日本レコード大賞を 見ているが
今年亡くなられた アーティストを紹介していた
やはり いろいろあった一年だと 感じさせられた
あと一日と数時間 穏やかに過ごさせていただこう
☆☆☆
『 暖かな年の瀬 』
暖かな年の瀬が 続いている
今年最後の 庭作業も 汗ばむほど
すぐ近くのスーパーは 歳末らしく 駐車場が大混雑
今 日本レコード大賞を 見ているが
今年亡くなられた アーティストを紹介していた
やはり いろいろあった一年だと 感じさせられた
あと一日と数時間 穏やかに過ごさせていただこう
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『 天網恢々疎にして漏らさず 』
「てんもうかいかい そにしてもらさず」と読みます。
これは『老子』の中にある言葉です。第七十三章の最後の部分です。
( 中略 )
さて、現実の私たちの日常を考えますと、天の網が本当に機能しているのか疑問に思うことが少なくありません。小さな魚は捕らえても大きな魚は見逃すのが、天の摂理のように感じてしまうことが少なくありません。
呑舟の魚は枝流に游がず(船を呑み込むような大きな魚は、小さな川には住まない)、という言葉がありますが、私たちの社会の現実は、この言葉の方に納得してしまう部分も少なくないように思えます。
悪人の中の大物は、例え天が打つ網であっても、遙か離れた安全な場所で、そんな網には掛からないよと、せせら笑われているような気がすることが確かにあります。
しかし、本当はどうなのでしょうか。
老子が考えるように、全てのものを取り逃すことなく裁く「天の網」など、存在するのでしょうか。老子は単に凡人を戒めるために言った言葉に過ぎないのか、それとも、私が子供の頃に胸をときめかせたように、「天の網」を持って颯爽と現れる正義の味方が存在しているのでしょうか。
( 「言葉のティールーム」 第九話 より )