枕草子 第百三十七段 正月十余日のほど
正月十余日のほど、空いと黒う、曇り厚く見えながら、さすがに日はけざやかに射し出でたるに、えせものの家の、荒畑といふものの、土うるはしうもなほからぬ、桃の木の若だちて、いと楚(シモト)がちにさし出でたる、片つかたはいと青く、いま片つかたは濃く艶やかにて蘇芳の色なるが、日陰に見えたるを、いとほそやかなる童の、狩衣はかけ破りなどして、髪うるはしきが、登りたれば、ひきはこへたる男児、また小脛にて半靴はきたるなど、木のもとに立ちて、
「われに毬打切りて」
など、乞ふに、また、髪をかしげなる童の、衵(アコメ)ども綻びがちにて、袴萎えたれど、よき袿着たる、三、四人来て、
「卯槌の木のよからむ切りて下ろせ。御前にも召す」
などいひて、下ろしたれば、奪ひしらがひ取りて、さし仰ぎて、
「われに多く」
などいひたるこそ、をかしけれ。
黒袴着たる郎等の、走り来て乞ふに、
「まして」
などいへば、木のもとをひきゆるがすに、あやふがりて、猿のやうにかいつきてをめくも、をかし。
梅などのなりたるをりも、さやうにぞするかし。
正月十日過ぎの頃、空が大変暗く、曇り空が厚ぼったく見えていながら、それでも日の光がくっきりと差し出ているときに、それほどの身分でもない者の、荒畑(アラバタケ・冬で何も植わっていない畑、あるいは開墾中の畑か)という土がきれいにならされていない所に、桃の木のまだ若木が盛んに徒長枝を出していて、その一方はとても青く、もう一方は色濃く艶やかで、蘇芳の色をしていて、その違いが日の光で目立っているのを、ずいぶん細い男の子で、狩衣はかぎ裂きなどしているのに、髪はきれいに整えているのが、登っているので、着物を縫い上げしている男の子、またすねを丸出しにして半靴を履いている子などが、木の根もとに立って、
「われに毬打(ギチャウ・毬を打つ柄の長い杖)を切ってくれ」
などと頼んでいると、また、髪の美しい女の子で、袙は綻びていて、袴もよれよれになっているけれど、立派な袿を着ているのが三、四人来て、
「卯槌にする木によさそうなのを切って落として下さい。ご主人でもご用です」
などと、もっともらしく言うが、いざ落とすと、寄ってたかって奪い合い、仰ぎ見て、
「私にもっとたくさん」
などと言っているのが、微笑ましい。
黒袴を着ている男が、走って来て頼むと、
「まだこの上にか」
などと嫌がると、男が木の幹をゆさぶるので、危ながって、猿のように木にしがみついてわめいているのも、とても可笑しい。
梅の実などがなった時も、同じようなことがあるようですね。
一月の卯槌・卯杖の行事の前日当たりの様子なのでしょうね。
子供たちの元気な姿が、そのまま素直に描かれています。少納言さまにとって、穏やかな一日だったのでしょうね、きっと。
正月十余日のほど、空いと黒う、曇り厚く見えながら、さすがに日はけざやかに射し出でたるに、えせものの家の、荒畑といふものの、土うるはしうもなほからぬ、桃の木の若だちて、いと楚(シモト)がちにさし出でたる、片つかたはいと青く、いま片つかたは濃く艶やかにて蘇芳の色なるが、日陰に見えたるを、いとほそやかなる童の、狩衣はかけ破りなどして、髪うるはしきが、登りたれば、ひきはこへたる男児、また小脛にて半靴はきたるなど、木のもとに立ちて、
「われに毬打切りて」
など、乞ふに、また、髪をかしげなる童の、衵(アコメ)ども綻びがちにて、袴萎えたれど、よき袿着たる、三、四人来て、
「卯槌の木のよからむ切りて下ろせ。御前にも召す」
などいひて、下ろしたれば、奪ひしらがひ取りて、さし仰ぎて、
「われに多く」
などいひたるこそ、をかしけれ。
黒袴着たる郎等の、走り来て乞ふに、
「まして」
などいへば、木のもとをひきゆるがすに、あやふがりて、猿のやうにかいつきてをめくも、をかし。
梅などのなりたるをりも、さやうにぞするかし。
正月十日過ぎの頃、空が大変暗く、曇り空が厚ぼったく見えていながら、それでも日の光がくっきりと差し出ているときに、それほどの身分でもない者の、荒畑(アラバタケ・冬で何も植わっていない畑、あるいは開墾中の畑か)という土がきれいにならされていない所に、桃の木のまだ若木が盛んに徒長枝を出していて、その一方はとても青く、もう一方は色濃く艶やかで、蘇芳の色をしていて、その違いが日の光で目立っているのを、ずいぶん細い男の子で、狩衣はかぎ裂きなどしているのに、髪はきれいに整えているのが、登っているので、着物を縫い上げしている男の子、またすねを丸出しにして半靴を履いている子などが、木の根もとに立って、
「われに毬打(ギチャウ・毬を打つ柄の長い杖)を切ってくれ」
などと頼んでいると、また、髪の美しい女の子で、袙は綻びていて、袴もよれよれになっているけれど、立派な袿を着ているのが三、四人来て、
「卯槌にする木によさそうなのを切って落として下さい。ご主人でもご用です」
などと、もっともらしく言うが、いざ落とすと、寄ってたかって奪い合い、仰ぎ見て、
「私にもっとたくさん」
などと言っているのが、微笑ましい。
黒袴を着ている男が、走って来て頼むと、
「まだこの上にか」
などと嫌がると、男が木の幹をゆさぶるので、危ながって、猿のように木にしがみついてわめいているのも、とても可笑しい。
梅の実などがなった時も、同じようなことがあるようですね。
一月の卯槌・卯杖の行事の前日当たりの様子なのでしょうね。
子供たちの元気な姿が、そのまま素直に描かれています。少納言さまにとって、穏やかな一日だったのでしょうね、きっと。