雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

弘徽殿とは

2014-09-10 11:00:25 | 『枕草子』 清少納言さまからの贈り物
          枕草子 第百五十五段  弘徽殿とは

弘徽殿とは、閑院の左大将の女御をぞきこゆる。
その御方に、打臥という者の女(ムスメ)、左京といひて、さぶらひけるを、
「源中将、語らひてなむ」
と、人々笑ふ。
宮の、職におはしまいしに、まゐりて、
「時々は、宿直などもつかうまつるべけれど、さべきさまに、女房などももてなしたまはねば、いと宮仕へ疎かにさぶらふこと。宿直所をだに賜はりたらば、いみじうまめにさぶらひなむ」
と、いひゐたまへれば、人々、
「げに」
などいらふるに、
「まことに、人は、うち臥しやすむところのあるこそよけれ。さるあたりには、しげうまゐりたまふなるものを」
と、さしいらへたりとて、
「すべて、ものきこえじ。方人(カタウド・味方)と頼みきこゆれば、人のいひふるしたるさまにとりなしたまふなめり」
など、いみじうまめだちて怨(エ)じたまふを、
「あな、あやし。いかなることをかきこえつる。さらにきき咎めたまふべきことなし」
などいふ。
     (以下割愛)


弘徽殿とは、閑院の左大将の女御のことを申し上げるのです。
その御方に、打臥という者の娘が左京という呼び名で伺候しているのを、
「源中将が親しくなったのですって」
などと、うわさをして人々が笑う。
中宮様が職の御曹子においでになったところに、源中将が参上して、
「時々は、宿直なども致さねばなりませんが、それにふさわしいように女房方が扱って下さらないので、随分ご奉公がおろそかになっております。せめて、宿直所をなりといただけますなら、ずっと細やかにお勤めいたしますのに」
と言って、座り込んでいらっしゃったので、女房たちが、
「ほんに」
などと応じているところに、
「まったくねぇ。誰だって、打ち臥し休む(左京の母、打臥にかけた皮肉)場所があるのがいいのでしょうね。そういう所へは、しげしげお伺いなさっているということですのに」
と、私が横から口出ししたものですから、
「あなたとは、一切口をききますまい。味方として頼りにしておりましたのに、人が言い古したうわさをまことしやかに言い繕いなさるのだから」
などと、ひどくむきになってお怨みになるので、
「まあ、妙なこと。どういうことを申し上げましたかしら。全然お聞き咎めになるようなことはありませんわ」
などと私は申し上げる。

そして、私がそばにいる女房を揺さぶるので、その女房も心得て、
「べつに失礼な話もありませんのに、さては、かっかとされるようなわけがあるのですね」
と言って、派手な笑い方をするので、
「これもあの人が言わせたことなのでしょう」
と、「実に不愉快だ」と思っていらっしゃる。
「全然、そんな悪口は言っておりません。他人が言うのでさえ憎らしいものですのに」
と応じて、奥に引っこんでしまったのですが、そのあとでもなお、
「人間として恥になるようなことを、事実をまげてこじつけて言った」
と恨んで、
「殿上人が、私を馬鹿にして笑うので、あんなことを言ったのでしょう」
とおっしゃるので、
「それなら、私一人をお怨みになる筋合いでもありませんのに、変ですわね」
と言うと、その後は私とのやり取りが絶えてしまいました。



このところ再三登場する源中将ですが、何かと軽薄な行動がみられる人物だったようです。
本段は、源中将が少納言さまに好意を持っているのに対して、少納言さまの方はいささか迷惑に感じていたのが、ここに至って厳しい冗談になって、絶交に至った、といった内容です。
この場面だけで見ますと、少納言さまの意地悪さが目立ち、少々源中将が気の毒になってしまいます。

しかし、もう一つの見方としては、源中将が左京という身分の卑しい女性と懇ろになったという噂が立っていることは、当時の貴族社会では大変恥ずかしいことで、実際にこのことで軽蔑されていたようなのです。
少納言さまは、そのことを注意したのであって、最終部分も、「この後、源中将と左京の仲が絶えてしまった」という解釈もされています。
さて、どちらの方が真実なのでしょうか。
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